弱法師(よろぼし) 下村観山 (その2)

    (その1からの続き)

 何年かたったある時、私は幼い晴徳丸が庭にしゃがみこんで何かに熱中して描いているのに気が付きました。近づいてみると、枯れ枝で地面に絵を描いているのです。何か動物の形とか、木や草や人の顔などが地面にびっしりと書かれていました。きっと誰からも相手にされず、一人でずっと絵を描いて遊んでいたのでしょう。それがまあ、驚くほど上手でした。 

 実をいいますと、もともと私は絵を見るのが好きでしてね。家の掛け軸を見るのから始まって、あちこちの屋敷で掛け軸を見せてもらっていました。この人は商売よりも掛け軸の方にご執心なようだ、とからかわれたこともあります。町の好きもの同士が集まって絵画談義をする、そんな道楽者の集まりにも顔を出しました。時には先代から苦言を呈されてちょっとの間我慢はするのですが、この道楽ばかりはどうにもなりません。のち先代が亡くなったあと、町の有名な絵の師匠の所に通いました。師匠は形の見方から線の引き方まで、よくおしえてくれたんですがね。私はがっかりするほど下手で、いつまでたっても何ともなりません。師匠は稚拙な絵を前にして苦笑いするばかりでした。

 下手でも大変なもの好きですから、私のようなものでも少しは絵のうまい下手がわかります。それがどうだ、私の息子の絵は。若干5-6歳が地面に描いた落書き、それがえらく真に迫っています。女中の顔が描いてあります。妻も、私も描いてあります。ほんの小さな子供の絵なのに、それが誰なのかがわかるのです。梅の木の枝で鳥が鳴いています。餌を食べていたネズミが驚いて顔をあげ、ねらっている猫が飛びかかるところでした。わたしは心底驚きました。まだこんなに幼くて絵など教えてもらったことがないのに、何という腕前だろう。

晴徳丸に声をかけるとびっくりして私を見ます。私が誰なのかわからないようにみえました。抱き上げてみると体を固くしておりまして、久しぶりに抱き上げたせいでしょう、えらく重く感じました。私はそのまま座敷に上がり込み、晴徳丸を机の前に座らせました。硯を用意して紙を広げ、墨汁を出して準備が整うと晴徳丸に筆を持たせました。そして私が手を添えて、線を引かせました。紙に書く初めての線に晴徳丸はたちまち夢中になりました。線はそのうち曲線になり、それが丸や四角になっていきます。簡単な文字も教えましたが、それよりもものの形を描く方が面白いようでした。 
 それからは毎日晴徳丸は墨で絵を描きました。私が描いた丸、四角、簡単な木や草や動物の絵。わたしは好きなだけ書けるよう紙と墨を用意し、部屋の中は晴徳丸が書き散らした絵でいっぱいになりました。私は時間があれば晴徳丸の側に行き、描いたものを拾い上げて吟味しましたが、どれもこれも子供の落書きには見えません。家にある掛け軸を持ってこさせ、それを晴徳丸に見せてやりました。それは花であったり、魚であったり、山や川であったりしました。晴徳丸はそれらをいとも簡単に写し取ってしまいます。もちろん稚拙なところは多々あるのですが、かなりの力量です。これはものになる、と私は思いました。 

 私はそのなかの幾枚かを選び、晴徳丸を連れて、師匠の絵師の所に参りました。広げた絵を見るなり、大分うまくなられましたな、と師匠は言います。いえいえこれは私の絵ではなくこの子が描いたのですよ、と言ったところ顔をあげて、そんな子供にこんな絵が描けるはずがない、と機嫌が悪くなりました。からかってはいけません。そこで早速紙と筆が持ってこられ、息子はネズミの絵を描いてみせました。さらに私の似顔絵も描き足しました。師匠は目をまるくして、これはおどろいた、こんなに才能のある子供は見たことがない、としきりに感心しています。この子には見どころがある。私のところにこさせなさい。必ず大成させます。そう弟子入りを勧めます。願ってもないことでした。私の息子が絵描きになる。私のなりたかった夢をかなえてくれるかもしれない。私は息子が店の大事な跡取りであることをそっちのけにして、有頂天になりました。話はすぐに決まりました。普通弟子は住み込みとなり、下男としての働きから始めるのですが、私の息子はほんの子供です。家から通いながら絵を学ぶことになりました。 

 晴徳丸の絵の修業は、弟子たちが用意した簡略な絵の模写から始まりました。しかしそんな課題はすぐに終了し、今度は年上の弟子たちと並んで同じ教本絵が与えられます。多くの兄弟子たちが四苦八苦しているのを横目に、晴徳丸はいともたやすく過程を習得し、ぬきんでた才能を示しました。普段弟子達には厳しい師匠も、晴徳丸には甘く、よく褒めてかわいがっていました。しかし弟子たちは師匠が晴徳を特別扱いするのが面白くなく、初め晴徳丸を可愛がっていた弟子たちでも次第によそよそしくなりました。晴徳丸にかわいげがなかったのもいけなかったのだと思います。晴徳丸は次第にうとまれていったようでした。 

 しかし私は得意でした。自分の息子がとてつもない才能を持っているかもしれない。私は息子の描いた絵を床の間にかけ、来る人来る人に息子自慢をしました。店の者はなかばあきれていい顔をしませんが、先代はすでに亡くなっていて私に小言を言える人はいませんでした。妻は絵ばかり描いている息子を嫌っていました。妻は後継ぎを生んだつもりになっているわけですから、私に対してものすごい剣幕で文句を言います。しかし私はいっさい譲らず、店の方は私が何とかするから大丈夫だ、と言い張って息子に商売のことは教えませんでした。今や私にとって、息子は私の夢の化身であり、かけがえのない子供になっていたのです。

 鯉の滝登りの絵を描いて、それがたいそう師匠に褒められて、それを持って帰ってきたときのことです。私はうれしくて店に来ていたお客さんにまで息子の絵の自慢をし、店のみなも集まってきました。晴徳丸は頭を撫でられ褒められて、お菓子までごちそうになり得意の満面の笑顔でした。そこに奥から足音を立ててやってきた者がいます。妻でした。妻はつかつかと絵のところにやってきて絵を手に取り、みなが見ている前で、わが子が描いたそのみごとな絵を破り裂いたのです。あっという間の出来事でした。そして晴徳丸を睨みつけ、
「こんなものばかり描いていて、おまえの目などつぶれてしまえばいい。 」
鬼のような顔をしてそう言い放ち、出ていきました。息子は泣き出してしまいました。みなは白けた面もちで目配せし、そそくさと引っ込みました。私はイライラしていつまでも泣き止まない息子を叱責しました。


 私は気付いていたように思います。しかし気付かないふりをしていた、と言った方がよいかもしれません。晴徳丸がひどい目にあってべそをかいたのはその時ばかりではなかったのです。師匠の所ではいじめられ、家へ帰っても母親に疎まれて、晴徳には安心できる場所がどこにもありませんでした。まだまだ子供です。抱かれたり、あやされたり、お話の相手をしてほしかったこともあるでしょう、しかし父親たる私は晴徳丸の絵がうまくなっていくのを喜ぶばかりで、晴徳丸の気持ちを分かってやろうとはしませんでした。

 師匠は当代一の名をほしいままにしていた絵師です。多くの弟子たちを抱え、次々に舞い込んでくる注文を次から次へとさばいていきます。あざやかな色の絵の具を溶いた小皿がいくつも並び、いろいろな太さの筆があって、たくさんの弟子たちが絵を描いておりました。修業中の絵を描いているのもいましたが、たいていは横にならんだ弟子たちが、売り物用の紙に下絵を描いているのでした。松、竹、梅はじめいろいろな絵があります。桜、女性、仙人、たくさんの人たち。弟子たちにはそれぞれ得意の分野があって、分業して師匠風の下絵を描いていきます。さいごに師匠がやってきて手を入れて銘を入れる。最初から師匠一人で描いていたのではとても注文をさばききれません。大作になると何人もの絵師たちが同時にとりかかって筆を走らせ、師匠が絵のまわりをぐるぐる回って指示を出したり筆を入れたりして完成となる。なんていうのもありました。

 晴徳丸も最年少でその売り物になる下絵を描く弟子の仲間に入っていました。晴徳丸の手になった下絵は他の弟子の絵とはちょっと違います。一目見ただけでそれが晴徳のものだとわかるような、巧みな絵でした。あるとき、師匠は筆を入れようとして手を休め、しばらく下絵を見ていたのだそうです。そして晴徳丸を呼び出して言いました。この絵はお前が最後まで描いてみなさい。 

 普段の修業中の絵なら全部一人で描くのはあたりまえです。しかしこれは売り物にする高価な紙に描かれているのです。いつもの安物とは全く違うのです。最後まで描けば、当然銘として自分の名前が入ります。それは弟子の中でも一流になったと師匠が認めた、ということにほかなりません。通常それは何十年の長く苦しい修行を終えた優秀な弟子に与えられる権利なのです。 

 出し抜かれた年上の弟子たちは不満そうでしたが、誰も師匠の決定に異を唱えることはできません。それに晴徳丸が完成させた絵は見事でした。花咲く木立のもとに川が流れ、そこに若い娘たちが談笑しながら歩いています。確かな構図、すきのない線、華やかで美しい色づかい。あたたかな光が絵からあふれ出てくるようでした。 それを見れば誰しもがその高い技量を認めないわけにはいきませんでした。晴徳丸の絵は高く売れたと聞いております。 

 それが彼の得意の日々が始まりでした。 晴徳丸を名指しして注文が舞い込むようになり、それが次第に増えていきました。晴徳丸はすでにゆるぎない技法を身に着けていて、期待以上に見事な絵を描きました。奇岩のある庭の絵、深山を流れ落ちる川、遊ぶ子供たちの絵から、年老いた中国の文人の絵。晴徳の絵は素晴らしいと評判になり、10代にして名人と言われるほどになりました。 
息子は家に帰ってこなくなりました。師匠の所の一室に寝泊まりし、私がいくら言っても帰ろうとしなくなりました。そしてもうあんたの言うことなどは聞かないよ、と露骨に口答えをするようになりました。

 晴徳丸は自らの画才を自慢し、尊大で、傲慢で、鼻持ちならない男になりました。並みいる先輩弟子をコケにして無礼を働いたのだそうです。 
「おや、これは何ですかな。子牛のしっぽですかな。なに違う?柳の木なのですか。それは失礼。 」
「この岩はよく描けました。醜女のあばたですな。 」
「おや、これは人間だったのですか。あはは、猿が服を着ているのかと思いましたよ。 」
弟子たちは激高したそうですが、神業のような晴徳丸の技量との差を知っているので、悔しいのですが黙らざるを得なかったようです。どうにかして晴徳丸に仕返をしよう、目にものを見せようとつまらないことを仕掛ける者もいました。晴徳丸の絵に墨を垂らす、絵の具に砂を混ぜる、食べ物に汚物を入れる。師匠に告げ口絵をするものもあらわれました。晴徳丸は師匠に隠れて勝手に絵を売りさばいて金を得ている。おきて破りのふとどきものだ。

 晴徳が酒の味を覚えたのもこのころです。飲みだすと手がつけられなくなりました。粗暴で攻撃的で、周りはひどい迷惑です。ある時突然師匠がやってきました。告げ口した弟子が後から付いてきます。 
「先生ごらん下さい、晴徳丸が勝手に売りさばくために描いている絵です。その金で、こいつは昼から酒を飲んでいるのです。」 
晴徳丸の手元には幾枚もの墨絵がありました。それに酒瓶も。
 周りの弟子たちが手を休めて顔をあげ、見ています 。師匠はききました。「それは本当か。」 
晴徳丸はにやついて答えません。
「なぜ師匠である私に話をしないのか。」 
「そんな必要がありますか。もはや師匠といえますかな。」 
晴徳丸は挑戦的な目で師匠を見ます。 その時も酒に酔っていました。
ふだんは温厚な師匠は怒りに体が震えていました。 
「おまえは恩義というものを知らないようだ。ここから出て行け。今すぐにだ。」 

 まあこれは人から聞いた話なので、幾分誇張されているかもしれません。とにかく晴徳丸は追い出されました。 それでいて私の家に帰ってはきませんでした。すでに評判の絵師になっています。すぐに彼を保護する金持ちの殿様があらわれました。彼のために立派な仕事場が用意されました。絵の具も筆も画材もすべてが贅沢に準備されました。 

 あのころが晴徳丸にとって一番よい日々でしたでしょう。晴徳丸は師匠を見返してやろうと熱心に絵を描きました。絵はどれもこれもが評判になり素晴らしい値がつきました。注文が殺到し、一人ではとうていさばききれません。何人もの弟子を置いて次々に仕事をこなします。仕事場も増築して次第に大きくしました。当代一の絵師とよばれ、もはや元の師匠の人気をはるかにしのいでいます。 

 もう私の家にも寄り付かなくなっていた息子でしたが、師匠の元を飛び出したと聞いて、私は気が気ではありません。あるとき息子の所へと尋ねていきました。 
そこは門構えの立派な大きな邸宅で、出入り人たちで活気に溢れていました。建物のつくりは贅沢で、高価な調度品が取りそろえています。そこへ次々と荷物や食べ物が届き、受け取った人が奥へ運び入れています。なかにはその場で開いて確かめたり、つまみ食いなどしています。一方では絵を広げて誰かと交渉をしている人もいます。奥ではたくさんの弟子たちが大きな紙を広げて熱心に絵を描いていました。とても活気に満ちた仕事場でした。
私はその奥に案内されました。中庭をみながら廊下を歩きこぎれいな離れの建物に通されました。そこで晴徳はなんとまあ自堕落な生活をしていたのでしょう。一見して高価なつぼや絵が飾られている中、若くてきれいな女たちが、派手な布をちょっとはおっただけの裸同然の姿ではべっています。父親である私にさへ媚びた視線を投げかけてきます。商売女達でしょう。床には脱ぎ散らかした衣やころがった器や何やかでいかにも乱れた様子です。きちんと整頓された師匠の仕事場とは大違いでした。 
我が息子は書きかけた絵をほうりだして薄絹を着ただけの女をひざに乗せ、体をなでています。もう片方の手には盃を持ち、昼間から酔っているのはすぐにわかりました。私が来ても息子は女を下ろそうとはしませんでした。 
「これは、何たるざまだ。」 
「何しにいらしたんです、お父上様。」 
「心配で来て見ればこの体たらく、いつからおまえはこんなになった。」 
「うまいものありますよ、最近西国から珍味がとどきました。おい、あれをだしてくれ、どこにある。」 
「いらない、ここに食べに来たのではない。」 
「可愛いでしょう、この子。いい女ですよ。あそこのぐあいもすごくいい。」 
「ばかな。何を言っているんだ。」 
「女はすばらしい。そうでしょう?お父上様。あなたも嫌いじゃないはずだ。」 
私は逆上してしまって打って掛かろうとしました。そばにいた女たちが私に体を押し付けて腕を押さえます。素直で才能にあふれたかわいいあの子が、いったいどうなってしまったのでしょう。
「こんな生活をしていて、よい絵が描けるわけがないだろう。」 
「勘違いされては困ります。女達は絵の手本にするために置いているのですよ。」 

 息子は女を離し、杯に酒を注いで一気に飲み干した後、筆をとり紙に向かいます。 じっと女を見て、それから紙を見つめ、女が用意した硯の墨で穂先を整えた後、一気に描きだしました。 すらりとしたながれるような線をいくつか描き終わると、それは見事な美人絵になっていました。綺麗で、品があり、色がある。驚くべき即興でした。 息子は筆をおくと手をたたきます。扉を開け弟子が出てきました。 
「これは先生ご用でしょうか。あ、一枚お描きになりましたか。」 
「これを金に換えてきてくれ。」 
「わかりました、先生。」 

 私が小言を言っている間中、晴徳は生返事をしながら飲んでいました。大して時間が経ったわけではなかったのですが、その男が包みを持ってやって来ました。 
その包みを開いて見せられて私は目が飛び出るほど驚きました。中には私が1か月かかっても稼げないほどの大金があったからです。 息子は笑いだしました。私の顔を見ながらいつまでも笑っていました。私は黙り、怒りと屈辱に震えながら息子の所を出ました。 

 もはや自分の力ではどうにもならない所に息子は行ってしまった。あんな生活をしていたのでは、いずれだめになってしまうだろう。でも私の力ではもうどうすることもできない。今だから思うのですが、あのころの晴徳は、本当はさびしかったんじゃないだろうかと思います。息子が何を考えていたのかはわかりません。心を開くことのできない人間だったのだと思います。親しい友人などはいないようでした。侍らしていた女達の誰一人も愛してはいなかったでしょう。その寂しさを紛らわすために、酒にのめりこんだのだと思います。

 その後も何度か息子に意見をしようとしたのですが、息子は私の話を聞こうとはしませんでした。そのうち親の私を門前払いするようになりました。無力感が覆いました。何ともならず、あきらめるしかありませんでした。 

 そうして何年かが過ぎたでしょうか。うわさではあさから酒を飲みっぱなしで酒量がどんどん多くなり、いつもむちゃくちゃに酔っていて絵も描いていないとのことでした。たまに描いても投げやりな戯画ばかりで、もう晴徳は終わりだと言われました。出入りしていた商人は来なくなり、大勢いた弟子や女たちはあっという間にいなくなりました。日々の金にも困るようになっているときいて、久しぶりに訪れてみると、邸宅は荒れはてて、金になりそうなものはすべて売ってしまったのでがらんとしていました。出来の悪そうな弟子が晴徳の気まぐれで絵が出来るのを待っているきりです。そんなになっても息子はひどいなりで酒を飲み、私に金をせびりました。ついには筆も絵具もみんな売り、その仕事場も手放し、汚らしい場末の小さなぼろ家で朝から酒を飲んでいた。どんどん堕ちていく息子に私は気をもみましたが、いくら意見をしても私がおいていくいくばくかの金をすぐに酒代にして飲んでしまう。口を開けば罵詈雑言、私にむかっては、だれが俺をこんなにしたのかと、と毒づくばかりでした。 

 ある日、私が訪ねていくと、部屋の中には誰もいなくなっていました。あたりをさがして見て回りましたがどこにもいない 。近所の人をつかまえ、嫌がるところを小金を握らせて話を聞きました。それによると、ある朝晴徳はみじめな泣き声をあげながら部屋を出てきたのだといいます。片手で目を押さえ、片手を前に伸ばし、目が見えない、目が見えないと繰り返し、よろめいてあちらこちらにぶつかりながら歩いていきます。服は何とか着ていたものの履物もはかず、そのままどこへか行ってしまった、とのことでした。晴徳がどこに行ったのかは誰に聞いてもわかりませんでした。 

 私は衝撃を受けておりました。息子の目が見えなくなったのかもしれない。絵師の魂でもある目がだめになったのかもしれない。どれほどの絶望の中に息子はいるのだろう、息子はいったいこれからどうなってしまうのだろう。私は晴徳を探してあちこちを歩き回りました。仕事場のあった地域一帯から、息子の絵を買ったことのある人のところ、絵具や画材、はてには日用の取引をしていた店などにもあたってみましたが、手掛かりはありませんでした。思い余ってかつての師匠のところにもいきました。弟子が、来ていない、とぶっきらぼうに言い放ちます。まあ、息子は師匠を裏切ったのですから無理もありません。そのほか、大阪じゅうの人の集まりそうなにぎやかな町、色町の店の一つ一つ、お祭りなどあれば集まる人をくまなく見て回りました。息子はどこにもいませんでした。どこかで飢え死にしたのか、まさか自ら命を絶ったのか。そんなことも考えましたが、あきらめることはできませんでした。 

    (その3へ続く)

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