三井記念美術館 能面と能装束 神と幽玄のかたち

 ネットで簡単に見た範囲では、三井の家の起源はどこまでたどれるかはっきりとしていないらしい。武家として刀を振り回していた一族の中から、慶長年間(安土桃山時代)に松坂の地で商売を始めた者が出た。子孫には、商才があり大胆に行動することで家を大きくする者がいる一方で、逆境のときは手堅く守りに入る、そんな数々の人材に恵まれたのだろう、三井家は数百年の間豪商として君臨してきた。家が滅びずに今日まで続いたのは、たぶん親から子へと綿々と受け継がれた何かがあったからであろう。家風、と呼ばれたりすることもあるが、そのような形式的なことではない、何か、もっと深いところにつながっているもの、それはDNA遺伝子に書かれたような生物的なものでなくて、またそれとは別の、生きる上での奥底にある水脈とでもいおうか、とらえどころのない何かが、親から子へと流れていく。それは三井家に限った事ではない。よい資質のこともあれば、問題のある傾向も、はるか奥底のかなたでうごめきながら、形を変えつつ子供へと流れ込んでいく。
 地方の商店を経営する家族に始まった小さな流れは、時代が下るにつれて大河のようになった。特に明治維新後は三井財閥として、今日に至る日本の発展の牽引車の役目を担った。財閥には、容赦ない資本家として労働者の生き血を飲み込んで肥大したというネガティブイメージも付きまとう。しかしどんな形にせよ、富が集積された所にしか芸術は開花しない。能面や能装束が三井家の所有になったのもその富が背景にあればこそであった。今の三井家がどうなっているのか私は知らないが、少なくともグループ企業の利益を家族が吸い上げるようにはなっていないだろう。現代は、残酷な資本家というものはどこかに隠れてしまい、搾取されている人たちの顔が見えても、搾取している人が誰なのかがよくわからない時代になっている。三井家という川の流れはすでに変容し、富や権力で収集した芸術品は、個人的な所有物というよりも、公の財産という意味合いが強くなった。
 東京の日本橋室町に、三井家の栄光の象徴のような三井本館というビルが建っていて、その7階にこの美術館はある。私は、晩秋の風が強くて寒さが身にこたえる日に、今回の三井家ゆかりの能面や能装束の展覧会を見に行った。美術館のある階は温度、湿度、光を人工的に調節してあって、入館してしまえばきわめて快適である。しかしそこには窓がない。美術館の床の上に立ち、壁の向こう側の見えるはずのない風景を透視してみると、家やビルの建て込んだ武蔵野の大地や、遠くには富士を含む山並みがかすかに見える。東京湾やそれに注ぐ隅田川も見える。晩秋の陽はかたむき、茜に染まる雲は流れ、風は強く、枯葉が舞い散っている。

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翁(白色尉) 伝日光作
 能面は、作られてから数百年という人の寿命よりもはるかに長い間、この世に存在していて、さらには歴代の演者が生涯のすべてを能面にかけているわけだから、多くの人間達の情熱を吸い取ってすさまじい力を持つようになっている、筈である。これは神の面である。ただ想像するに、天下泰平や五穀豊穣を願う真剣な儀式であった翁の能は、たぶん今では退屈な演目なのではないかと思う。それは日本の八百万の神々がすでにほぼ死に絶えているからなのだが、巨大な厄害にさらされている今の時代には、また違った意味を持つのかもしれない、と思う。

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顰 伝赤鶴作
人間が持つ、表情に対する想像力が、室町時代程豊かな時代はなかったのではないかと思う。喜び、怒り、哀しみ、楽しみの表現がこれほどまでに激しいのは、人間の精神が何者にもとらわれない自由の気風があればこそできたのである。室町時代は自由の時代であった。決まりごとで身動きの取れない江戸時代にはいると、これらの能面は力を失い伝統の桐箱の中に封印され、人々の表情も豊穣さを失っていった。

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中将(鼻曲がり) 伝福来作
在原業平の役柄で使われる能面だそうだが、正直なところちょっとがっかりする。業平といえば平安時代きっての色男で、むっちゃカッコいいイケメンのはずなのだが、いくら霊になっているとはいえ、もう少し何とかならなかったものか。額に皺を寄せて、下を向いて、陰気くさくて色男も台無しである。多くの女性のため息を誘ったこの美男子の、片鱗くらいは、垣間見させてもらいたかった。お願い、作り直してくれ。

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小面(花の小面) 伝龍右衛門作
 いくども修復の手が入り、元の面とは雰囲気が異なっているのだそうだ。能面は舞台の上で人間がつけなければ意味がないし、使えばどうしても劣化が早い。すると修復を重ねることになり、面は次第に形を変えていってしまう。滅びた顔を表の下に隠し持つ顔。まるで生きている人間のように、能面もその顔形を変えていってしまうものなのか。

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孫次郎(オモカゲ) 伝孫次郎作
 一目見て、私は驚いた。美しい。日本の伝統的な引目鉤鼻といったような女性の顔であるのだが、美しい。すっと伸びた切れ長の眼、ふとかすかにほころんだ口もと。言い伝えでは、作者は亡くなった奥さんの顔を写したのだそうで、だから面影という名前がついている。数百年を越えて、痛ましいまでの愛惜の念がこちらに伝わってくるようだ。たぶん生前は、快活な明るいお嬢さんでそのまま人妻になったような、きれいな人だったのではないか。落ち着いていて、よく気がつく、それでいて茶目っ気があって、ほほえみを絶やすことがない。死んでいく自分よりも心配している夫を気遣うような愛情深い女性。亡くなった後の夫の嘆きの深さはいかほどであったろう。その涙までもが見えてくるようだった。私は能面の前から離れがたくて三度見に戻った。いったい私は能面を見ていたのか、能面に見られていたのか。閉館の時間が来て、係員に追い出されなければ、きっと魂を抜き取られていたに違いない。今回の展覧会はこの面ひとつを見るだけでも価値があると思う。

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(画像がありませんので、参考までに、代わりの 深井。実際に見たのは、橋岡一路氏新寄贈の 深井 )
 重要文化財ではない、とはいえ相当の迫力。誘拐された子供を追って京の都からはるばる隅田川にまでやってきて、そこで亡き子の墓を見ることになる、能の演目「隅田川」の狂女の役柄に使われる面である。それまでの展示方法と違い、能面とガラスとの距離が短いために、間近に面を見ることができる。能面をじっと近寄って見ていたら、ガラス面に何かの影が揺らめいているのが見えた。あっと思って体を動かすと、自分の顔がガラス面に反射してぼんやりと見えているのだった。なんだ反射か、と思ってまた能面を見ている。ガラスから少し離れると自分の顔の陰影は小さくなり、近づくと大きくなる。ちょうどよい大きさのところに調節すると自分の顔の輪郭と能面とがぴたりと重なった。能面は私の顔に張り付いてしまい、私は面のわずかな隙間から、能の舞台を見ることができた。

(以下言葉遣いは出鱈目なれば、読者にはどうか宥恕し賜らんことを願い候)

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 能の舞台。奥の鏡板には老松が描かれ、その前に笛、小鼓、大鼓、太鼓が並ぶ。右手には地謡方が座っている。後見によって舞台中央やや奥に幅50cm、長さ100cm、高さ20cmほどの足台が運び込まれている。
 揚幕が上がり、渡し守登場。舞台中央にしずしずと進み出る。続いて旅の僧が登場する。

渡し守 「これは武蔵の国、隅田川の渡し守に候(そうろう)。隅田川は遠く  秩父 の山を源とし、武蔵の荒れ野を下る大河にて、本日は晩秋の、風も吹き出したるはや日暮れ、風が冷たく吹きて川浪もたち、ごうごうと音たてる水も冷たく て、渡しには危なきことこの上なきになり候。 本日最後の渡しなれば、船を急ぎ人々をあちらの岸まで送り申し上げずるにて候。」
旅の僧「行先も東の旅ごろも、 行先も東の旅ごろも。これは都よりいで来たる旅の僧にて候、本日はこの川向こうに仔細あって参らんと存ずるに、はや隅田川に至りて候。あれを見れば舟が出で候。本日のうちに渡し舟に、急ぎ乗らばやと存じ候。いかに船頭殿、舟に乗らうずるにて候。」
渡し守「なかなかの事申されるな。舟に坊様を乗せるなどとは不吉なこと、このような日暮れて風の強い日にはよくなきことが起こるかも知れぬによって、軽々しくは乗せられぬにて候。」
僧「いやいやつれなきことを申されるな。拙僧は道々念仏を唱えつつ、そちこちにて迷える御霊を慰め申し上げつつ旅をしている者にて候。こたびは川向こうにて大念仏を行うと聞く。さすれば拙僧も何か知らんのお役に立てばと、急ぎ参らんと存じ候。」
渡し守「いやそれならば、亡き御霊にも有り難きことこの上なく存じ候。しかしこのあたりには見慣れぬ御顔、昨日は何処へお泊りか」
僧「夜を寒みおく初霜を払いつつ、草の根にあまた旅寝ぬ。足の向くまま、気の向くままに泊まり候。」
渡し守「この寒空に、野宿ができたとはとても思えぬ。さらば、今宵はいずこに泊るおつもりか。」
僧「川向こうに渡れば、その先は足の向くまま、気の向くまま、と申してもこの寒空は身にこたえるに候。粗末なところでかまわぬが、どこか夜風やら夜露やらがしのげるところは知っておらぬか。腹が減り申した、何かまかないのあるところ、酒が少々あるとよいの候。それから風呂につかってすっかり温まり、お女中のきれいなところ、いやきたなくてもよい、酒を酌してもらいキューっと一献、そのあと綿の布団のあるところはないかぁ。候。」
渡し守「いやいやこれはとんだ坊様でございますな。」
僧「いかに船頭殿、舟に乗らうずるにて候」
渡し守「はいはい、あちらに見える、御出で候後の、けしからず物騒に候は、何事にて候ぞ」
僧「さん候、都より女、物狂いの下り候が、是非もなく面白う狂い候を見候よ。」
渡し守「さように候はば、しばらく舟を留めて、かの物狂いを待とうずるにて候。」

(狂女登場 派手な衣装、手には枯れ枝を持って肩に乗せている)

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泥眼 伝龍右衛門作

狂女「げにや人の心は闇、心は闇なれば、子を思う道に迷うとは。今こそ思い白雪を、紅染めたる道なき道を、はるばるこの地まで落ちのびぬ。うはの空なる風だにも、静心なく花の、桜花。ここにも桜花。」
(狂女立ち止まり、こくびをかしげて空をみる。右を見て、手を斜め上にさし伸ばし、木の枝を折り取るしぐさ。少し進み、左を見て、手を斜め上にさし伸ばし、木の枝を折り取るしぐさ。)
渡し守「いかにそこのお女中、おことは何を見候ぞ」
狂女「春雨の降るは涙か桜花、・・・春の心はのどけからまし。」
渡し守「これは異なことを申し候ずるよ。この寒空に、桜花がのどかに咲きたりと申し候か」
僧「これは面白き見ものにて候」
狂女「あれ、あそこに舟が見え候。なうなう我をも舟に乗せさせ給え」
渡し守「おことはいづくよりいづ方へ下る人ぞ」
狂女「これは、風の上にありか定めぬ塵なれば、行方も知れぬ。」
渡し守「塵といい、狂人といい、面白く狂うて見せ候え、狂わずはこの舟には乗せまじいぞ」
狂女「うたてやな隅田川の渡し守。ゆくへ定めぬわれぞ悲しき。あれ、あれに見ゆる白き鳥は、都鳥ならん、我を恨みてはるばるここまで来候か。」
渡し守「いやいや、あれは沖のかもめ鳥にて候、都鳥などは見たこともなきに候。」
狂女「名にし負はばいざこと問わん都鳥、我が思う人はありやなしやと。・・・どうか舟に乗せさせ給え」
渡し守「いやいや、まだ面白く狂うて見せ候え」
僧「これは面白き見ものにて候」
狂女「うたてやな、隅田川の渡し守。ひさかたの光のどけき春の日に、・・・夢のうちにも花ぞ散る、桜花。ここにも桜花。ここにも桜花。」
(狂女、あちら、こちらの、花の枝を折ってめでるしぐさ)
渡し守「それは枯れ木にて候」
渡し守「それはすすきにて候」
渡し守「それは汚き坊様にて候」
狂女「いざ桜我も散りなむ、・・・花の散りなむのちの形見に。どうか舟に乗せさせ給え」
渡し守「いや、まだまだ」
僧「これは面白き見ものにて候」
狂女「あ、聞こえる、聞こえる、あの声が」(狂女手から枝を落とす)
渡し守「急に、何を言われ候か。」
狂女「聞こえぬか、あの声が」(狂女、両手でゆっくりと耳をふさぐ)
子供「名にし負はばいざこと問わん都鳥、我が思う母はありやなしやと」(舞台裏から、一本調子で)

(揚幕が上がり、髪がぼうぼうに乱れた、白装束の子供の亡霊が入場してくる。衣服には鞭で打ったような幾筋もの線が入っている。)

狂女「聞こえぬか、聞こえぬか、あの声が」
渡し守「いや、何も聞こえはせぬ」
僧「何も聞こえはせぬ、おおかた風のなる音にて候」
狂女「どうか、舟に急ぎ乗せさせ給え渡し守、急ぎ、急ぎ乗せてたい給え」
渡し守「いや、まだまだ。もっと面白く狂い舞て見せ候え」
僧「これは面白き見ものにて候」
狂女「あれを、あれを見て給え、恐ろしき、恐ろしきものがこちらに来候ぞ」
(狂女、橋掛かりを歩く子供を指差す、渡し守、僧もそちらを見る。)
子供「我が思う母はありやなしやと」
渡し守「いやいや、何も見えはせぬ」
僧「誰も居はしない、おおかた松の枝が揺れているのでござ候」
狂女「そこにいる、そこにいる、我を追って、生みたる母を追って、来た、お助けくださいまし、渡し守様、どうか 舟に急ぎ乗せてくださいませ、あちら側へ行きさえすれば、この子はもはや追うことはできませぬ、急ぎ、急ぎ乗せてくださいませ、あちら側へ行きさえすれば、お坊様、お助けくださいまし、哀れな女にお情けをおかけくださいまし、来た、ついに来た、そこにいる、ほれそこに」
(狂女狂乱、伏せる。渡し守と僧は面白がって狂女を見ている)
(子供舞台中央奥の足台の上に乗る。)
子供「名にし負はばいざこと問わん都鳥、我が思う母はありやなしやと」
(渡し守と僧、驚いて子供を見る、渡し守は腰を抜かしてしりもちをつき後ずさりする。僧、両手を合わせながら後ずさりする。)

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老女 伝日氷作
(揚幕が上がり老女登場。橋掛かりをゆっくり歩く。舞台上の人物は誰も老女に気がつかない)

僧「これはいかに、子の御霊か、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」
狂女「(伏せたまま)ついに来た、どうかお助けくださいまし、早く舟を、・・・間に合わない、・・・(顔を上げて、声色を変える)何しに来た、お前は何をしに来た、何ゆえに母を苦しめる、この母を苦しめるか、ええい生まれてこなければよかったものを、お前は要らない子供だった。」
(子供は足台を降りて2-3歩前へ進む)
狂女「いいえ、いいえ、どうか母を許しておくれ、こんな母を許しておくれ」
(狂女は右へ、そして左に逃げる)
僧「南無阿弥陀仏、これはおのれが子の御霊か」
狂女「いかにも。かつてわらわは都の北白河に一人住める遊女なり。思いがけないことから子を宿し、悩みたる末に産みしが、・・・子は亡くなりぬ。ただひれ伏して泣くばかり。」
僧「それで菩提は弔ったか」
狂女「いえ、何もせずに打ち捨てて逃れ来たるなり」
僧「うたてやな、世の中の人多くましますとも、母の弔い給わんをこそ、亡者も喜び給わん。ただ念仏申し上げよ。」
狂女「念仏を・・・(狂女手を合わせようとする)いえ、いえわらわにはできませぬ」
僧「菩提を弔い給え、手を合わせ念仏申し上げよ、南無や西方極楽世界三十六万億、同号同名阿弥陀仏。それ、まずは手を合わせ給え。」
狂女「手を合わせ・・・」(手を合わせる)
僧「唱え給え、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。」
狂女「南無阿弥・・・、いいえできませぬ」(手を離す)
僧「なぜできぬ、ただ手を合わせ、お題目を唱えるだけのこと、南無阿弥陀仏、と」
狂女(もう一度手を合わせ)「南無阿弥・・・できませぬ、とてもわらわにはできませぬ。」
僧「なぜじゃ、なぜこれしきのことができぬか、お題目を唱えるだけでこの御霊もうかばれように、なぜじゃ」
狂女「できませぬ。」
僧「なぜできぬ、わけを申せ、なぜこれしきのことができぬ」
狂女「それは・・・それは・・・この手が、この両の手が、わが子を殺めたなればなり」
(激しい笛の音、テンポの早いつづみ。僧と渡し守は後すざりしながら舞台の左右に分かれ、中央を向き、手を合わせてひたすら南無阿弥陀仏を唱え続ける。
老女足台の上に乗って見ている、微動だにしない。)
地謡「いにしえより、まされる宝子にしかめやもと言いしものを、
その我が子を自ら手を下したる、あさましきことかな、
道理をわきまえぬ畜生ですら、子を大切にするに、
生きる者の道に背きては、心休まるときもなし。
罪にまみれたその手では、
弔いのための合掌もできず、
罪に穢れたその口では、
まことのお題目も唱えることができない。
悔いは大水のように押し寄せて
母から正気を奪ってしまった。」
僧、渡し守「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏・・・(声が高まりながら繰り返し)」
狂女「どこへ行っても、子の姿しか見えぬ、どこへ行っても、子の声しか聞こえぬ、わらわの心は乱れたまま、どこへ行けばよいのか」
(子供2-3歩追い、狂女逃げる、また2-3歩追い、逃げる。)
狂女「かわいいとは思えない、どうしても我が子がかわいいとは思えない。憎い、この子が憎い、この子さえいなければ、この子さえいなければ、いいえ、いいえ、許しておくれ、この母を許しておくれ」
(舞台中央、狂女、子供を捕まえ子供の頭を観客側にして仰向けに寝かせる。舞台前から奥へ子供、狂女、老女の順に並ぶ。その右に渡し守、左に僧。読経の声、地謡、管楽の音が次第に高まる。狂女膝立ちで上から覆いかぶさるような姿勢、右膝で床を踏み鳴らす。同時に両手で子供の首を絞める仕草。1回、2回、3回。3回目の絞める仕草踏み鳴らしと同時に舞台上の全ての動きが止まり、静寂。10秒以上の間。笛が鳴り響き、子供静かに起き上がる。)
子供「我が思う母は、ありやなしやと。」
狂女「こはいかに、殺したはずが、生き返るのか。なぜ殺す事ができぬ、なぜ、なぜわらわだけこんな目に会うのか。」(おののきつつ後すざりする。子供2-3歩追い、狂女逃げる、また2-3歩追い、逃げる。)
狂女「かわいいとは思えない、どうしても我が子がかわいいとは思えない。憎い、この子が憎い、この子さえいなければ、この子さえいなければ、いいえ、いいえ、許しておくれ、この母を許しておくれ」
(再び子供を捕まえ前回同様に子供を仰向けに寝かせる。狂女膝立ちで、右膝の踏み鳴らしと同時に、逆手に持った刃物を両手で大きく振り下ろす仕草。狂女床を踏み鳴らす。1回、2回、3回。3回目の振り下ろし踏み鳴らしと同時に舞台上の全ての動きが止まり、静寂。10秒以上の間。笛が鳴り響き、子供静かに起き上がる。)
子供「我が思う母は、ありやなしやと。」
狂女「なぜじゃ、なぜ死なぬ、なぜ死んでくれぬのじゃ。この母のためになぜ死んでくれぬのじゃ」(おののきつつ後すざりする。子供2-3歩追い、狂女逃げる、また2-3歩追い、逃げる。)
狂女「かわいいとは思えない、どうしても我が子がかわいいとは思えない 。
もはやこれまで。お前の姿を見るのも、これが限りぞ」
(再び子供を捕まえその手前に子供を座らせる。子供は観客に背を向けて狂女と差し向かいの形。子供は狂女の後ろの足台に立つ老女を見ている。狂女は子供の前に立ちはだかり、重いものを両手で持って上から振り落とそうそうとする仕草。両手を挙げたまま)
子供「我が思う母はありやなしやと」(静寂。狂女、面をやや上向きにしてあとずさる。手を下ろし子供の視線をたどってゆっくり後ろを振りかえる。)
狂女「これは・・・母上殿・・・母上殿・・・お助けくだされ」(老女に気づき両手を伸ばして老女の元に向かおうとする。老女くるりと背を向けて足台から向こう側へ降り、そのまま退場。
狂女、老女の後を追って足台の上から向こう側へ降りる。観客に背を向けてその場に座る。)
僧「あれ、女が川に落ちた、川に落ちた、助け給え、助け給え」
渡し守「いかにも、お助け申し上げん」

(渡し守、僧は足台を乗り越えて狂女のそばに座る。狂女頭に結っていた豊かな黒髪を解き、胸、肩、背を覆うようにおろす。能面は髪の間から見える。)

地謡「あわれ子を捨てたる狂える女は、
すでに母に見捨てられし女なり。
親の因果は子に報い、恐れも憎しみも、
はるか子孫の代へと受け継ぐなり。
あわれ子を捨てたる狂える女は、
すでに母に見捨てられし女なり。
その老いたる母を追い求めんと欲すれど、
老いたる母は女をすでに見捨てたり。
女は老いたる母を追って、
川の中へ、隅田川の冷たき水の中へ
その身を投げ入れたり。」

(僧、渡し守は狂女の姿を整えた後、元の位置に戻る。狂女足台を越えて舞台中央へよろよろと歩く。子供に気づく。)

狂女「あれは我が子か、」
子供「母にてましますかと」
(狂女、子供のそばに走り寄り、子供を抱きしめる。)
地謡「晩秋の寒き夕暮れの、隅田川の冷たき水に身を浸し、
狂える母の、気は確かに戻りたり。
まことの心は戻れども、
戻らぬものは命なり。
身は冷えて濡れそぼれども、
その手は暖かいと、その胸は暖かいと、
喜びたる子の御霊こそあわれなれ。」

狂女、子供の手をとり、離れ、また手をとり、舞を舞う。
狂女、あちら、こちらの、花の枝を折ってめでるしぐさ。枯れ木、すすき、汚い坊様の場面とまったく同じ仕草を繰り返しす。
折った枝(実際には何もない)を子供に示す。子供はうなずいて手に受け取る。
狂女が先に歩くが、時折ふりかえり、二人でうなずきあう。
二人そのまま退場。
続いて僧、渡し守、退場。

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