エジプトファラオの永遠の命 その1

エジプトファラオの永遠の命

大英博物館 古代エジプト展 森アーツセンターギャラリー 2012
ツタンカーメン展 上野の森美術館 2012  を見て


 古代エジプトには3000年の歴史がある。それは我々の文明社会が出現してからの時間よりも長い。王朝の数は30を数え、そのなかで栄枯盛衰の繰り返しがあり、プトレマイオス朝のクレオパトラが最後のページを飾っている。ただしプトレマイオス朝はギリシア系の征服王朝なので、エジプト人による古代王朝はその前に滅んでいた、と言うことになる。
 歴史年表を見てみると大まかに言って、王権の力が強くなってエジプト統一王朝を作る王国時代と、その間の権力が弱まって分裂したり他民族の占領下におかれたりする中間期の、サンドイッチ構造になっている。
推測の域を出ない初期王朝時代が450年あるとされる。権力が強くなりエジプトが統一されていた時期は、古王国時代、中王国時代、新王国時代、末期王国時代。それぞれが約500年(中王国だけ半分の250年)。それらの隙間の権力の弱まった時期が、第一中間期150年、第二中間期200年、第三中間期300年。 末期王国時代の最後にマケドニアのアレキサンダー大王によるエジプト征服があり、その部下によって成立したプトレマイオス朝275年がつづく。ローマ時代365年、ビザンツ時代246年。イスラムの時代は西暦641年に始まり、現在まで1370年がたっている。エジプト人による国家主権の回復がなされたのは第二次大戦後のナセルの時代で、実にアレキサンダー大王征服以来約1300年がたっていた。
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 エジプトと言えばギザのピラミッド、スフィンクスのイメージが強烈であるが、これらは古王国時代に属し、ハトシェプスト、ツタンカーメン、ラムセス、王家の谷などは新王国時代に属している。ピラミッドはギザ以外にもあって、階段ピラミッド、屈折ピラミッド、赤ピラミッドがあり、他にも崩れてしまった失敗作が多数ある。ピラミッドづくりに飽きると、エジプト人たちは次に大規模な神殿建築に熱をれた。それはローマに時代まで続いた。有名なクレオパトラはプトレマイオス朝の最後の女王だから、エジプト人というよりはギリシア人の子孫である。

 この長きにわたって文明を支えた力の源はナイル川の恵みであった。
古代から近世に至るまで、エジプトでは年に1回のナイル川の氾濫があった。ナイルの上流で雨季に降る大量の雨が、有機物を含む泥とともに川となる。急激に膨れ上がった川は山を下り、エジプトの砂漠地帯に流れ込む。南天のシリウスが地平に現れる頃、大量の水はナイルの下流に至り、ゆっくりと、大きく、川は氾濫していく。そして水が去った後には肥沃な泥に覆われた広大な土地が現れる。人々はそこに穀物の種をまくだけで、乾燥しないように時々川水をかけておくだけで、毎年豊かな収穫が得られたのである。
 今はアスワンハイダムなどでナイルの氾濫はコントロールされているようだが、それも長くは続くまい。毎年上流から流れてくる大量の土砂で、ダム湖は埋まっていく。人間の力でどうにかなるような泥の量ではないだろう。いずれダムは完全に埋まり、その上を川は好き勝手に流れだすにちがいない。いくつ新しいダムを作っても同じことだ。今から100年もすれば自然は人間の力を乗り越えてしまい、ナイルの下流は悠久の昔と同じように、毎年の洪水が訪れることになるのだと思う。


 2013年の夏、私は2つのエジプト展を見た。実は古代エジプトのファンです、という人の数は多いようで、いずれの展覧会も盛況であった。私もその中の一人で、人の列に連なりながら見ていく羽目になったのだが、実に楽しく見させてもらった。次々に目の前に現れる古代エジプトの絵画や石像は、男性も女性も自然の描写も、パターン化された中に独特の感性が感じられ、美しい。展示品の中には船の模型や建物の模型などの工作物もある。大の大人がまじめに作ったにしては、小学生の図画工作程度の出来栄えで、なんとも微笑ましい。そしてあの古代エジプトの象形文字。墓、記念碑などにはかならず、素晴らしいデザインの堂々たる文字が、強烈な存在感を持って誇らしげに彫り込まれている。文明社会の黎明期にはじめて文字が発明された、その生まれたばかりの文字の姿がここにある。その頃の文字は意味を伝える単なる記号ではなく、文字自体に力があり、その魔力が人間に影響を与える。たぶんそのように古代エジプトの人々は信じていたのだろう。見ている私にもその魔力がほんのすこし伝わってくるようであった。

 解説書などによれば、たいがいの展示物は古代エジプト人の墓の中に納まっていた物ということだ。だから、これらは現代の展覧会のように人間が鑑賞するものではなく、神々に見てもらうために地下に埋められたのが本当のところだ。そこには、人間はこういう形、動物はこういう形、植物や食べ物はこういう風に描くというような約束事があった。だから決まって男性は筋肉質で力強く、女性は若く素晴らしいプロポーションで描かれた。自然には豊かな恵みがあり、人々は幸福に暮らしている。もちろん古代エジプト人がこんな人々ばかりでなかったのは現在のエジプト人を見ればよくわかる。どんなに肥って醜い老婆でも死んで墓に描かれるときは、その人が若くて一番美しい時の姿を約束事に沿って描かれた。だから、数千年の時を経たあとの遺物の展覧会を見ている私達は、当時生きた人の抱いていた理想化された幻想というものを、見せてもらっているというわけだ。


 今回展覧会に出ていたグリーンフィールドパピルスは、ものすごく長い「死者の書」で37mもある。もともと古代エジプトの象形文字の解読ができなかったころ、墓の中に同様の文章が入っているのを数多く見つけた人が、死者とともに墓の中にあったことから「死者の書」と名前を付けたらしい。「日のもとに出現するための呪文」とかいうのがもともとの書物の名前だったようで、死んだ人が死者の国で復活してよろしく生活するための指南書、といったものであるらしい。死んだあとどこに行って、どんな神々と会う予定になっているのか。そこでの儀式はどんなもので、なにを言わなければならないか、など、いわば古代エジプト人のための、死んだあとのガイドブックにあたる。
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 ナイルは古代エジプト人にとって恵み深い川だった。だから古代エジプト人が信じた神々も、そのほとんどは人間に親切な、気の良い神だった。大地の豊穣は毎年ナイルの氾濫が約束してくれて、いわば地上の楽園に住んでいるのと同じこと、人々は楽天的になるわけだ。それは神々の性格に反映されている。エジプトの神は基本的に施しをし、人間の幸福を約束する神である。これを迫害を受けたユダヤの旧約聖書の神や、過酷な自然環境のヨーロッパの神々の厳しさと比べて見ればいい。人間がこれらの神の怒りに触れようものなら大変な罰が下されてたいてい命が無くなる。それに対し、エジプトの神々は人間に対して友好的で、ちょっとのことは大目に許してくれる。エジプトの死者の書に、死者の国に入る関門として、死者が神々の前である文言を宣誓しなければいけないくだりがある。私は人を殺しませんでした、私は物を盗みませんでした、そこまでなんとかクリアできる人も、私は嘘をつきませんでした、私は悪いことをしませんでした、などとなればまず宣誓するのは無理でしょう。閻魔様なら舌を引っこ抜くような白々しい嘘を、いけしゃあしゃあと言えてしまうのは問題だと思うのだが、つっかえずにすらすら宣誓できればエジプトの神々はOKだったらしい。ようこそ楽しい死者の国へ「ウェルカム・トー・ザ・ビューチフル・デッド・ランド(?)」なあんて、エジプトの神は大甘すぎでしょう。


 エジプトの神々は、実にユニークな姿をしている。動物由来の姿をしている神が多く、もともと地方に根差した土着の信仰の神であった。神同士の相互の関係は薄かったと考えられている。人間の姿をしている神は、起源が比較的新しいのではなかろうか。それらの神々は、長い年月の間に人間の出入りのせいで次第に変質し、離合集散さえもが行われた。例えば一部の神々の家系図があるが、それは後から作られたものであるらしい。特に重要な有力な神になると、単一の性格を持たず複雑に分化していたりするので、本の解説を読んでいてもこちらは混乱してしまう。
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 アメン神 アメン・ラー神 エジプトでも最有力の神で太陽神である。
アメン神はもともと姿のない創造主であったというが、中王国時代以降、歴代のファラオたちが信仰したために、神々の中でも絶対的な力を得るに至る。姿がないので太陽円盤としてあらわされたりする。別にラー神と言う宇宙の神がいて、それと同一視されるようになって合体し、アメン・ラー神となった。巨大な神殿が遺跡として残っている。
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 アヌビス神 犬の姿をしている神。かつてエジプト人は砂の中に直接亡くなった人を埋めて、砂漠気候による自然乾燥によってミイラを作っていたのだが、それを犬どもが食い散らしていた。それが転じて墓を守る神になったのだとか。ツタンカーメンの墓の中に、守り神としてのアヌビス神の美しい像がある。
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 イシス神 人型の神 オシリスの妻であり、ホルスの母親。ホルスに乳を与えているところなどは聖母マリアが幼子キリストを抱いている姿によく似ていて、キリスト教のマリア信仰の原型となったとされる。頭の上に椅子を乗せた姿であらわされる。蛇毒や傷の治療にたけた魔法使いのお母さんで、夫オシリスに献身的につくし、セトによってばらばらにされたオシリスの体をつなぎ合わせて復活させた。子供ホルスを強敵セトから忍耐強く守り、太陽神ラーを計略にかけてその秘密の手に入れるところなど、なかなか聡明でもある。おまけに美女。つまり魅力的な女神で、ローマ帝国の時代でも人気があった。
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 オシリス神 豊穣の神 もとはナイルの恵みをもたらす豊穣の神であった。彼の働きでエジプトは豊かな実りを約束されていたし、彼が接する女性はことごとく身ごもって子供を産んだ。あまりに性格が良すぎるお人よしなので、弟のセト神にコロッとだまされて殺されてしまい、こま切れにされてエジプト各地にばらまかれる。セトは男性不妊で子がなかったが、彼の妻のネフティスにオシリスが手を出して子を作ったりするからいけなかった。ばらばらのオシリスの体は、妻のイシスとネフティスによって集められ、再生して冥界に復活させた(ミイラの始まり)。その際彼の男性のシンボルだけは見つからなかったのだというのだが、それは冥界で子供をたくさんこしらえられたら困るからなのだろう。
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 ホルス神 ハヤブサの姿をした天空の神、宇宙の神、玉座の神、戦いの神。エジプト各地のハヤブサ信仰を吸収して肥大し、時代が下るにつれていろいろな姿のホルスが派生した。だからホルス神と言っても単一の姿ではないのだそうだ。オシリス神とイシス神の子で、子供のころセト神に命を狙われ、イシス神に守られて難を逃れている。成長してのち父のかたきのセト神と戦って倒し、その体を父と同じようにバラバラにしてエジプト中にばらまいたのだという。別の伝説では、正義と悪の対立はなくなることはないのだから、二神は今でも戦っているのだそうだ。
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 セト神 現存していない動物の姿をしている。犬に似ているがそうではない。耳が四角く角ばっているのですぐに見分けがつく。人々に恩恵を与えることもあるが、おそろしい破壊をもたらすこともある。悪のエネルギーに満ちたコントロール不能の神である。もとは上エジプトの砂漠の神であったらしい。ピラミッドができる前の時代に、エジプトはホルス派とセト派に分かれ権力争いをしたことがあった。戦いに勝利したのはホルス派であったために、セトは悪役にされてしまった、というのが真相らしい。しかしセト信仰が消滅することはなく、新王国時代でもその戦闘的な性格から戦いの守護神とされるほど人気はあった。
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 トト神 もともと下エジプトのトキの姿をした神と、上エジプトのヒヒの姿をした神が、性格が似通っていたので、上下エジプトが統一された際、同じ神ということになった。そのためあるときはトキの姿、あるときはヒヒの姿をしている。創造神の一人であるが、他の創造神であったアモン神、アトゥム神、プタハ神、アメン・ラー神などと比べると実務的な側面が大きいように見える。時を支配し、その創造の言葉から宇宙を作り、秩序を作った。重さや長さを決めて数学を発明し、言葉を発明して記録する書記としての知性の神であり、医学や魔術の神でもある。エジプト絵画では、太陽の船の乗組員や、死者たちの審判の場での記録係でよくお目にかかることができる。エジプトが発展するにつれて、一番多忙を極めた神で、いわば神々の官僚組織のトップと言ったところか。分身の術でも使わない限り、仕事はこなせなかったに違いない。
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 ベス神 ひげを生やした小人、踊っているライオン 音楽、踊り、娯楽、生殖などをつかさどる庶民の味方。エジプトではかなりユニークな親しみやすい神である。ギリシア神話の酒の神バッカスの、陽気な叔父さん、といったところか。
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 ウジャアト神 コブラ 下エジプト(ナイルのデルタ地帯)を守護する神。赤冠をかぶる。
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 ネクベト神 ハゲワシ、上エジプト(それより上流の地域)の支配者である神。白冠をかぶる。
いずれもファラオの額飾りに並んでいるハゲワシとコブラの神である。 上下エジプトの紋章にはほかに下エジプトのミツバチ、上エジプトのスゲがある。
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 シュー神:大気の神。天の女神の娘のヌトを支える 図では父の手の位置が、微妙。いくら娘を支えるとはいえ、手がその位置ではまずい。おとうさん、だめ、私、手や足を動かせないんだから、その手をどけて。この辺ならいいかい。もうやだっ、おとうさんは無神経だから嫌いよ。・・・ほら、男親なら、そのへん気を付けないと、嫌われてしまいますよ。
 ゲブ神:大地の男神 ゲブとヌトは兄弟にして夫婦。無理やり父親によりひきはなされてしまった。いじけているように見えるのは、私の気のせいか。
 ヌト神:天の女神 裸、もしくは体に星をまとった姿であらわされる。地の四隅に手足をつけて天を支えている。
ナイルが南北に流れるのに対し、この女神は頭が西、足が東にあってナイルと直交するように天を支えている。体は水でできている。太陽は夕方この女神に飲み込まれ、太陽の船がこの女神の体の中を旅する間に太陽は復活し、朝日として生みだされる。

ここで、ヌト神の体の中の太陽の船の航路について、疑問がある。

問い:女神は、太陽を口で飲み込む。鼻や耳や、ましてや眼で飲み込む者はいない。口で飲み込んだ太陽はいったい女神のどこから出てくるか。

どう考えても変だ。以下はその考察である。

出てくるところは女性の場合、3つの候補がある。前の門と中の門と後ろの門だ。

1、口から飲み込んだものは消化管を通っていく。そして最後に出てくるのは後ろの門、後門であることくらいは就学前の子供だって知っている。ただ、太陽の船がこのルートを使う場合、幾多の問題が出てくることは想像に難くない。まず、夜明け前のさわやかな時間に、太陽神様にこのようなにおいの中をおすすみいただくのはたいへん申し訳ない。それにいつも朝1番に出るとは限らない。最近ちょっと便秘気味なのよねーとか、急性胃腸炎で嘔吐下痢があるなど、女神の体調によっては危険である。きょうはなんで朝日が昇るのがいつもより遅いんだ?とか、この3日間太陽を見てないねー、とか。それとは逆に、まだ午前3時なのにすごい勢いで太陽が出てきた、一緒に何かが飛び散って落ちてきたぞ。なあんてことになれば、はなはだ都合が悪い。

2、一番前の門、ということになれば、太陽神ラーを乗せた船がいったん消化管で吸収されて血液循環に乗るルートが考えやすい。消化管から吸収された太陽は、門脈から肝臓を経て、下大静脈、心臓、肺動脈、肺、肺静脈、心臓、大動脈の順に送り出される。そこからうまく腎動脈の流れに乗れば腎臓から尿管へ出ることができる。膀胱で一休みした後、前の門から朝日になって出てくることができる。このルートの難点は、血流にのったところでの船の速度が半端ではなくなることと、心臓を出て大動脈に入った後、うまく腎動脈に入ることができるのか、というところにある。そこをはずして下半身に流されると、大きくぐるりと回って静脈系から心臓に戻り、肺、心臓を経て大動脈に入っての再チャレンジということになる。コース取りをしくじって腎動脈に入れないと、血液に流されたままヌト神の体の中をぐるぐる駆け巡ることになりかねない。それに加えてゴールのところも難しい。膀胱を出た朝日にスピードがつきすぎないよう、コントロールするのはヌト神にとって難儀であろう。

3、やはり自然な思考から言えば、中の門を使って出てくるのが妥当なことになる。ただし、口から中の門に至るには途中かなり無理をしなければいけない。というのもそこには直接つながる正規のルートはないからだ。仕方がないので船が小腸のあたりに至ったときに消化管を突き破って腹腔内に入る、というコースはどうだろう。腹腔を下りて卵巣近くの卵管采から卵管に入れば、子宮を通ってめでたく朝日が自然にお生まれになることができる。
このコースの問題は、ラー神の船が消化管を破るところであろう。これは消化管穿孔と言って、患者は大変な激痛に見舞われるのがふつうである。救急車を呼ばざるを得ないはずで、搬送された病院では当直医が冷や汗をかきながら診断をつけ、外科医を呼んで緊急手術の手はずになるというものである。もしここで当直医が穿孔を見逃すと患者は急激に重篤な状態になり、あげくのはては医療訴訟である。このような危険な状態にヌト神は毎晩さらされている。女神は人間とは違い、不死身なのである。
    ***
古代エジプト人は、神々の存在を信じていた。ピラミッドを作った人たちはピラミッドの力を信じていた。ミイラを作った人たちは、死後の世界を信じていた。昨日と同じように、今日も太陽は昇り、ナイルの流れは絶えることがない。昨年と同じように、今年もナイルは氾濫し、豊作と富をエジプト人に約束する。むろん不作や疫病などが人々に不幸をもたらすことはあったろうが、それは長く続かない。大きく裏切られることがければ、疑うという発想は起きにくいだろう。なんて幸せな時代の人たちであったのだろう。

しかし、彼らは皆が皆そんなにお人よしだったのだろうか。一抹の疑念が生じ、信じていた物が信じられなくなり、死後の世界が嘘であったなら、などとと考える人は、一人としていなかったのだろうか。

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 アセンメト大王は、生まれながらにしての王であった。幼い頃より父親である先王アテメス1世のそばに立ち、その施政の様子を見ていた。しかし、国は小さく、乱れていた。先王は苦労して国内の反対勢力を追い落とし、国力の充実を図った。兵を強くして侵入を繰り返す外国の軍隊を追い払った。そしていよいよ遠征の準備が整いエジプト統一の軍を起こしたまさにその時、病に倒れた。
 アセンメトは、元気な父王が倒れ、死んでいく一部始終をそばで見ることになった。しかし悲しんでいる間はなかった。彼は迅速に動いて対抗勢力の芽を摘み、自分が王であることを臣民に認めさせた。臣民はこの時初めて、先王の陰に隠れていたアセンメトが、人々よりも頭一つ大きいほどの背丈で、肩幅があり、目に強い光を宿しているのに気が付いた。アセンメトは軍を動かした。彼は迅速で的確な指示を出し、規律には厳しいが公平であった。そして最初の戦いの圧倒的な勝利の瞬間に、全将兵の心は王のものとなっていた。彼は瞬く間に上エジプトを統一し、さらにナイルの上流に軍をすすめ後顧の憂いをなくした。ついでナイル下流へと転身し、軍を下エジプトに向かって北進させた。抵抗は激しかったが、彼は常に勝利した。いつしか彼はホルスの化身といわれるようになり、上エジブトの白冠に加え下エジプトの赤冠もつけるようになった。

 大王がそんな勢いのある若かりし頃のことである。ナイル川のほとりを行軍していたとき、軍の行く手に一人の酔っぱらった老人が現れた。ふらついた足取りで、手には酒袋を持ち、一口飲んでは大声で歌っている。

 「大王なぞはみじめなものさ
  どんなに着飾り威張ってみても
  いずれ死なねばならないことは
  一兵卒とおなじこと」

そのまま地べたに横になっているので、先遣隊が駆け寄ってきた。屈強の若者数人がかりで老人を殴りつけ、それでもどかないとなると、数人で抱えて道の外に投げ飛ばした。乱暴されて相当のけがを負ったはずなのに、平気で老人はでたらめに歌い続けている。

 「あの世で生きるとどうしてわかる
  死者の誰かが教えに来たか
  大王虫けら 同じこと
  永遠(とわ)の命の
  書物があるのも知らないで」

アセンメト大王は行軍しながらその声を聞き老人を見た。殺しましょうかと言う部下に手をあげて止めさせた。

 野営地に着くと大王は先ほどの老人を客人として連れてくるように命じた。
老人がやってきた。足元はふらつくものの自分の足で歩いてきた。王は聞いた。
「名前は何という」
「私は客人として連れてこられたのか、罪人として連れてこられたのか。」
「客人としてだ。」
「ならばよんだ方が先に名乗るのが道理であろう。」
刀のつかに手をかける部下を大王は制した
「知らぬのか。私はこの国を治める王だ。お前の名前はなんだ」
「私の名はネルフィル、永遠の命を持つもの、はるかな昔より生きてきた」
「ほほう、それはいつごろからかな。」
「多くの王に会ってきた。堂々たる王もいたが、みじめに殺された王もいる。あんたの悪さはたいしたことはない方だ。クフ王に比べれば。」
「クフとは、あの大ピラミッドの王のことか。」
「いかにも、クフは立派で、そして悪い王であった 上エジプトから下エジプトまで、彼の声は届き、思いつくかぎりの悪事をした。彼は神に等しかった。命に限りがあったことを除けば。この私もよく宮殿に呼ばれて話し相手をしたものだ」
「よくそんなことがいえる。年はいくつになる。」
「3000歳」
「ははは、ばかなことを。この刀でお前の言葉をためしてみようか」
「王がお疑いになるのはもっともなことだ。しかし私は生まれてから3000年この世を見てきた。私が永遠の命を得た理由をお聞かせしよう。
 その昔、ならびなき二神、ホルスとセトが戦い、この世が乱れていた時の事。最後の戦いに気を取られていた多くの神々は注意がおろそかになっておった。わしはトト神の神殿に忍び込み、生者の書をまんまと盗み出した。神々の戦いは結局ホルスが勝ち、セトは体をバラバラにされてエジプト各地にばらまかれた。戦いが一段落してから書物が盗まれていることに気付いた時のトトの怒ったことと言ったら。しかし書を盗んだわしを見つけ出した時には、すでにわしは生者の書を読み終えていた後であった。トトはわしを殺そうとしたのだが、何せわしにはすでに永遠の命がある。どうすることもできなかった、というわけさ。トトは怒りのあまり生者の書を切り裂いてエジプト各地に放り投げた。わしはとっとと逃げ出した。それ以来こうして遊んで暮らしている。」
 ネルフィル老人のほら話にあきれてアセンメト大王は話題を変えた。下エジプトの様子を聞き出そうとしたが、老人はたいしたことは知らなかった。大王はさっさと老人を追いだし、翌日には老人のことをすっかり忘れていた。

 それから長い月日をかけてアセンメト大王は上下エジプトを統一した。遠くシリアまでも遠征し、エジプトに信じられないほどの財宝と数多くの奴隷をもたらした。大王の威光は全エジプトから周りの国々にまで及んだ。ナイル川沿いには多くの神殿がつくられ、大王の業績をたたえる壁画と、神としての大王の巨大な像が奉納された。

 ナイルの川沿いに、百の門のある大きな都が建設された。エジプト各地から人や資材を満載した数多くの船が港につき、道路にはものすごい数の人々が荷物を運んで列をなし、商店が立ち並んで都は活気に満ちていた。それはあたかもアリの大群がその巨大な巣をみるみる作り上げていく様子に似ていた。さらには、数多くの遠い異国の者たちが、きらびやかな行列をつくって貢物を持ってやってきた。
 都の中央の小高い丘に、大王の壮麗な宮殿がそびえていた。その建物は壁面を埋め尽くしたトルコ石が光を浴びて、都のどこから見ても、青く輝いていた。宮殿には巨大な列柱が並び、数多くの彫刻が壁を埋め、華麗な衣装に身を包んだ書記たちや、簡素な服装で無駄のない奴隷たちが動き回っていた。宮殿には数えきれない部屋があったが、色とりどりの大理石や高価な木材をふんだんに使ったものなど、同じ部屋は2つとしてなかった。 
さらに宮殿の奥にいくと、堀と高い塀の中に大王一人のための広大な庭園があった。そこはオアシスのように緑豊かで、果実がたわわに実り、木々が木陰を作り、ナイルから導きいれた小川がながれ小さな池もあった。散歩する大王を美女たちがあずまやで歓待し、大王は思うがままに楽しむことができた。当然の結果として、宮殿内には数多くの彼の子供がいた。長男や、とりわけ優秀であった一部の子供を除いて、そのほとんどがどうでもよいような存在だった。大王が名前すら覚えていない役立たずの子供たちが100人以上いた。

 大王に不可能なことは何もなかった。あらゆる土地、建物、財産は彼のものであり、それを臣民に貸して使わせているだけだった。あらゆる人間の命も彼の自由で、気に入らない者を気分次第で処刑しても、誰もととがめだてすることはできなかった。彼は神として振る舞い、神としてあがめられ、すべての人間が彼の言いなりであった。


 (その2へ続く)

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