カンディンスキーと青騎士展をみて

カンディンスキーと青騎士展をみて 三菱一号館美術館

カンディンスキーと青騎士展を見た。
http://mimt.jp/aokishi/

カンディンスキーの圧倒的な色彩の乱舞が好きで、いままでにも何度か展覧会に行っている。1987年東京国立近代美術館。 2002年東京国立近代美術館。 カンディンスキーの絵が見られるのなら行ってみようかとでかけた。
画像

カンディンスキー(1866-1944)の画家としてのスタートは30歳で、極めて遅い。それまではモスクワ大学法学部の助手などをしていたという。ミュンヘンの美術学校生としての短い修行時代が終わるとすぐに彼独自の画法の追求が始まる。34歳にして美術評論を書き始め、美術学校の先生をするほどになっている。なんともはやい上達度である。写実的な風景画を描く一方で、ロシアの色濃く残る幻想的な絵画を描いていた。色彩に対する独特な感受性が、初期の絵からすでに印象的である。
1908年41歳でのムルナウ滞在時ころから飛躍的に絵画が変化する。古典的な遠近法が消失し、画面構成が単純化し、色彩が独自の生命を得て自由に運動しだす。
1910年代からいよいよ抽象絵画に入っていく。次第に物の形そのものがなくなっていき、あるのは色彩の目もくらまんばかりの乱舞となる。
 1914年から第一次世界大戦のためロシアに戻る。暗い画面の絵がめだつようになる。それまであった色彩自体が持つ爆発的な生命力を、感じられない作品も多くなる、と思う。
1920年代、色彩があせはじめ、定規で引いた線、円といったような、確固たる形が現れ始める。この頃の絵は、輝かしい派手な色彩がなく、私などは拒否されている感じがして、私はどうも親しみを持ってみていることができない。
1922年からバウハウス、1933年からフランスへ移住し、1944年に死去している。

カンディンスキーの絵の特徴を自分なりにまとめると、なんといってもその色彩が豊かで、絵画の世界に統一感、まとまりがあることにある。決して激したところ、破たんしたところがない。一枚の絵の中にひとつの宇宙が完結していて、調和が保たれている。すべて計算され、コントロールされ、完結している宇宙。情よりも知が支配する宇宙。
今回の展覧会ではムルナウにいた1910年前後の時代の絵画が中心である。この時代のカンディンスキーの絵は親しみやすい。実際の風景の中に、彼が色彩をどう感ていたのかがよくわかる。
画像

例えばこの機関車が印象的な絵はものの形がよく残っている。機関車やその影の黒、そえられた青、新緑の帯と建物などの朱、雲の白が調和よくリズミカルに配置されている。ご丁寧に電柱の碍子まで丹念に書いてある。子どもが喜びそうなこの絵は、機関車の影の先に金髪の女の子らしき形が見えるので、多分この女の子に見せるために描かれたのではなかろうかと思う。多くの人が思わず立ち止まってしまう魅力的な絵だ。
カンディンスキーはさらにその先へと進み、色彩豊かな具象の世界の中にさらに色彩の豊かな抽象の泉がわき、抽象の水が具象の形を次第にひたしていく。ついには抽象の海の中に具象が沈み、その一部が抽象の水面に顔を出している。そんな頃のカンディンスキーの絵が私は好きだ。

画像
カンディンスキーの肖像写真を見てみる。いつもきちんとした身なり スマートで 理知的で 自信に満ち溢れ、パワーを周りに発散している。オシャレで魅力的な大人の雰囲気の先生。複数の人が集まればいつもその中心にいる。頑固一徹な人だったのかもしれない。

画像
カンディンスキーが唯一古典的に描いた肖像画がある。描かれた女性の名前はガブリエル・ミュンター、彼と生活を共にしていた人である。その少し不安げな、じっとこちらを見る目つき。いったいこの女性はどういう人だろう。その表情が不思議だったので、彼女の写真も注意してみて回った。美人とはいえないが、この人は変わっている。このカメラを見る独特の目つきは何だろう。普通人間は、カメラを構えているに人に対して、少しはお愛想笑いをするのではないだろうか。この人は笑っていない。何かを言おうとしているような、訴えかけているような表情に見える。それがどうしても気にかかった。

 ミュンターの生涯についてはウィキペディアに詳しく紹介されていて、以下の文もそれによっている。彼女の父が歯科医として成功し、早くに両親が死んで多くの遺産を引き継いだようだ。生活のために働く必要がなかった。芸術家を志すものの、美術学校がなかなか女性の入学を認めようとしなかったので苦労したらしい。ようやく入ったクラスですでに教師になっていたカンディンスキーと出会う。そして2人は惹かれあい、一緒に生活するようになる。カンディンスキーは画家になる決心をする前からすでに結婚をしていた。奥さんは安定志向の人だったらしく、大学教員のカンディンスキーと結婚したのであって、どうなるとも分からない画家をめざしたカンディンスキーを彼女は愛することができなかった。ミュンターにとって、別居状態とはいえ既婚者と一緒に行動し生活することは、彼らの社会では許されることではなかった。女流画家として生き、最先端の美術運動に身を投じ、既婚者との生活、かなり大胆でおもいきったことをする人なのだが、写真にうつった彼女は、何か不安げで自信あふれた人には見えない。

画像
テーブルの男(カンディンスキー)というミュンターの絵を見てみよう。カンディンスキーは小首を傾げてこちらを見ている。いかにもやさしげで、彼女は愛情をこめて描いたのであろう、永遠にこのまなざしで彼女を見つづける事を願ったのであろう。ミュンターは彼の優しいまなざしを画面の中に封じ込めた。ただ彼は絵の脇に配置され、中央のテーブルの上には、まずは黄色いコップ、それからこれは何だろう・・・朱色のザボン、かつおぶし、でんでんむし、鉢植えのわかめなどが並べられ、調和が取れているとは言いがたい。展覧会の解説者はここに男女の間のギクシャクした心理の反映をみているが、たしかにそう深読みした方が面白い。ところでカンディンスキーの抱えているものはいったい何?100年前のことなど判るわけがないが、私にはどうしてもこれがヤウレンスキーのはげ頭に見えてしまう。

青騎士のメンバーの一人であった時代が、ミュンターにとって最も輝かしかった時代だった。仲間と新しい芸術について熱く語り合い、時代を切り開く絵画を描き、スキャンダラスな展覧会を催す熱気と興奮に満ちた時代。私生活では愛するカンディンスキーと、ときにはけんかしつつも伴侶であった時代。ムルナウを発見し、カンディンスキーとともに絵を描いた。一時期カンディンスキーは絵画技法の上で、ミュンターと似たような絵を描いていたこともあったが、彼はとどまることなく先へ進み抽象の世界に入ってしまった。

さあこれから本格的に活動すると言う時に第一次世界大戦が起きて、すべてを破壊してしまう。仲間は四散し、マルクとマッケは戦死してしまう。ミュンターはカンディンスキーを失うまいと努力を続けるのだが、彼は離れていった。
カンディンスキーはミュンターのことをうっとうしく思っていたのだろう。すでに離婚は成立し晴れて一人身になったのにミュンターを捨ててロシアに帰った。一度はストックホルムで再会するもののその後はミュンターの連絡に答えようともせず、ミュンターは捜索願を出したこともあったようだ。そして突然彼女はカンディンスキーが結婚したと言う情報を得る。彼女は大きなショックを受け、絵を描くことができなくなった。たった一人、取り残された。

画像
二人で並んでとった写真がある。(2002年のカンディンスキー展のカタログから)1916年ストックホルム、カンディンスキーとミュンターが最後に会ったときのものである。ミュンターはカンディンスキーの方に寄り添おうとしているのに対し、カンディンスキーは微妙に彼女を避けている。楽しそうには、とても見えない。3月で2人は別れ、カンディンスキーはその年の9月、ロシアでニーナ・アンドレエフスカヤと知り合う、そして翌年2月には結婚している。9月に長男誕生。ニーナの写真を見ると、これはお人形さんのようにかわいらしい。14年間連れ添ったミュンターからお人形さんへのりかえたわけだ。男女のことは当事者にしかわからないけれども、カンディンスキーファンの私としては、いささか複雑な心境だ。
 最もこのニーナという女性にはいろいろな話があるようだ。彼女は自称貴族階級出身でいまは亡き将軍の娘、というふれこみだったが、後の研究者は該当する将軍を見つけることができなかった。せいぜい日露戦争の船長といったところ。彼女の自伝にはカンディンスキーとのなれそめは、伝言を頼まれて彼に電話をかけ、彼女の声に興味を持ったカンディンスキーがしきりに会いたがった、と言うことが書いてある。また彼女はカンディンスキーに出会う前、占いによってワシリーという名前の人と結婚することが予言されていた、のだそうだ。彼女はカンディンスキーの死後遺産相続により大変な金持ちになった。宝石のコレクションを持ち、彼女はとりまきに囲まれているのが好きだった。最期は強盗に殺された、・・・とかほんとうなのだろうか。いかにも胡散臭げで、あやしい。

 ミュンターは一人で思い出深いムルナウに戻り、かつては人の集った大きな家に一人住んだ。彼女は画家だった。絵を描くことしかできなかったから再び絵筆をとって描き始めた。そしてカンディンスキーはじめ青騎士のメンバー達の絵を集めた。ナチスの時代、それらの絵は退廃芸術として焼き捨てられていた時代である。彼女は集めた絵をひそかに彼女の家の地下室に隠した。彼女はヨハネス・アイヒナーという伴侶となる人を見つける。その人は彼女の展覧会開催のために奔走した、と言うだけで、彼がどういう人だったかということが推察できる。
第2次大戦の終結を待たずしてクレーが死に、カンディンスキーが死んだ。最後には彼女の伴侶であったアイヒナーも死んだ。彼女だけが一人生きのびた。彼女は80歳の誕生日に、レンバッハ美術館に彼女の大量のコレクションを寄贈した。1957年のことで、美術館は一夜にして世界的に有名になった。
ガブリエル・ミュンターは今から100年前に青春を生き、その時代の感動と熱気を伝えようとした。今回の展覧会の絵は多分彼女のコレクションが多くを占めているだろう。つまり彼女は命をかけてコレクションを守ることで、100年前の出来事と、わたしたちとの間の橋渡しをしたのである。彼女の生きたあかし、彼女の願い、彼女の愛、1枚1枚の絵に詰まったたくさんの思いを、わたしたちに伝えようとしたのである。彼女の写真の表情の、何かを訴えかけようとするその内容の一部を、私は勝手に、聞いたようなつもりになっている。今回何枚か彼女の絵が来ていて、楽しく見ることができた。ネットで検索すれば彼女の絵が見られるが、画面ではよくわからない。いつかまとめて彼女の作品をじかに見てみたいと思う。

画像
グーグルマップでムルナウ、もしくはドイツバイエルン ムルナウの検索をしてみよう。ミュンヘンの南西の小さな町。町の風景はマップ上の写真で見ることができる。家の壁は色とりどりで、これは多分カンディンスキーの時代とあまり変わっていないのではなかろうか。色彩にあふれる美しい町で、写実的に描いても抽象画に近づいてしまいそうな、そんな錯覚を覚える。町を探索しているとmunter houseを見つけることができる。今でも昔と同じミュンターの家が建っている。これは勝手に借りてきたグーグルマップの写真である。
画像
ミュンターの家の付近からは、斜面を降りて昔と変わらないムルナウの街が見える。教会の塔が谷の向こうの小高いところに見える。
画像
その教会をグーグルマップの上で散策してみると、一枚のお墓の写真が目に付いた。墓石にはGABLIERE MUNTERとある。墓石の向こう遠くには黄色い家、多分ミュンターの家に違いない。たぶん、彼女は彼女の愛したムルナウの町で、彼女が自宅の窓から毎日見ていた教会に葬むられることを願ったのだろう。
画像
これはカンディンスキーが1910年にミュンターの家の庭から描いた風景画だ。その教会が見える。だから彼女の魂は、絵の中で安らかに眠っている。

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 1

面白い

この記事へのコメント

よこやま
2014年02月20日 01:38
とても参考になりました。詳しいご説明ありがとうございます。

この記事へのトラックバック