エジプトファラオの永遠の命 その3

  (その2からの続き)

ネフベト神は声を発した。耳の鼓膜が破れんほどの大音響であった。翼を広げ、次第に体がふくれあがって巨大になっていく。神殿が大きく震え、天井の石材が崩れた。1回の羽ばたきで神殿は砂埃に包まれた。大王の不肖の息子たちは、雲の子を散らすように神殿から走り出ていく。
巨大なネフベト神は不気味な声をあげながら羽ばたいて、空へととびあがった。そして空から次々と逃げる息子たちに襲いかかり、巨大なくちばしでつついて殺した。強靭な足でつかんで飛び上がると、空中で握りつぶして地面におとした。昼の太陽が照りつける砂漠の、あちらこちらが血で赤く染まった。テサケウムはネフベト神の攻撃を逃れながら考えた。ナイル川の船まで続く砂漠は、歩いて3時間はかかる。その間遮るものはなにもない。どうしたってネフベト神につかまって殺されてしまう。逆に、神殿の裏の山に逃げ込んだ方が生き残る可能性があるのではないか。回れ右をして神殿に向かって走り出した。「戻れ、山に向かって走れ、戻れ、戻るんだ。」そこに上空からネフベト神が襲ってきた。テサケウムは神殿の崩れたがれきの中に転がり込んだ。巨大な禿鷲はテサケウムをつつき殺そうとがれきを蹴散らししつこく追ってきたが、あぶなく逃げおおせ、禿鷲はあきらめて砂漠を逃げていく他の人間どもに取って返していった。テサケウムは首をだし、くずれた神殿の裏側に洞窟の口が開いているのを見つけた。そして洞窟の中に走りこんだ。すでにそこには幾人かの仲間がいた。テサケウムは洞窟の入り口に立ち、上着を脱いで振り回しながら大声で仲間を呼んだ。幾人かはそれに気づいて荒い息をしながら走ってきた。洞窟にたどり着く者の数は少なく、時間がたつにつれテサケウムの見ている前でネフベト神に殺されていく者の数も減った。ついに砂漠の上で動く者はいなくなり、ネフベト神が大きな羽を広げて上空を旋回するのみとなった。ときどき砂漠に降り立ち、洞窟にいる人間どもをにらみつけ、威嚇の声をあげたが、なぜか洞窟に近寄ろうとせず、また高く飛び立っていった。
テサケウム達になすすべはなかった。見回すと生き残った者は30名ほどであった。皆おびえた目でテサケウムを見るばかりで、話をする者はなく、すすり泣く者の声も聞こえた。「夜になるのを待とう、闇にまぎれて脱出しよう。禿鷲の目は、夜は効かないはずだ。」そうテサケウムは言った。

夕日が沈みあたりが暗くなってくるとテサケウムはトト書が光を放っているのに気が付いた。はじめそれは夕闇にまみれたほんの淡い光であったが、テサケウムは悪い予感がした。砂漠が完全な闇に包まれれば淡い光と言えども目立ってしまうだろう。そうなればネフベト神の目を逃れることができるのかどうか。テサケウムはトト書を小さく丸め込み、布で幾重にも巻いてみたが、布を通してトト書は光り続けている。人の体で覆ってみても、体を通して光はぼんやりと見えているようだった。そのうち犬のような動物の長い遠吠えが聞こえた。何匹かで呼び交わしている。皆ぎくりとし、動揺が広がっていった。
「何だ、今度は何が来るんだ」「犬、みたいだな」「いや、もっと大きい奴のような気がする」「もっと、どう猛だな」
「あれはアヌビスだ。西の砂漠では墓守の神がうろついている、と聞いたことがある。」「アヌビスは墓の守護神だ、助けに来てくれたのかな」「馬鹿、我々を守りに来るわけがないだろ」
遠く砂漠の上を星明りのもと、唸り声をあげながらたくさんの黒い大きな影が行き交っている。争って何かにかみつき、先砕き、食べる音がきこえてきた。砂漠で饗宴が始まったようだった。誰も夜の砂漠を歩こうと言い出すものはいなかった。
「どうするんだ、このままで」「水と食料は、あるのか」
「そいつ、光っているじゃないか」誰かが言いだした。「そいつはトト書だな」「破滅をもたらす書だ」「悪魔の書だ」「トト書を持ち出すなど、初めから無理だったのだ」「いくら大王の命令とはいえ、できないものはできない。」「永遠の命がえられるだと?とんでもない」「そんなものは捨ててしまえ、生者の書などまっぴらごめんだ」「それは最初の1枚目だろう、あと何枚あるんだ」「無理だ、これ1枚だって持ち帰る前にみんな死んでしまう」

突然、洞窟の奥からけたたましい笑い声が響いた。生き残った大王の息子たちはびくっとして口をつぐんだ。
「お前たちには無理だ、人間にできることではない」しわがれた、異様な声だった。
「だれだ、誰かいるのか」
「その書物を持ち出すのにはやり方がある、お前たちは知らないようだが。」
「顔を見せろ、命が惜しければ」
「お前たちが、むかえに来い」
荷物から道具を取り出し、床に散らばる木材を手に持って火をつけた。テサケウム達はそれであたりを照らしながら洞窟の奥へと歩いた。洞窟はすぐに行き止まりになっていた。
「どこだ、どこにいる、姿を見せろ」
「どこをみている、ここだ、お前の足元だ。」
テサケウムは足元を松明で照らした。そしてあっと飛びのいた。砂に半分埋もれて、何か頭のようなものがあったからである。
「やっと見つけたか。掘り出してみろ。お前にその勇気があればだがな。」
テサケウムはその頭の毛をつかんで持ち上げた。砂がばらばらと落ちた。胴体のない人間の頭だった。眼窩に眼球はなく、ただ黒い穴が開いていた。その口が開いてしゃべりだした。
「愚かな人間よ、死ぬ運命が怖いようだな。」
「何者だ、お前は、名前は何という」
「俺の名前か。そうだな。オンボス、とでも呼んでおけ」
「・・・オンボス、町の名前か?」
「トト書の光を消すのにはやりかたがる。聞きたいか。」
「・・・」
「まあよい、教えてやる。トト書の光を遮ることができるのは、ただ、若い処女が織った絹の布だけだ。」
「処女の織った絹の布、だと?」
「それを袋にして書物を入れれば、ネフベトの目には見えない。それを信じるか信じないかは、お前さんがたの自由だがな。」
テサケウムと大王の息子たちの間で議論になった。「薄っぺらな絹の布で、光がさえぎられるわけがない」「こんな化け物の言うことは信用ならない」「食料も水も尽きた、こいつの言葉に従ってみるのも手だ」「神の怒りに触れたのだからここで死ぬしかない。」「すぐにでもここを出て川まで走れば何人かは助かるはずだ」「トト書を捨てて走るのならば助かるかもしれない」「トト書があるのがわかりながら持ち帰らなければ、大王がどれほど怒ることか。」「ただではすまされまい。逆に首尾よく持ち帰れば、俺達の待遇はみちがえるぞ」
 結局数人が名乗りを上げ、テサケウムと共に、処女の織った絹の布と、水と食料を調達しに行くことになった。一行は夜明け前に出かけて行き、一日が過ぎて夕日が沈んだ後の真夜中に帰ってきた。隊の数は半分になっていた。テサケウムは言った。「残りの何人かは戻ろうとせず、他は、やられた」
早速買い求めた布を取り出した。それは処女であるという何人かの若い女たちから買いもとめたものだった。早速トト書を包んでみた。多くはそのまま光を通してしまった。まんまとだまされたようであった。その中の一枚だけが、光を通さないものであった。
「本物の処女は、ひとりだけか。」「かわいい顔をしていて、こわいものだな」
オンボスが言った。「出発は、夜明け前がよいぞ、暗さが薄れて少しの光ならごまかしがきくし、ネフベトの目はまだ見えないからな。」

夜明けを待って出発した。アヌビスが朝の眠りにつき、ネフベトが目を覚ますまで、薄明の時間はわずかであった。処女の絹袋にトト書を入れ、それを荷物袋に入れてテサケウム達は走りだそうとした。その時、奥からまた声がする。「おれをつれていけ、きっと役に立つぞ」テサケウム達は顔を見合わせた。しかめ面の首を横に振るものがる。そのまま出て行こうとした。「俺を置いていくのか?お前たちだけで次のトト書を手に入れられるのかな。連れて行かないと、きっと後悔するぞ。」
テサケウムはえいとばかりオンボスの首を持ち上げた、オンボスはにやりと笑い、テサケウムは視線をそらして荷物袋に入れた。
「川まで突っ走れ」
テサケウムは走り出した。ナイルに向かって、殺された仲間の服や体の肉片が散乱する間を、仲間とともに一斉に走り出した。初めのうちは砂漠を見渡す限り動くものの気配はなかった。「なんだ、アヌビスもネフベトも出てこないじゃないか。」走り疲れて次第にゆっくりになり、そのうち一同は歩きだした。「まあ、大変だったが、これで最初の仕事は終わったな。」「トト書を取られた途端、ネフベトは目を覚ましやがったな。」「やれやれ、ひどいめにあった。」
「急いだほうがよいぞ、時間がないのが、わかっていないようだな」袋の中から、オンボスのあざけるような声が聞こえた。
そのとき、遠くのそらから、長く、空気をはり裂くような鳴き声が聞こえた。
「やばい、ネフベトだ」「目を覚ましやがった」
あわてて一斉に走り出した。死にもの狂いだった、
ネフベトは天を覆わんばかりに翼を広げて再び襲ってきた。ネフベトは一人、そしてまた一人と、大きな足爪で捕まえて高く空中に上がり、一行が走る目の前に投げ落とした。テサケウムは仲間の血しぶきを飛び越えて、ひたすら走り続けた。そう簡単には捕まるまいと右に左にうまく攻撃をかわした。一行は命からがらナイルのほとりにつき、船に乗り込んだ。生き残りは十数名、来るときは三艘あった船も、帰りは一艘で十分だった。
ネフベトは上空を舞うばかりで船には近寄ろうとせず、そのうちに諦めて帰っていった。
「どうして襲ってこないんだ」「ナイル川はネフベトの守備範囲外なのか」
袋の中からオンボスの声が聞こえた。「袋から出せ」テサケウムはオンボスの頭をとりだした。
「この船に術をかけた。おれがいなければ皆殺されていたところだ」

こうしてテサケウムは、2枚目のトト書を手に入れた。

船は下流に向かって出航した。ある者が、これがことわざでいう悪い船であると言いだした。それは誰にも明らかであるようにみえた。気味の悪い首がいけないのだと言い立てて、ナイルに捨てるようテサケウムに迫るものもいたが、その者はたちまち口がきけなくなった。首をナイルに投げ込もうとしたものは、逆に足を取られて川に落ちた。たちまちオンボスにさからう者はいなくなった。
船を操っていたものの意に反して、船が止まった。オンボスは川岸を見るように言った。ナイルのほとり、円形に植物の生えない場所がある。オンボスの指示で数名が船を下り、その丸い場所の中心を掘った。そこには丸い珠が埋まっていた。持って船に帰るとオンボスはそれを彼の何もない眼窩にはめ込むように言った。テサケウムがはめ込むと眼が開いてオンボスは見えるようになった。瞳が濁った邪悪な眼であった。船が少し進み次の丸く土地の禿げた部分に来ると、今度は片手が見つかった。持って帰ると首に手が直接付いた。その次には足、その次にはまた手というように、船が止まるたび、オンボスの首に体のいろいろな部分がでたらめに付いていった。ついた部分はゆっくりと動き、見るもおぞましい怪物となった。
大王の息子たちは怖気をふるった。船から抜け出そうと川に飛び込む者がいたが、いくら泳いでも岸にたどり着かなかった。船が川岸につき、食料の補給のため船を下りるのに紛れて逃走しようとする者も続出した。しかしいくら船から遠くへ逃げようとしても、たどり着く先はいつも元の船だった。すべての乗組員はオンボスの魔法にとらえられ、もはや逃げ出すことはできなくなっていた。

ナイル川を下るにつれ、オンボスの五体はしだいにそろっていった。新しい体の部分が見つかるたびに、新しいパズルピースがはめ込まれていくように、でたらめだったオンボスの体は人の形に近づいていった。しかし、ほとんどの体の部分が集まって、ほぼ人間に近い姿になっても、その体には力がなかった。椅子に座らせてもぐにゃりとして、まるでくたくたの人形が椅子に乗ったようであった。魔力もせいぜい船の中にしか及ばなかった。


ナイルを下って百の門の都を横目で通り過ぎ、船は下エジプトの、いくつもに枝分かれしたデルタ地帯に入った。オンボスが宣言するように、声を出した。
「目指すはウジャアトの神殿だ。第3のトト書はそこにある。大きな皮袋を用意しろ。それにナイルの水を入れるのだ。それを背負って神殿に行くぞ。理由は、いずれわかる。テサケウムよ、お前は水袋のかわりに俺を背負って行け。ウジャアトの神殿には人がたくさんいるはずだが、心配するな、お前たちの姿が見えないよう、術をかける。」
大王の息子たちは大きな革袋を川沿いの町で手に入れ、袋をナイルの水で満たした。

ナイルのデルタは行きかう船でにぎやかだった。あちこちの島では忙しそうに船に乗り降りする人たちの喧騒にあふれ、人や荷物を満載した多数の船が川を行きかっていた。ウジャアトの神殿のある島が見えてくるとますます船の数が増えたきた。多くが神殿への域帰りの巡礼者たちを乗せている。島の船着き場はそれらの船の接岸の順番待ちをしているほどだった。テサケウム達を乗せた船はそれに比べ大型だった。少しあいた船の間に強引に割り込み、非難の声が上がるのを無視して強引に船着き場に船をつけた。船着き場には階段があり、それがそのまま神殿の入口へとつながっていた。船着き場から階段まで多くの者が行き交い、それはさらにウジャアトの神殿までつづいていた。テサケウムはオンボスを背中に担ぎ、首からトト書の入った袋を下げた。その格好で船着き場に降り立ち、そのあとを水袋を背負った一行がつづいた。船の無茶な接岸と言い、異様な姿をした一行と言い、周りの目にはかなり目立つはずなのに、テサケウムの一行を気にしている人はいなかった。オンボスがむにゃむにゃと魔法をかけたためである。
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コブラの石像の並ぶ前庭が終わると、大王の姿が彫刻されている巨大な壁があり、その下部に神殿の入り口があいていた。一行は人々の行き交う参道を堂々と歩いて神殿の中に入っていった。「前へ進め、右だ、そこを左だ」背負われているオンボスがテサケウムの耳元でささやいた。テサケウムは言われるままに歩いた。神殿の中は巡礼者や物売りなどで込み合っていたが、テサケウムの目の前で次々に人の間の隙間ができ、その間をすり抜けることができた。そして一番奥の、コブラの形をしたウジャアト神像のある奥の広間にたどり着いた。そこは多くの巡礼の者でごった返し、警備の兵士が広間の四隅に待機していた。兵士たちはだらしなく談笑し、居眠りしているものもいる。
テサケウム達はウジャアト神像の目の前の供え物が積んである台の下まで行った。供え物は新しいものから、埃をかぶった古いものまであるようだった。「よしそこだ、場所はそこでいい。捧げものの下の方を探れ、四角い木箱がある。崩すなよ。」テサケウムは重なり置かれた供え物を慎重に移動した。一番下にネフベトの神殿で見たのと同じ白い木箱が現れた。「そうだ、それだ。箱を開けて見ろ」テサケウムはためらった。見上げれば石の像とはいえ、ウジャアト神が見下ろしている。まだ気づかれていないが、広間の四隅には警備の兵士たちが多数いる。どう見ても目立つはずだった。悪夢の記憶がよみがえり、テサケウムはためらった。
「どうした、心配か、今度は俺の魔法をかけてある。早くしないと、術が切れるぞ」
思い切ってテサケウムは手を伸ばし、木箱をつかんだ。ゆっくり開けていくと、中に白いパピルスが入っている。パピルスをつかみ、一部広げて見た。できたてのような白と香りの、みずみずしいパピルス。素晴らしく美しい文字。
「はやく処女の袋に入れろ。気付かれるぞ」オンボスの声にテサケウムは我に返った。気が付けばパピルスが淡く光りだしていた。テサケウムはあわてて処女の袋の中にパピルスを押し込もうとして、手が供え物の山にあたった。その一部が崩れ、台から下に落ちて音を立てた。周りにいた巡礼者たちがはっと気がついて、一斉にテサケウムの一行を見た。一瞬の沈黙ののち、つんざくような叫び声が上がった。兵士たちがあわてて武器をつかみ、走ってくる。
「馬鹿者、何をしている、走って船まで戻れ。」
大王の息子たちはあわてて走り出した。行く手に邪魔な巡礼者たちを押し倒し、強引に道筋をつけながら走った。切りつけてくる兵士にはオンボスが魔法をかけ、動かなくした。ようやく神殿の明るい出口が見えてきた。

その時であった。グオウーッと神殿を揺るがすほどの恐ろしいうなり音が響いた。振り返ると神殿の奥から、無数のコブラが次々と現れている。そいつらは床の上を滑るように移動し、襲ってきた。驚いて叫び声をあげ、逃げ出そうとする巡礼者たちが神殿の出口に殺到した。うまく前庭に逃げだしても、石像の口から、無数のコブラがあふれだしていて待ち構えていた。コブラは鎌首をもたげ、動くものなら見境なくかみついてくる。次々に巡礼者達が倒れ、大王の息子たちも倒れていった。生き残っている息子たちの多くは、身軽になって逃げるため水袋を放り出して走っていく。島は逃げ惑う人々で大混乱になっていた。テサケウムの背中でオンボスがまじないを唱えると、入り乱れる群衆の間に一筋の通路ができた。そこをテサケウム達が駆け抜けようとしたとき、地響きのような轟音と共に、神殿から赤い炎が、まるで蛇の舌のように噴き出してきた。炎は見境なく人々を巻き込み、焼き殺していった。テサケウムと、水袋を最後まで捨てなかった数名は、炎に包まれてもやけどすることなく、階段を駆け下った。水袋のないものは、焼け死んだ。生き残った者は船へと飛び乗り、荒れ狂う炎に包まれた島を後にした。

こうしてテサケウムは、3枚目のトト書を手に入れた。

「次の書は、西にある。西の、死者の国に。オシリスがそれを守っている。これから、それを取りに行く。」
もはやオンボスは恐怖の支配者だった。オンボスの無茶な話に大王の息子たちはただ虚脱して聞いているだけで、命令に逆らう勇気のあるものはいなかった。3つの大ピラミッドがある場所に船をつけ、肩を寄せ合って砂漠に降り立った。日の暮れていく西に向かって砂漠を歩き出した。
ピラミッドを過ぎると見渡すばかりの砂漠だけになった。太陽が砂漠に沈み、星が空に現れて数が増え、あたりが薄暗くなってくると、周りに、一緒に西に向かって歩いていく人たちが見えてきた。一人一人が別々に歩き、口をきく者は誰もいない。初めは少人数に見えたが、暗くなるにつれ、すごい人数が砂漠の上を歩いているのがわかった。テサケウムはその中の一人に声をかけて見た。
「少し聞くが、お前たちはどこに行こうとしているのか」返事はない。
「私はアセンメト大王の息子、テサケウムだ。返事をしろ、お前たちの行先はどこか。この先には何があるのか」黙々と歩くばかりで、表情すら変わらない。
テワケウムの背中のオンボスが笑い出した。
「聞いても無駄だ、この者たちは死んだ者たちだ。今日はまとめてたくさん死んだからな。今頃はさぞやオシリスも忙しいことだろうよ。」

満天の星の夜空になり、地平にピラミッドの黒い三角形の形が現れた。その手前に小さな明かりが見える。歩くにつれてそれが次第に大きくなり、ピラミッドの手前に神殿のような建物が見えてきた。その門の中は明るい光で満たされていた。人影が次々にその光の中に入っていくのが見える。
「死者の門だ。いずれお前たちもあそこを通るわけだが、今は入ることはできない。脇道からいくぞ。」
大きく迂回して死者の門の裏側であるピラミッドの背後に回った。ピラミッドは小型の造りであった。裏側の中央の場所に来ると、オンボスはテサケウムに止まるように命じた。星明りしかない砂漠は暗く、石造りのピラミッドの表面には何もなかった。
オンボスは呪文を唱えた。
「この世の西に在るもの、永遠の主人、オシリスの、心臓を奪い去る者が言葉を与える、動けイダルの石。」
一つの石が動き出してぽっかりと穴が開いた。中から薄明かりがもれてくる。
「さあ冥界への入口が開いた。中に入れ。もし戻りたければ、今のうちだ。うまく戻ることができれば、の話だがな。」
テサケウムは一歩を踏み出した。中はものの形がようやく見えるほどの薄明かりがあった。手で壁を探りながら前へ進んだ。顔を見合わせていた残りの者たちも、意を決して後からついてきた。通路は右、左に曲がり、長い階段を下った。ようやく階段の下に降り立つと、はるか遠くに薄明かりが見えた。テサケウムの一行は光に向かって進んだ。
通路の果ては扉になっているようだった。扉の隙間から光が漏れているのだった。扉に手をかけたが全く動かなかった。
「待て、この扉も、力づくでは開けることができない。」そう言って、オンボスは再び呪文を唱えた。
「この世の西に在るもの、永遠の主人、オシリスの、心臓を奪い去る者が言葉を与える、開けマアトの扉。」
テサケウムは扉に手をかけて右へ引いた。扉は簡単には開かず、動かすためには満身の力が必要であった。ゆっくりと扉が開くにつれ、縦長の強い光がテサケウム達の顔にあたり、光は一行を照らし出した。

大きな、とてつもなく大きな広間が目の前に広がっていた。光の中で多くの人影がうごめき、いく人もの声が朗々と響いている。
「死者として墓所にやってきた者よ、おまえは天にあっては太陽神ラーのように・・・」
「輝やけるものよ、オシリス神のように豊かであらんと欲する者よ・・・・」
「心臓の宮殿に、わが心臓とともにあらんことを。われに口を与えて魔法で語らしめよ・・・」
広間には青白い顔をしたたくさんの死者が列をなしてつめかけていた。オシリス、イシス、トトなどの神々は死者達へのあいさつに忙しく、侵入者には気付いていないようだった。
「おまえたちを魔法で隠す、おれから離れるな」オンボスの命令で数名の侵入者たちは身を寄せ合って広間を抜け、ゆったりとした白い衣に着替えた死者たちと一緒に、緑豊かな死者の国へと入っていった。

生きているものの世界では死者は見えない。逆に、死者の世界では生者は見えない。死者の国の人たちは、この世と同じように畑を耕し、収穫物を車に満載して道路を行きかっていた。神々が総出で新たな死者たちの対応にあたっていたので、見つかる心配はなかった。
死者の国には小高い丘があって、その上にオシリスの神殿があった。死者の国ではどこにいてもその神殿が見えた。壮麗な白亜の神殿の周りには緑の木や草が豊かに生えていて、花盛りであった。一行は丘のふもとにたどり着き、神殿に至る石段を登りだした。石段を登る人もほとんどいないようで、落ち葉や枯れ枝がちらばり、石の間に草が生えていた。丘全体の緑が石段とその上に続く神殿へと続く参道を覆い尽くそうとしていた。小川が流れ鳥は歌い、暖かい光に満ちていた。人の姿は全くない。時折猫やサルなどの小動物が一行を覗きに来た。

緑は神殿の中にまでずっと続いていた。明るい光が神殿の中に降り注いでいる。一行はとがめられることもなく、あっさりと神殿の中に入っていった。神殿の中は植物が生い茂り、花々が咲き誇っていた。さわやかな風が吹いていて、蝶が舞っていた。まっすぐ道は続き、大理石の祭壇がある場所に至った。周りは緑が押し寄せ、祭壇の上は葉が散り落ちて、一部が土をかぶっている。そこに 木箱が無造作に置いてあった。一行は神殿の中を見回した。緑や花がみえるばかりで、ときおり鳥の鳴き声がするだけで、人影はもちろん、神々の石像もなかった。テサケウムは木箱を手に取った。そして中にあるパピルスを取り出してみた。白いパピルス、できたばかりのようなその香り、今書いたばかりのような文字の鮮やかさ。トト書であるのに間違いはなさそうだった。


皆は耳を澄まして周囲をふたたびうかがった。神殿の中は鳥がさえずり、昆虫の羽音が聞こえ、おさまった。
何も起きなかった。一同はほっとして互いの顔を見た。
「死者の国だからな、まさかここに人間が来るとは思っていないだろう」「まして盗人がね。」
皆どっと笑い、すぐに口をつぐんで周りをうかがった。それでも何も起きなかった。テサケウムはパピルスを丸めて処女の袋の中に入れ、他のトト書と一緒にした。

こうしてテサケウムは4枚目のトト書を手に入れた。

一行は帰り道を歩き出した。陽気な気分になり、鼻歌を歌いだすものもいた。林立する新神殿の柱の間を、相変わらず暖かい光が降り注ぎ、鳥は歌い、花々は咲き乱れていた。しばらくしてから仲間の一人が言った。
「おかしいな、もうとっくに神殿から外に出ているはずだが。」
「入り口から祭壇まで、こんなに遠くではなかったはずだなあ」
緑の中の小路はうねうねと続き、周りの様子に変わりはなかった。
皆立ち止まって顔を見合した。そして仲間の一人がいなくなっているのに気が付いた。皆、驚愕の表情に変わった。
「どうなっているんだ、やつはさっきまでいたはずだが」
各々が大声で仲間の名前を呼んだ。耳を澄ませたが、返事がない。驚愕が恐怖の表情に変わっていく。
「やっぱり見つかったんだ」「ただですむわけがないんだ」
オンボスがぽつりと言った。「オシリスめ、つまらない仕掛けを作りおって。」
「急ごう」テサケウムは走り出した。走っているうちにほとんど我を失った。

神殿の中は迷路になっていて、限られた敷地の中に広大な森林が封じ込められていた。近くに見える神殿の一番外側にある列柱に向かって歩いても、道は森の中を右や左にこんがらがって曲がり、いっこうに神殿の外に出ることができなかった。はぐれて一人、また一人と仲間が減っていく。ついにオンボスを背負ったテサケウムただ一人になった。全身から汗が噴き出していた。
「落ち着け、道はだめだ。オシリスの魔法がかかっている。小川を探せ。川の流れは必ず神殿の外に出ているはずだ。」オンボスの声にテサケウムは立ち止まった。耳を澄ますと川の音が聞こえた。そこに向かって、深い草を分け入って小川のほとりに出た。
「川に入れ、それをたどって下流に行け。」
テサケウムは小川の中を歩いた。下流に向かうと小さな池に出た。咲き乱れたロータスの花の間に、小舟が浮かんでいた。ほんの一人か二人乗れるだけの、小さな小舟であった。小舟の中に枯葉が散り積もり、少し水漏れしているようであった。
「ちょうどいい、あれに乗れ」
テサケウムは船を岸に引き寄せ、中の落ち葉や水をできるだけ掻き出した。木でできた古い船で、今にも壊れそうな危なっかしいものであった。
「小舟に乗れ。」
「俺が一緒にいる間は、大丈夫だ。」言われるままに小舟に乗った。小舟は大きく揺れた。
「仲間を呼んでもいいか。」
「まず無駄だが、呼びたければ呼んでみろ。」
テサケウムは大声で仲間の名前を呼んだ。幾度か呼んだが、反応してくる声も物音もなかった。
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池は淀んでいて、水はまるで動いていないように見えた。池の真ん中に小舟を浮かべ、じっと待った。静かだった。どれだけの時間が経過しただろうか、しばらくすると小舟はごくわずかに移動したようだった。
「あっちだ。」
船の中の櫂を取り、テサケウムはゆっくりと漕ぎ出した。森の木に覆われた池の岸のさぐり、ようやく水がゆっくり流れだしている小川を見つけた。
初めは流れがわずかであったので、船を引いて歩いていたが、そのうち川幅が広がってふたたび船に乗ることができた。ゆったりと流れていた小川は次第に速さを増し、波だってきた。テサケウムは船から落とされまいと必死に船べりをしっかりとつかんでいると、急に周囲の視界が開け、テサケウム達の乗った小舟がオシリスの神殿からようやく出たことがわかった。
「よし抜け出した、このままいくぞ」
そのとき、にわかに神殿の中の鳥の鳴き声が騒がしくなった。ふりかえると神殿から何か盛んに飛び出してくる。それは蜂などの昆虫、鳥、そして動物などであった。次から次へと群れをなして神殿を出てくる。それがテワケウムをめがけてやってきた。
「厄介なものが出てきた、噛まれたり刺されたりするな、あとが面倒だぞ」そして櫂に手を触れて言った
「櫂で戦え、これに魔力を持たせる。」オンボスが低い声で呪文を唱えだした。

まず鳥の襲撃から始まった。右、左、背後から猛スピードで突っ込んでくる。テサケウムは櫂を振り回した。飛びかかろうとした鳥は、櫂の一振りで吹き飛ばされ、運悪く櫂に触れるとぼとんと落ちて死んだ。次いで蜂や蠅蚊の襲撃が加わり、岸では猫などの小動物が舟と並走して飛びかかろうとし、水の中からは泳いできた蛇が船に這い上がってきた。テサケウムは無茶苦茶に櫂を振り回し、そのたびに動物たちは撃退され、小舟の中に死骸がたまっていった。
にわかに水の音が大きくなった。小川は今や急流となり、大きく小舟は揺れて転覆しそうになった。川の行先を見ると地面もろとも途切れていて、滝になっていた。
小舟から振り落とされまいと船べりをつかんだテサケウムの腕に、蜂が一針刺した。焼けるような激痛がテサケウムに走ってうめき声をあげた。
小舟はそのまま滝からおち、テサケウムは気を失った。

「テサケウムよ、死ぬな、まだお前が必要なのだ。」
オンボスの声でテサケウムはうっすらと目をあけた。船は川の上をゆったりと流れている。右腕が焼けるように痛い。オンボスがテサケウムの顔を横から覗き込んでいる。天空は青く、あたりは明るいのに星がたくさん見えた。
「テサケウム、わかるか。あらん限りの呪文で、お前の命をつなぎとめた。まだ痛むだろうが、これでもかなりましなのだ。」
右腕は真っ赤に腫れ上がっていた。
テサケウムは上体をあげて周りを見た。ナイル川よりはるかに大きな、見たこともない川だった。色は青く、天と同じように無数の星が川の中に輝いていた。

テサケウムは遠くの川面に何かを見つけた。
「何か見えます。船、でしょうか。」
「ああ、いよいよおいでなさったな。あれはラー神の船だ。太陽を乗せて、黄泉の国を旅しているのだ。もうしばらくするとここを通る。ちょっと訪問して、頂き物をしていこう。」ニヤッとオンボスはわらい、呪文を唱えた。「我々が見えないよう呪文をかけた。動くなよ、気付かれるからな。櫂を手放すな。」
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  (その4に続く)

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