駒井哲郎 1920 - 1976 ―こころの造形物語―

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海底の祭 1951
 記憶のそこにうごめくイメージはもともと具象化が困難なぼやけたものでしかない。この版画家はそれにはっきりとした輪郭線を与え、濃淡や質感を決めていく作業を行なった。心はきっと海に似ている。海の底の夜が明けるころ、小さな生き物たちが次第に規則正しく呼吸をはじめ、それに合わせて底に沈んだ記憶の数々が目を覚ます。あたたかい記憶、冷たい記憶、かわいた記憶、湿った記憶。こんがらがった記憶は錯綜したままで木の葉のように揺れているのだが、それは海面に見えている波の波長とは異なっている。いろいろな記憶が勝手に動き出すと、そこには呼び覚ましてはいけない記憶の口までもが開いてしまう。結び紐が解かれて現れた針。それは銀色に光り、いまだに錆びていない。ふたたび突き刺さる悔恨、そうしてもう一撃。こんなことはもうやめようと幾度思いかえしたことか。意味のない苦しみに疲れ、私は胸に針をさしたまま暗い海の底にゆっくりと沈んでいく。

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des poissons(魚) 1950
 これは私。私は子供の時のアルバムに貼られた1枚の白黒写真を思い出す。海水浴、砂浜を水着の私が猫背でうつむいて歩く。やせっぽっちの、あばら骨の透けた私の向こう側に、真っ黒なサングラスの腹の出た父親がふんぞり返って座っている。その前を横切ろうとする卑屈な私。吟味されるあばら骨の透けた体。父親の向こうは海。記憶の中の、白黒の海。

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黄色い家 1960
 穏やかな黄色、鮮やかな黄色、触るとざらざらが気持ちよい黄色。屋根の上の赤いハート、つい加えてみたかったハート、幸せの形を逆さまにしたハート。植込の緑、リズムのある緑、歩いていくと繰りかえされる緑。屋根の端の樋のあたりの赤い丸は何?アクセントを入れたかったのか、それとも版画家に秘密の理由があったのか。扉の向こうの世界、窓の向こうの世界。完全な幸福の世界。家に穏やかなイメージを持てる人は幸せだ。

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「自分に似てゐる人」挿画(鱶とマルドロオル)1951
  (以下引用)
 おれはおれに似た魂を探していた。だが見つけることはできなかった。おれは地上くまなく探しまわったが、どう頑張ってもだめだった。だが孤独のままでいることはできなかった。おれの性格を認めてくれる者が必要だった。おれと同じ考えを持った者が必要だった。・・・(中略)
 マルドロオルは幻影を見る。彼は海辺の岩に座り一艘の船が帆を張っているのを見ている。嵐が船を打ち砕き、難破船は警砲を打ちながら沈んでいく。乗組員の断末魔の叫びと苦悶にマルドロオルは酔いしれる。そこに不屈の精神で泳いで来た遭難者が岩に手をかける。マルドロオルは彼を銃で撃ち殺すのだが、すでに殺人にはあきてしまった。まだ人か波間にちらちらしていたがそこに現れたのが鱶の群れ。彼等は生存者たちを血祭りに上げ、そのうち仲間で争いを始め、1匹の巨大な雌の鱶が他の鱶に取り囲まれる。マルドロオルは取り囲んだ1匹を銃で撃ち殺し、泳いで行って残り2匹を短刀で刺し殺す。(以下引用)
 ・・泳ぐ男と、彼に助けられた雌の鱶はたがいに向かい合う。しばし彼等は見つめ合い、たがいに相手のまなざしの中に無量の凶暴さを見つけて驚嘆する。彼らは輪を描いて泳ぎながらたがいに目をはなさず、心中ひそかに思うのである、「おれは今まで思い違いをしていた、ここにおれよりももっと悪いやつがいる。」・・・(中略)・・・なんの苦も無く三メートルの距離にまで達すると、彼らは二人の恋人のようにたがいにはたと倒れかかり、上品さと感謝の気持ちを込めて、兄か妹のように優しい抱擁を交し合う。肉欲がこの愛情の表示につづく。力強い二つの大腿が二匹の蛭のように怪物のねばねばした皮膚にしっかり貼りついて、腕とひれは恋しさ一杯にまといつく愛する相手の体にからまり、喉と胸はと言えばたちまち海草の吐き出す緑色の塊としか見えなくなり、荒れ狂いつづける嵐のただ中で、稲妻の光に照らし出され、泡立つ波を婚姻の床として、海底の潮の流れに運ばれ、深淵の未知の深みへと反転してまろび落ちながら、彼らは長い、清らかな、またいまわしい交尾に結ばれ合っている!・・・ついにおれはおれに似た者を見つけ出したのだ!・・・(後略)(ロートレアモン詩集 渡辺広士訳編 思潮社)

 私の本棚にあった詩集はすでに紙が茶色に日焼けして薄汚れている。何十年ぶりかで手にして、同じ字句を読んでいるはずなのだが感じ方は昔とは違った。尽きることない毒舌と悪意の奔流は相変わらずで若い時はこれに圧倒されていたのだが、いま読んでみると昔ほどインパクトがない。ロートレアモンは1870年に死んでいるが、その後の20世紀は彼が描いた世界よりも醜悪だった。戦前の日本、アジアで実際にされてきたこと、2つの世界大戦で、アウシュビッツで、ロシアの収容所で、アフリカで、ベトナムで、そして現代の世界のいたるところで何がなされてきたか。
 ロートレアモンの暴力の描写はリアルだが、それは彼が子供のころこのような暴力を日常的に受けていたから書けたのだろう。彼は不具で被虐待児だった。しかも彼は感じやすくて想像力のある聡明な子供だった。そのような子供が虐待される時の恐怖はいかほどのものであったろうか。虐待されることを想像するだけでどれほど彼は苦しんだであろうか。彼の周りに彼の味方となる大人はいなかった。彼のまわりには暖かいもの、やさしいもの、穏やかなもの、守ってくれるものはなかった。彼は心を閉ざし、体から心を切り離すことで心を守ろうとした。彼をまともに扱ってくれる人はいなかったので、彼は他人と普通のコミュニケーションをとることができなくなっていた。しかしそのままでいるには彼の心は豊か過ぎた。彼は自分のことを理解し、認めてもらうことが必要だった。孤独な彼はわかりあえる人を探していたのだが、コミュニケーションに障害のある彼はまともな関係を他人とむすぶことができなかった。彼は人間に絶望し、言葉で自分の心を表現しようとした。言葉の世界では、彼は自由だった。それは自分を認めてほしい、どうにかわかってほしいという絶望的な最後の叫びだった。
 彼が書き終わったとき、彼にはもはや何も残ってはいなかった。ロートレアモン=イジドール・デュカスに関しての記録は死亡確認書があるだけでその他の情報はほぼ何もない。これは詩芸術のために彼が自分の存在をこの世から消そうとしたのではない。彼は記録に残りたくても、あまりにも孤独でありすぎたために残ることができなかったのだ。

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北風と・・・1974
 もう少し生きるつもりだった。まだ新しい発見がこれから先に待っていると考えていた。ルドンは50過ぎから色彩の世界に入って行ったのだから、ルドンと同じくらいは生きるつもりだったのだから、50を過ぎたらもっと自由になって、もっと自在に、ごく日常の穏やかの気持ちで仕事に向かい、もっと好きなように遊ぶことができると考えていた。しかし現実はそういうふうにはならず、めくられたカレンダーに彼の日付は無かった。北風が吹く。昔の幻影が水玉になって、粉雪になって、軽やかな気球になって、目の前を通り過ぎていく。また過ぎていく。そしてまた。もういらない。何もいらない。もうすぐすべてが失なわれる。

版画家駒井哲郎は2年半の闘病生活を経て1976年11月20日舌癌肺転移により死去。享年56歳。

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