時間の庭  ユベール・ロベール展を見て その1

国立西洋美術館にユベール・ロベールの展覧会を見に行った。
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http://www.nmwa.go.jp/jp/exhibitions/past/2012_231.html
既に終了していて、あとは福岡と静岡に巡回していくらしい。
http://www.fukuoka-art-museum.jp/index.html
http://www.spmoa.shizuoka.shizuoka.jp/japanese/


 画家ユベール・ロベールといわれても、廃墟のロベールといわれても、今ひとつピンと来ない。ルーベンスやレンブラントといった超一流の画家に比べると、有名度では一歩下に位置する人なので、美術好きでも私同様彼の名前になじみの薄かった人は多いに違いない。ルーブル美術館の完成予想図に加えて廃墟となったルーブル美術館を描いたといえば、そういえばそんな絵もあったかなと思うくらいだ。生きている間は大変な売れっ子の画家であったらしい。

 廃墟に関して言えば、彼が生きた時代ばかりでなく、今の時代でも多くのマニアがいるようだ。インターネットで廃墟を検索してみればいくらでもヒットしてきて、見捨てられた住宅、寺院、ホテル、鉄道、さらには見捨てられた一つの町そのものなど、そういったところを探検する愛好家達のサイトがたくさんある。私もどうやらまんざらではないようで、そういったサイトの閲覧をしだすと時がたつのを忘れてしまうほど見入ってしまう。ユベールロベールはそういった廃墟マニア達の嚆矢あたりの位置に属する人である、とでもいえようか。
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 展覧会のカタログにある年表を見てみると、この人は1733年パリで生まれ、1808年にパリで死んでいる。フランスではその間に1789年のフランス革命や、1804年のナポレオンの戴冠があったから、まさに歴史の転換点の、嵐のような激動の時代を生きた事になる。その時代を通して常に沈むことなく第一線で仕事を続けたわけであるから実にたいしたもので、相当の苦労もあったに違いない。きっと彼は大変な努力家のタフガイで、それに加えて性格や人当たりの良さからくる人望もあったのだろう。そうでなければ、とてもこの危険な時代の荒波を超えることはできなかったろうと思う。

 彼の人生の最初の転換点は、21歳から11年間のイタリアでの絵画修行であったようだ。はじめはフランス外交官の随行員に紛れ込ませてもらったようで、途中から正式に画家として仲間に入れてもらっている。よほど将来を見込まれての特別待遇であったのだろう。そのころのイタリアではローマ時代の遺跡の発掘が盛んで、それに熱中する権力者達が次々に現れて、ヨーロッパ中のブームになっていた。残念ながら当時は発掘、というよりは盗掘や遺跡破壊とさして変わらないもので、めちゃくちゃに掘り返しては、見つけた値打ちものを権力者のコレクションにしてしまうといった「発掘」であったらしい。ユベール・ロベールの絵にも、遺跡から石のレリーフを特殊なのこぎりで切り取っているスケッチがある。彼もまた遺跡めぐりをしていて、1760年には有名なポンペイにも足を伸ばしている。
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 ロココ美術で有名なブーシェ、フラゴナールなどは同世代の人で、彼らもまたイタリアで修行していたようだ。そのころの彼らの絵もあわせて今回の展覧会で展示されていた。彼らの関心は建物よりは人間の描写に重点が置かれていて、人物像に関しては彼らのほうが愛らしく生き生きと描いていて、ユベール・ロベールの人物よりずっとうまいと思う。ただ、建物は人物の付属物にしか見えない。

 ユベール・ロベールの絵には独特の魅力がある。遺跡の建物が作り出すその空間の、大きな広がりを描くのがうまい。さらにその中に小さな刹那的な現代の人間の営みを配することにって、はるか古代ローマの時代から続く悠久の時間の流れを絵の中に感じさせてくれる。廃墟の中に庶民を配しその生活感を出すことによって、滅んだ文明の崩れた建物が、まるでまだ生命を保っているような錯覚を、わかってはいるのに起こさせてしまう。彼は、遺跡を見ながら、その中で夢を見ることができる人だったのだと思う。
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 32歳でイタリアから帰国した後、ユベール・ロベールはパリで華々しい活躍をすることになる。34歳でサロンで出品した遺跡絵画が評判になり、それがきっかけで王家や貴族殻からの仕事が次々に入るようになる。廃墟の画家といわれるようになり、さらに庭園設計が入りだす。私生活ではこの年に結婚し3-4年おきに子供を授かるといった、充実した順風満帆の人生を歩みだしている。(残念ながらお子さんは皆夭折したようだが。) 44歳で王立庭園設計士、51歳で王立美術館ルイ16世絵画コレクション管理者と、画家として順調に出世した。そのころのは風景や遺跡の絵より、神話を題材とした絵画のほうが価値が高いとされていたから、神話画をほとんど描かないユベール・ロベールの栄達は例外的であったのだという。よほど評価されてのことだったのだろう。

 しかし1789年、フランス革命が起こる。貴族が支配する時代は終わり、第三身分とよばれる庶民が権力を握る。それまであった社会秩序は破壊され、社会は混乱する。1993年ルイ16世が処刑され、ロベスピエール率いるジャコバン派が政権を握ると恐怖が政治を支配するようになる。かつて支配していた人たちへの憎しみと、反革命性勢力にいつ倒されるかわからないという恐怖から、少しでも怪しいと思われる人を逮捕し死刑にしていた。手始めにマリー・アントワネットから、革命広場(現在のコンコルド広場)において、ギロチンにより連日数十名の公開処刑がおこなわれた。

 ユベール・ロベールは王家や貴族相手に仕事をしていたものだから、当然王党派とみなされたのだろう。その年の秋には逮捕、投獄され、形式的な裁判の後死刑を言い渡されたようだ。画家一人を処刑しても何にもならないが、その頃は意味もなく処刑されていた人がたくさんいたので彼が特別だったわけではない。しかしどうしたものか、処刑当日に人違いがあって処刑を免れたのだという。多分、彼は人間的に魅力ある人物だったので、死刑判決に心を痛めた第三者が、何か細工をしたのではないだろうか。当時の逮捕から死刑執行に至る手続きは出鱈目だったから、そんな事もおきたのだろう。

 当時の革命裁判所での裁判はいい加減で、すでに裁判の前から死刑判決文が出来上がっていたことが多かったのだという。証言も控訴も弁護も何もなく即刻判決が言い渡される。裁判では、私は想像するに、彼はこのような自己弁護をしたのではあるまいか。

 「告訴状にあるとおり、私はこれまで王家や貴族の方々から仕事を請けおってまいりました。私は王家の庭園の設計士であり、王のコレクションを管理する立場にあったものです。しかしながら、私自身はもともと貴族ではないのです。貴族とは生まれながらにして、お金を第三身分からむしりとるばかりで、自らは働かず、納税もせずに毎日遊び暮らしていた特権的な人たちのことです。私は彼らとは違います。若い頃より絵画の技術習得に励み、努力に努力を積み重ねてまいりました。毎日毎日汗水流して仕事をして、それにより日々の報酬を得ているものです。これは全くもって第三身分の方々と同じなのであります。私は貴族に私の絵を売りましたが、私の魂は売りませんでした。それが証拠に、私がこれまで描いてきた絵をご覧ください。私は人物を描くときには常に第三身分の方々を描きました。私が絵の中に貴族の方たちを描くことは、ほとんどありませんでした。なぜなら、 私の心は常に第三身分の方々と共にあったからです。私は画家で、仕事がなければ生きていく事ができません。たまたま仕事を与えてくれたのが貴族の方たちであったというだけのことです。決して貴族の仲間入りをしたかったのではありません。私の心は常に第三身分の方たちの中にありましたし、これからもそうありたいと思っているのです。」

とか何とか言ったのではあるまいかと思う。もしも裁判のとき、彼に弁明の機会が与えられていたならば。

 1994年7月テルミドールのクーデターによりロベスピエールが処刑されるとようやく恐怖政治の時代が終わり、処刑後ユベール・ロベールは釈放される。その後は革命政府に協力し、ルーブル美術館の整備に力を尽くすなど、精力的に活動を再開した。

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 彼がまだ20歳代でイタリアに絵画の勉強に行っていたころのこと。

 彼は友人の画家と一緒にイタリア各地を旅行しながら、建物や絵画、それにローマ時代の遺跡をスケッチしてまわっていた。一つの町に着くと、まずは町の人に聞き込みをしながらスケッチのポイントとなる場所を探して歩きまわる。ある程度の目星をつけてからその場でスケッチ帳を開き赤チョークですばやく輪郭線を描いていった。ある程度描くと、次の場所に移って新しいページにスケッチを始める。一日に何枚も描いて宿屋に帰り,部屋の中でスケッチを見返しては未完部分に手を入れた。彼は仲間内で一番の努力家で、ほかの画学生が遊んでいる間も、イタリア絵画を訪ね歩き、スケッチをしたり、読書したりと、人一倍の努力をしていた。
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 そんなある日のこと、ユベールはいつものようにスケッチ帳を携えて、遺跡の散在するある村を訪れた。村の農家の建物がぽつぽつ続くその隣に遺跡は連なっていて、風景の中に遺跡は完全に溶け込んでいた。彼は午前中熱心に見回しながらあたりを歩き、ようやく絵の題材になりそうな所を見つけた。そこはくずれたレンガの壁に三方を囲まれて、大きな石がいくつも重なるようにころがっている場所だった。石の一部には何かの装飾や、レリーフなどがわずかに残っていて、それらがかつては柱や壁の一部であったのであろうと想像された。敷地の中には木が何本も生え、太陽の強い光のなかで、石の上に気持ちよさそうな影をつくっていた。レンガ壁の比較的よく残っている区画に、村の人が簡単に屋根を乗せ、扉をつけて物置にしている場所もあった。そこまでの人の通る道を除いて、あたりはぼうぼうの草に覆われていたが、よく見ると草の茂の中に円形の構造物らしき一部が見える。
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 彼はあちこちに移動してよいアングルを探し、場所が決まるとスケッチ帳を開いて熱心に写生を始めた。スケッチをはじめようとしてすぐ気付いたことは、この円形の構造物は、かつてここにしつらえられた人工の池ではなかったかということだった。どうやらここは中庭の一部で、くすれたレンガ壁を外壁とする大きな家が、ここには建っていたのかもしれない。池のある中庭が中央にあって、その周りを回廊が取り囲んでいる。その外側にあった小部屋の一部がまだ残っていて、今では村人達が物置として使っている。そういったかつての邸宅の中庭のふちに、今自分は立っているのかもしれない。そんな事をスケッチをしながらユベールは思った。

 青空の下、イタリアの輝く太陽でユベールはけだるくななった。そういえば朝からあまり食べていない、途中水を少しばかり飲んだだけだ。太陽の光が遺跡の石に照り付け、それをぼんやり見ていた。そこに小さなトカゲがチョロッと這い出してきた。青黒い光沢のあるきれいなトカゲだった。ロベールはトカゲをじっと見た。トカゲはしばらく動かなかった。さわさわと風が吹いてきて木の枝が揺れ、木陰もゆれた。トカゲは何かに気づいたようにさっと石の下に隠れた。

 ほんの一瞬、ユベールは夢の中に捉えられたようなふわっとした感覚に包まれた。気づくと眼の前の石の上に娘が座っている。田舎風のこぎれいな服を着て、じっと彼の顔を見ていた。驚くほど美しい娘であった。ロベールはびっくりして思わず帽子を取りあいさつをした。娘はにっこりと微笑んだ。まるで、昔からの知り合いに会った時のようなほほえみ方だと、ロベールは思った。

「このあたりに住んでいる方ですか。」
娘はうなずいた。   
ユベールは近所の農家を思い出した。「私は画学生で、このあたりの遺跡のスケッチをしてまわっているのです。ほらこのとおり。」 と、ユベールは自分のスケッチ帳をみせた。
娘は立ち上がり、彼の近づいてきた。そして差し出されたスケッチを見た。さやさやと風が吹いて娘の髪の毛が揺れた。娘はスケッチ帳から顔を上げた。ユベールの顔をじっと見るその瞳はうるんでいるように見えた。娘はさっと体を寄せてきて、彼の胸に全身をもたせ掛けてきた。

 彼はおどろいてスケッチ帳を取り落とし、一歩あとずさりした。イタリアの女性は情熱的だと聞いているが、初対面なのにいきなりここまで積極的だとは。彼はゆっくりと娘の肩の手をおいた。娘は動かなかった。彼は肩から背中のほうへその手をおろしていった。娘はふっと吐息をもらし、娘のほのかな香りが彼を包んだ。ユベールは思った。さてはこいつは娼婦なのだな。どんなところにでもその手の女はいるものだが。生まれながらの娼婦というやつかもしれない。こんなにきれいな顔をして、そういうことか。よくわかったぞ。
 彼は遺跡の中を見回し、その片隅の村民の物置に目を留めた。そこに娘を連れて行き、扉を開け、娘を招いた、娘は嫌がるそぶりもなく、素直に彼にしたがって物置に入った。彼は扉を閉めた。・・・

 ・・・しばらくの後、彼は扉を開けて出てきた。地面に落ちているスケッチ帳を拾い上げた。娘も身づくろいをしながらあとから出てきた。二人は遺跡の石に座りった。ユベールはスケッチ帳をめくりながら話しかけ、娘はうなづいたり首を振ったりし、二人は時々キスをした。ユベールはポケットを探って娘に多めのお金を渡した。娘は渡されたお金を両手の中でじっと見た。何か言いたげに彼の顔を見上げる娘をそのままにして、彼は笑顔で手を振って帰っていった。

 彼はその遺跡に3日間通った。娘は毎日同じ場所で待っていた。会うたびに彼は娘にお金を渡した。一度近くの遺跡を案内してほしいと娘に頼んだ事があったが、娘はただ首を横に振るだけであった。
ロベールは遺跡に遊びに来ているわけではなかったので、旅行の予定を延ばすわけにはいかず、娘には黙って次の町に行ってしまった。そして新たに遺跡を探し歩いてはスケッチをしたり、有名な絵画をたずねて模写するなどの体験に心を奪われた。あの娘との3日間のアバンジュールのことなどはすぐに忘れてしまった。


 それから数年後、ユベール・ロベールはイタリアでの絵画修行を終えてパリに帰った。彼はイタリア修行で得た絵画技術を駆使して精力的に絵を描きはじめた。彼はまず、どのように描いたらほかの画家よりも、自分の絵が人々の関心を引けるのかを考えた。彼は当時流行していた遺跡などをテーマとした懐古趣味の絵画に、自分なりの新たな解釈を入れた。それは、遺跡の空間の中で、同時代の村民達が生き生きと生活しているというスタイルであった。展覧会に出品すると、その独特なノスタルジックな雰囲気は新鮮で、人々の間で評判になった。彼は帰国後1-2年のうちに新進気鋭の画家として大きな成功を収めた。

 彼に会った人は、彼の穏やかな人当たりの良さ、エネルギッシュでありながらも誠実な仕事振り、楽天的で開放的なその性格に魅了された。廃墟のロベールとあだ名され、一躍流行作家となった。絵画アカデミーの会員になり、まもなくその有力会員になった。有力貴族の館を飾る絵の注文が次々に入り、ついにはフランス王家からも声がかかった。彼は体がいくつもあっても足りないほど忙しくなった。城や宮殿を飾る絵画製作をはじめ、諸々の美術装飾に関する相談。庭園設計やその造営、さらにはその管理。しだいにフランス国王が彼の重要なパトロンとなっていった。ユベールは画家としての高い栄誉に浴し、完全な成功を収め、宮殿の一角にアトリエを構えることを許された。それでいて決しておごり高ぶることはせず、膨大な仕事を着実にこなした。注文の納品期日が迫ると朝早くから夜遅くまでアトリエにつめることもしばしばだった。自宅に帰る暇もなくなりアトリエに寝泊りすることが続いても、疲労した様子を見せなかった。私生活では、イタリアから帰国後まもなく彼は結婚をした。妻の名前はアンヌ・ガブリエル・ソーといった。生活は裕福で、数名の使用人がいるこぎれいな邸宅を構え、穏やかで優しい妻とのあいだには子供が生まれた。幸福な家庭であった。家族の絵を描き、満ち足りた顔つきの自画像も描いた。
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 彼の廃墟をモチーフとした絵画は、彼のイタリア修行時代のスケッチが元になっているものが多かった。ある時彼に大型絵画の注文があった。彼はいつものようにイタリア時代のスケッチ帳を開いてぺらぺらとめくり、その中の一枚を選んだ。それを手がかりにしながら、まずは絵のテーマを決める。描くモチーフを決め、大まかな構図を決める。小さなデッサンをいくつも描いた後、本格的に大型の油絵に取り掛かった。

 遺跡のくずれたレンガの壁に三方を囲まれて、大きな石がいくつも重なるようにころがっている。石の一部には何かの装飾や、レリーフなどがわずかに残っている。敷地の中には木が何本も生え、太陽の強い光のなかで、石の上に気持ちよさそうな影をつくっていた。レンガ壁の比較的よく残っている区画に、村の人が簡単に屋根を乗せ、扉をつけて物置にしている場所もあった。そこまでの人の通る道を除いて、あたりはぼうぼうの草に覆われていたが、よく見ると草の茂の中に円形の構造物らしき一部が見える。

 ユベール・ロベールはその絵の仕上げの段階に入っていた。夜は更けてあたりは静まり返り、一人アトリエで仕事に熱中していた。出来具合を確かめるため数歩下がって、離れた所から絵のでき具合をじっと見ていた。その時であった。

 絵の中で、太陽の光が遺跡の石に照り付けている。その描かれた石の上を、小さなトカゲがチョロッと這い出してきた。青黒い光沢のあるきれいなトカゲだった。ユベールはあっと驚いてトカゲを見た。トカゲはしばらくじっとしていた。絵の中にゆるやかに風が吹きだし、木の枝が揺れ、その影もゆれた。トカゲは何かに気づいたようにさっと石の影に隠れた。ユベールはほんの一瞬夢の中に捉えられたようなふわっとした感覚に包まれた。はっと気付くと、絵の中の石に娘が腰かけていてこちらを見ている。ゆったりとした古代ローマの白いトーガを着た、輝くほどに美しい娘であった。ロベールは驚きのあまりその場から動けなかった。そしてかつてのイタリアの廃墟の村で過ごしたあの3日間のことを一瞬のうちに思い出した。その時の娼婦、その人が目の前に座っている。娘は立ち上がり、絵の中からアトリエの中へと踏みだしてきた。

「あなたにお会いしたかった、どうしてもお会いしたかった。」
「あなたは、あのときの・・・」
「あなたにやっと会えたのに、3日間であなたはいなくなってしまった。」
「いったいどういうことなのだ・・・」
「私の願いがようやく聞き入れられたのです、私は長い間祈り続けていたのです。」
「あなたはいったい、誰なのか・・・」
「私はユリア、私の名前はユリア・ディオメデス。私はこの庭のある家に住んでいます。」
「私はあの頃、イタリアに絵画の勉強に行っていたのだよ。たしかスケジュールは延び延びになっていて 私はすぐに次の町に行かなければならなかった。」
「私は祈り続けていたのです、千数百年もの長い時が経ち、あなたは再びやってこられた。」
「千数百年、・・・どういうことだ」
「それに比べれば10年などはあっという間のこと、あなたはまた戻ってきてくださった。再びあなたは戻ってきて、あの日と同じ場所に立ってくださった。」
「同じ場所に、私が立ったというのか。」
「そう、その場所がこの庭の一角の、全く同じ場所になるのです。私はあなたが帰ってくるのをここでずっと待っていました。」

 娘はユベールのアトリエの中を見て回った。製作途中の、もしくは完成したばかりのローマ帝国時代の廃墟の絵が幾枚もあった。その中に彼の自画像もあった。
「こんなふうに壊れてしまうのね、私の時代は、こんなふうに滅んでしまうのね。・・・
あなたは遺跡の絵を描いていらっしゃる。でも本当は、これらの町が廃墟になる前の、まだこの町に住んでいた人たちが生きていたころを、あなたは見てみたいのではないかしら。はるか昔、私が生きていた頃のこの町を。ローマの豊かな富があふれ、帝国の保護に安心して、人々は幸福に暮らしていました。」
「いやもちろん、見てはみたいが・・・」
「あなたは私の言葉を信じていませんね。」
「しかし・・・」
「御覧なさい。時間の庭が開いています。」
そうして絵を指差した。そこでは太陽の光があふれ、風が吹いて木枝が揺らぎ、雲は流れ鳥は歌っていた。
「参りましょう、ローマの栄光の時代に。」

(その2につづく)

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