若冲の動植綵絵を見て その4

 

「なぜ水に触れることができないのかしら。私は死んでいるので、何も感じることができないのでしょうか。」
「いえ、自分の体に触ることはできるでしょう?つねったら痛いでしょう?だからあなたは死んではいないのです。人は誰しも、自分の心の中にあるものしか見ようとしません。これはあなたの心の中を流れる川なのですよ。」

群れをなして泳いでいた魚は動きを止めました。そして淡く縮んでそれぞれ小さな光の点になりました。ハスの花も葉もみるみる光を失って小さな点となり、あたりは暗くなりました。もとのように暗闇に星が光り、静かに川が流れているばかりです。

川が遠く流れていく先で、かすかな光が上下に動いているのに気が付きました。はじめはわずかに動いていただけでしたが、周りの光があとからあとから加わって揺れが大きくなり、うちよせる波のようになってこちらに近づいてきています。次第に見えてきたのはさかんにははばたいている黄色い蝶でした。見たこともないほどのたくさんの蝶が、いっせいに上流を目指して飛んでいるのです。川底からも光が次々に浮かび上がり、水面で蝶に姿を変えて舞い上がり、群れに加わります。とうとう川面も見えないほどのおびただしい数になった蝶の大群が、まるで黄色い霞が竜の姿となってうねるように、私の目の前を飛んでいくのでした。
「こんなにたくさんの蝶、私見たことがない。いったい何があったのでしょう。」
一匹の蝶が群れから離れ、ひらひらと私のそばにやってきました。近づいては離れ、右に左にまといつくようにして飛んでいます。私は蝶に言いました。
「どうしたの、仲間から離れてきて。いったい私に何の用かしら?」
お坊様が言いました。
「蝶には人の魂が宿っている、と聞いたことがあります。亡くなった人の魂がこの世に戻るとき、魂は蝶に姿を変えるのだ、というのです。」

私ははっとして蝶を見つめました。そのお言葉が何を意味しているのか分かったからです。蝶は私の腕にとまりました。黄色の翅に黒い模様のアゲハ蝶です。ゆっくりと翅を開いたり閉じたりしながら、足を細かく動かして私の腕を触っています。これが私の夫の魂なのでしょうか。あの日、夫はあの川で命を落とし、川下へと流されました。この蝶はその川下からはるばるやって来たのです。
「・・・あなたなのね。」
蝶はふっと飛び立ち、こんどは私の手にとまりました。翅を動かしながら指先へと移動していきます。
「そうなのね、あなたなのね。」
蝶は答える代わりに翅を大きく広げました。黒の模様が虹色に光ります。ふわりと舞い上がってはまたもとに戻ってきます。夫の魂に間違いありません。ふるえるような嬉しさが湧き上がってきました。涙があふれてきて笑っているのか泣いているのか自分でもわからなくなりました。蝶は盛んに私の周りを飛び回り、一緒に遊ぼうと誘っているようです。私は導かれるまま前へと進んでいきました。

私はお花畑に足を踏み入れていました。赤や白、黄といった花の色が目の前の野原や谷間、さらにその先の小高い丘の上まで続いています。花を手に取ってみると、ふっくらと八重に重なる花びらは光に溶けてしまいそうなほど透き通っていて、黄色のおしべが恥ずかしそうにのぞいています。高貴な女性が華麗に装っているようなそんな花の脇に、初々しい乙女にも似た一重の花の群れもあります。先ほどの牡丹の花とよく似ていますが、こちらの方が少し小ぶりで高く香ります。これは芍薬というのだとあとでお坊様は教えてくださいました。そんな見渡す限りの花の上を、たくさんの蝶がゆったりと飛んでいます。黒アゲハや青すじアゲハ、よく見かけるモンシロチョウに黄色い蝶、それに見たことがないようなきれいな蝶もいます。私のアゲハは花の蜜を吸い、青空高く舞い上がり、舞い降りては私のそばを飛びまわります。私は花をかき分けながら追いかけます。いったいどこへつれて行ってくれるのでしょう。小さな蝶が私のそばに集まってきました。これは私の子供たちなのでしょうか。うれしくてどきどきして、こんなにたのしいことは久しぶりです。私は笑い、踊りながら歌い、飛び跳ねて花を散らし、涙を流していました。

お花畑の端をとびだして、私は立ち止まりました。目の前に小さな池があります。緑のつるが大きな葉を広げ、絡まりあいながら生い茂っていました。そこには白い花が咲き、ひょうたんがいくつもぶら下がっています。あたりは蛙の鳴き声がげろげろとにぎやかです。池のなかに体を半分水にひたした蛙が勢ぞろいし、張り合うようにして鳴いているのです。腹の赤いイモリが顔を出しています。蛙と並んで一緒に歌っているつもりなのでしょう。ほかにもたくさんの生き物がいました。トンボ、バッタ、蝉。こっちにはカマキリ、カブトムシ、芋虫毛虫。虫を見つけるたびにうれしくなります。夫の蝶は虫たちに挨拶するかのように、優雅に舞いながら池の上をめぐっていました。
突然鳴き声が一斉に止みました。蛙たちがはねて四方八方に逃げていきます。池の隅で、蛙が尻の方から蛇の大口に呑まれていたのです。口からはみ出た足が動いていますが、もうどうしようもありません。気が付けば糸の絡まった蝉がクモの巣からぶらさがって揺れているし、トンボが裏返しになってアリの餌食になっています。バッタが水の中に落ちてもがき、オタマジャクシが仰向けに浮いて仲間につつかれています。緑の葉でさえ枯れて茶色に縮こまり、腐ったひょうたんには大きな穴が開きました。つい先ほどまで元気だった虫たちは死に、緑は枯れていくのです。陽の光もいつしか弱くなって、夕暮れのとばりが降りてきました。

夫の蝶の飛び方がおかしくなりました。よろよろと力がなく、いまにも地面に落ちてしまいそうです。心配になった私は手のひらを目の前に差し出してやりました。蝶はけなげに羽ばたいて、ようやく手の上にとまりました。いつの間にか翅があちこち擦り切れて、端の方は欠けています。蜜を吸うときのように、丸まったクチを伸ばして私の指にふれてきました。でも私は花ではありません。こうして休ませてあげることしかできないのです。蝶はじっと動かなくなりました。どうしたのかと手を揺すると蝶はゆっくり横倒しになり、さきほどまで私の手をつかんでいた細い足が、そのままの形で宙に浮いていました。
「どうしたの?なぜ動かないの?だめ、死んではだめ、さっきまであんなに元気だったのに、息を吹き返して。私を置いて死んでいったりしないで。」
しかし蝶が動くことはありませんでした。お坊様が言われました。
「この蝶は、この世での役割をおえたのでしょう。」
「なぜなの、なぜみんな死んでしまうの。どんなにがんばって生きてもさいごには死んでしまう。多少よいことがあっても結局は同じことじゃないの。せっかく帰ってきた夫の魂まで、私を置いてどこかへ行ってしまう。」
「これが生きるということなのでしょう。虫たちは食べて、食べられて、せいいっぱいのことをして、すべてを受け入れて命を終えているのです。」
手の中の蝶がにじんでぼっとしてきました。涙のためでしょうか。しだいに縮んで小さな光になりました。そして私の手から蛍のようにふわりと飛びたち、浮き沈みしながら暗くなった空へと消えていきました。暮れ落ちた池でも小さな光が次々に舞い上がり、尾を引きながらみだれ飛んでいるのでした。
夫の魂は闇の世界へ戻っていきました。どんなにつらいことでしょう。私のせいでこんなことになった。みんな私がいけなかった。だから私もまた、死んだあとはひとりさまようのでしょう。はてしのない闇の中を、はてしのない時を、永遠に許しを請いながら。

「ほら、また何かがはじまりますよ。」
お坊様の声で顔を上げると、目の前に赤い光が浮かんでいるのが見えました。夫の魂が戻ってきてくれたのでしょうか。私はうれしくなりました。赤い光はすばやく動きだし、動いた後に線を残します。今度は何をしようというのでしょう。曲線やギザギザの線、するどい線が加わって、立派なとさかのある鶏の頭になりました。ついで首と胴体ができて、地面を踏ん張った太い両脚に、尾羽の跳ね上がりが加わります。羽の模様が素早く描かれると、黒光りする大きな雄鶏になりました。背後には小さな赤い実の房が鈴なりになっています。そこには南天の木があるのでした。
最後に黒い目が輝きだすと鶏は動き始めました。胸を大きく膨らませ、羽をさかんにばたつかせ、クックックックと鳴き声が大きくなっていきます。鶏の動きに合わせるかのように南天の赤い実も揺れています。

私は嬉しくなりました。今度は黒い雄鶏の姿になって夫が戻ってきたのです。とさかと顎の肉が燃えるように真っ赤です。私は身をかがめ、手を差しだして近寄っていきました。
「あぶない、あぶない、こいつは気性が荒いから。」
あわててお坊様が言ったとたんでした。首の毛を逆立てて羽をふくらませ、地面をひっかいてこちらをおどしてきます。あっとひるんだ私にはげしくいどみかかってきました。
「これはだめだ、逃げて、逃げて。」
私は慌てて逃げ出しました。でもさんざんお尻をつつかれて、痛いったらありません。かなり走ってから振り返ると、雄鶏は仁王立ちして強くはばたき、とさかを打ち振ってコケコッコーと勝ちどきの声をあげました。南天の真っ赤な実もさかんに揺れて、まるで雄鶏と一緒になって勝ち誇っているように見えました。

お坊様はお笑いになっています。よほど私の格好がおかしかったのでしょう。私は口をとがらせました。
「お笑いになるなんて、あんまりです。ひどすぎます。」
ようやく笑いをこらえてお坊様はおっしゃいました。
「いや、申し訳ない。でも大丈夫ですよ。あいつは南天のまわりの縄張りから外には出ませんからね。」
「なぜなの、私のことをわすれてしまったのかしら。」
「たしかにあの鶏はあなたの夫なのかもしれませんが、今は単に気の荒い鶏でしかありません。さらに言えばあの鶏はあなた自身なのかもしれませんよ。すべてはつながり、めぐっているのですから。」

たくさんの鶏の鳴き声でにぎやかになりました。みんなごちゃごちゃに動き回るので、何羽いるのか数えようもありません。一羽でもとても見事な羽根模様なのに、それが互いに重なりあって目が惑わされるので、模様を見ているだけでこちらの頭が変になりそうです。地面をつつき、コッコッコと首を素早く動かし、そろりそろりと前へ進みます。かと思うと羽を広げて互いに喧嘩をはじめ、猛烈な追いかけっこをして大変な騒ぎです。まるで色とりどりの鎧で着飾った武者たちが名乗りを上げ、互いの技で競い合っているかのようでした。
こんなにたくさん鶏が集まっているのは、ここが縁側と塀で四方をかこまれた狭い中庭だからです。片隅には老いた松や棕櫚の木が見上げるほどで、一方には南天やアジサイの植え込みがあります。お掃除はしているのでしょうか、地面は白い糞だらけで、抜けた羽根やエサの菜っ葉が散らかっていました。

向こうの縁側に、男の方が一人座っていました。目の前で騒いでいる鶏たちを、さきほどからじっと見ています。乱れた髪に無精ひげ、服はあちこちに赤や緑のシミが付いてよれよれで、まるで貧乏長屋の町人ふぜいと間違われそうなほどです。しかし身じろぎもせず鶏を見つめるその両の目はきびしく真剣で、ただごとではない様子でした。私はお坊様に小声で尋ねました。
「あの方は誰でしょう。鶏がどうかしたのですか。」
「大切なお方ですよ。この世界と千年後の世界をつなごうとされているのです。」
私はびっくりしてしまいました。千年先のことを考えるなんて、いったいどういう人なのでしょうか。とても尊い方のように思えてきました。
あたりは再び暗くなってきました。騒いでいた鶏たちは動かなくなり、ぼんやりかすんで最後に小さな光になりました。縁側に座る男の方も前を見据えたまま、次第に濃くなる暗闇の中に消えていきました。

男の方がいらしたところに白い光が現われました。澄み切った光があたりにさっと広がります。お月様が山の端から顔を出したのです。光の中に一本の木が影になっていました。小さかったその影は枝を伸ばし、枝分かれしながら大きく広がり、ざわざわと絡みながら空を覆っていきました。まるで黒い大きな手が追いかけてきて、きたない爪の指を広げて私を捕まえようとしているようでした。私はあのいかがわしい茶屋のことを思い出してぞっと身震いしました。ケチで恐ろしい主人夫婦にぞっとするほど汚い男たち、死にぞこないの花魁とみじめな遊女仲間。望みのかけらもない地獄の日々。
いつのまにか黒い影の枝は動きを止めていました。その枝の先の方で何かが光っています。あるかないかわからないほどの淡い光です。近づいて見れば、光っているのは咲き始めたばかりの花でした。花びらはうすい紅の入った白で、その真ん中にかわいいおしべがあります。これは梅の花です。そのおしべの先端の粒々のあたりから、ほんのり薄緑に染まる黄色い光があふれていました。その隣でもつぼみがいくつかほころんでいて、それぞれ小さな明かりが灯っていきます。見上げれば梅の花が次々と開き、木の枝の隅々までほのかな明かりでいっぱいになっていきました。すてきな梅の香りも漂っています。満月の光に照らされて、満開の梅の花が咲き誇っているのでした。

私は思わずため息を漏らしました。
「ああ、とてもきれい。枝はあんなにおそろしいのに、そこに咲く花がこんなにきれいだなんて。どうして花には光があるのでしょう。」
お坊様がお話を始めました。
「それは、月が照らしているからです。月から光をいただくことで、花は光ります。これまで見てきた生きとし生けるものもまた、同じように光を宿していました。なぜだかわかりますか。月は仏の光です。この世はすべて、仏の光にくまなく照らされているのです。夜の木も森のけものたちも、月の光が慈しんでいます。間もなく夜が明けます。東の山の端からまぶしい朝の光がさしはじめるでしょう。早起きの鳥が朝一番の歌を歌い、つぼみは開き虫たちは動き出します。鳥も花も虫も、すべての命が明るい光の中で輝いています。お日様の光もまた、仏の光です。命は光がなければ生きていくことができません。この世界には喜びがあふれています。なぜ花は咲くのでしょう。なぜ鳥は歌い、虫やけものは子をなすのでしょう。それは仏の光がすべての命を守り、慈しんでいるからです。光こそ命のみなもと、命をいつくしむ仏の慈悲そのものです。慈悲の光につつまれることで、命に光が宿るのです。この世の生きとし生けるものはすべて、生まれながらにして仏の大きな慈悲につつまれているのです。」

お坊様の声は心地よく響いています。しかし私の気持ちは沈んでいきました。お坊様のお話は昼の明るい世界に住む、まともな人たちについてのことです。闇の世界に住む私とは関係がありません。いっしょうけんめいお坊様のお話を聞こうとしても、私にはそのお言葉が入ってこないのです。
私の心は闇です。決して光のさすことのない暗い闇です。私はこの闇におちこんだまま抜け出すことができません。この闇の底には川が流れています。あの吹雪の谷を流れた川。どうしようもない不幸や、癒しようのない悲しみが流れた川。かつての私の人生、楽しかったこともうれしかったことも、そういった当たり前のことはすべて、あの川が押し流してしまいました。

「・・・春には雪が解け、緑がいぶき、野山には花が咲き乱れます。これまでたくさんの花を見てきました。牡丹の花、芍薬の花、梅の花。そこには小鳥が遊び、魚が泳ぎ、蝶が舞っていました。命の光はたがいにつながり、絶えることがありません。夏になれば夏の花が、たとえばひまわり、アジサイ、芙蓉、それに蓮の花などが咲きます。そういえばひょうたんの花も虫たちと共にありました。秋には菊が、そしてこごえる冬でさえ雪の下には赤い山茶花の花が咲いている。・・・」

どこからか、透き通るような赤い色がひるがえりながら落ちてきました。もみじの葉でした。闇の底にも点々と落ちています。あざやかな赤から、すこしまだらの朱色、それに枯れかかった茶色もあります。また一枚、今度はくるくると弧を描きながら川に落ちて、波間に流されていきます。一枚、また一枚と、この闇の世界にはもみじ葉が絶えることなく降っています。いったいどこからくるのでしょう。あの崖の上の大きなもみじの木からでしょうか。あの木は夫が綱を結わえた木、大切な命の木でした。枝の隅々まで美しい赤に彩っていました。私が死んだ娘を抱いて崖のふちに立った時も、木は変わることなくもみじ葉を降らせていました。私はこの朱に染まる葉で娘を飾ってやり、息子を道連れにして身を投げました。このふりしきるもみじのように私は落ちて死に、川に流されていくはずでした。生き残るなど思いもよりませんでした。

「・・・しかし、一つ一つの花にはそれぞれ終わりの時があります。花は散っていき、元の姿をとどめません。花びらが地面に落ちてしまった時、あの美しい花はどこに行ってしまったのでしょう。ただ粉々になって、なくなってしまうのでしょうか。つぼみになる前、花はどこから来たのでしょう。花は何もない所からやってきて、何もない所に行くのでしょうか。・・・」

私には死んだ娘が見えます。流れる川の上に、水面の上に立っています。もみじ葉の髪飾りをつけて、私にしきりに笑いかけています。なんてかわいい子。かわいそうな子。おまえは飢えて泣きながら、一人で死んでいった。抱きあげてやりたいのですが、私の手は届きません。そばに立っているのは私の夫。昔のままの優しいお顔で私のことを見ています。あやまりたくて、ごめんなさいを言おうとしても、私の唇は動かず声は届きません。おばばさまもいる。私の顔を見てニコニコしている。幸せを台無しにした私に微笑んでくださるなんて、なんて優しいおばばさま。どうか私のことを憎んでください。愚か者とののしって、その手で気のすむまでたたいてください。棒を使っても、石を使ってもかまいません。死んだ息子も立っています。びっくりしたように自分の顔を指さしています。この子にも申し訳ないことをしました。皆にからかわれ、うつけ者と呼ばれ、母親である私までそうだと思っていた。でも間違っていた。あの子ははじめから何もかもわかっていた。とても賢い子だったのに、気づくのが遅すぎた。あまりにも遅すぎた。もうとりかえしがつかない。ああ、そんなにとびはねてはいけない、川に落ちてしまう。

「・・・私たちはいったいどこから来て、どこへ行くのでしょう。なぜある人にはひどいことが起きて、他の人には起きないのでしょう。考えればわかる問いなのでしょうか。あまりにも問いが大きすぎるので、私たちのような小さな人間にはわからないのです。この世の出来事はすべて、なにがしかのつながりを持っています。花が咲くためには種が芽を出さなければならず、そのためには土や水といったご縁が必要です。土や水もその先も、たくさんのご縁がつながっています。そのご縁の糸をたどって行けばこの世のほとんどすべての事柄にいきつきます。なにが花を咲かせたのか、そのすべてを知ることはできません。それと同じように、私たちに起きたよいことも悪いことも、そのわけのすべてを知ることはできません。なぜあなたの夫が死んだのか、なぜあなたが苦しまなければならなかったのか、その本当のところはいくら考えてもわからないのです。・・・」

みんな死んでしまった。かわいい子供も、優しい人も、みんな死んでしまった。どうしてこんなつらい目に会うのでしょう。私はどうしたらよかったのでしょう。誰も助けはてくれなかった。心を込めてお祈りしたのに、お釈迦様も助けてくださらなかった。あんなにかわいい子供が苦しんでいたのをそのまま見過ごすなんて、お釈迦様は何をしていたの。穢れた者が長生きし罪のないものが先に死ぬことを、なんでお釈迦様は許してしまうの。何のための祈りなの。何のために救いがあるの。お念仏なんかではどうにもならなかったじゃないの。・・・いったい私はどうすればよかったのでしょう。精いっぱいのことをしたのに何の役にも立たなかった。私は闇のなかにいます。闇の底にあの川が流れ、川の上に死んだ家族が立っています。でも私はそこに行くこともできません。私はここで、この場所で、生きることも死ぬこともできず、ひとり取り残されています。

「・・・この世の中は、答えのない問いに満ちています。誰も正しく答えることができません。だとすれば、私たちはおおいなるものに身をゆだねることしか、できないではありませんか。大いなる仏の慈悲の前にすべてを投げだすこと。すべてを捨てて、仏の慈悲にゆだねること。考えてもごらんなさい。鳥や虫、魚も花も木も、みなそうしています。考えこんたり、悩むことなどしないで、すべて仏にゆだねています。ゆだねることで、仏はそばにいてくださる。すべての命のそばに、仏はいてくださるのです。・・・」

いつのまにか雪になっていました。雪はあとからあとから落ちて降りかかり、足元のもみじ葉を白くしていきます。目の前の川に立つ私の家族にも、この暗闇の世界のすべてに雪は降っています。私が生まれ育ったふるさとでは、冬になると人里も野山も雪で白一色になります。一晩で何尺もの雪が降り、次の日もまた次の日も降りつづいて、世の中の営みを白く覆っていきます。よいことも悪いことも、喜びも悲しみもすべてが深い雪の下にうずもれて、跡形もありません。私はここに横たわってしまいましょう。そうすれば雪は果てることなく顔に落ち体に落ちて、この身のけがれをやさしく埋めてくれるでしょう。ふるさとの雪はこの心の闇を、私の人生のすべてを、真っ白にして消し去ってくれるでしょう。

「・・・いつでもそばにいてくださり、救いの手を差し伸べてくださること、それこそが仏の慈悲です。私たちは決して一人ぼっちではありません。気付かなくてもいつでもそばには仏がよりそってくださっています。悲しんでいるもの、虐げられたもの、絶望の底にいるものほど、仏は憐れんで大きな慈悲の光で包んでくださいます。不理仁な暴力、思いもかけぬ事故、悪意や気まぐれで人は傷つき、打ち倒され、絶望して死んでいきます。そんな命をこそ仏は尊いとされて、一緒に苦しみ、悲しみ、慈悲の光でつつもうとされる。仏は生きとし生けるものの命に光を与えてくださいました。すべての命を仏は慈悲の光によってつなげてくださいました。私たちのなかにある命の光はこの世に生きるすべての命の光とつながっています。仏の慈悲につつまれることで私たちの命は牡丹の花になり、蓮の花になり、梅の花になります。私たちは鳴きかわす小鳥であり、泳ぐ魚であり、とびはねる蛙なのです。すべての命は私の命であり、私の命はすべての命です。情深い仏の慈悲の光が、すべてを一つにしたのです。あなたは決して一人ぼっちじゃない。この世のすべての命とつながっているのですよ。」

風が吹き、川が荒れ、吹雪になってきました。切り立った崖に波が激しくぶつかり、水しぶきがあがります。崖の際を縄を括り付けた板がするすると降りてきました。水面ぎりぎりのところで止まると、その縄を伝って長い柄の網を持ち腰に袋をぶら下げた人が降りてきました。板を足場としてしきりに川の中をうかがっています。何度か網を川の中に入れ、ついに大きな魚を捕まえました。しぶきに濡れながら跳ねる魚を袋に押し込むと、また先ほどのように川をにらんで身構えます。わかっています。あれは私の夫です。夫が川をさかのぼってきた鮭を捕っているのです。夢にまで見た私のいとしい夫が、目の前で鮭をとっているのです。
崖の上の端に小さな明かりが現れました。揺れながらこちらに近づいてきます。たいまつを掲げて崖の上の道を歩いている人がいるのです。あれは私です。鮭を捕る夫の手元を照らそうと、この私がたいまつを持ってきたのです。これから何が起きるのか知っています。あの取り返しのつかない夜が、再びめぐってきたのです。

「だめ、だめ、あのたいまつを持って来てはだめ。私があれをもって来ると、あの人は川に落ちてしまう。だめ、誰か私を止めて。このままではあの人が死んでしまう。来ないで、家へ帰って。やめて、お願いだからその木にたいまつを差し込まないで。たいまつなんか川に投げ捨てて。・・・ああなんてこと、たいまつを置いて行った。なんて馬鹿なことをしたの。とり返しがつかないのに。どうしたらいい。どうしたら。そうだ、わかった、私が死ねばいい。あの人が川に落ちる前に私が死んでしまえば、あの人は助かる。まだ間に合う。お坊様、どうか私を死なせてください、今すぐこの川に私を沈めてください、お坊様、お願いします、この私に生きる価値などありません。ああ、火が落ちた。あの人の命の縄が切れてしまう。どうかあの人が死ぬ前に、この私をつき落として、お願い、あの人を助けて。こんなけがらわしいたからだなんか、川に捨てて流してしまえばいい。」

ぶつっと縄が焼き切れる音が重く響きました。私は息をのみ、絶叫し、その場に崩れました。泣いても、泣いても、泣き終わることはできませんでした。

私に触れたお坊様の手で、肩のあたりが温かくなってきました。
「過ぎてしまったことです。終わってしまったことです。どうすることもできません。あなたはすべてを失いました。命以外の何も残されていません。でも、すべてをなくした今だからこそ、あなたはありのままの姿で仏の慈悲の中にいるのです。この今の時、仏の救いの手の中にあなたの命があります。あなたの命が仏の光に包まれているのに、どうして死ぬことなどできましょう。生きましょう、生きましょう。それがこの世を慈悲の光で満たそうとされた、お釈迦様の願いなのです。」

いつのまにか雪はやんで明るくなっていました。川はおだやかに流れ、苔むした岩のそばで白い菊の花が幾輪か風に揺れています。細かな花びらを幾重にも重ねた大きな花で、細い茎がしなりながら支えています。寄り添うようにして朱色や紅の小菊が咲いていました。そこに小鳥が飛んで来ました。頭の白い、茶色の羽の小鳥です。茎にとまって花を揺らし、さらには岩の上に飛び移って、尾を上下に動かしながら歌いはじめました。きれいな鳴き声が響き渡ります。

「お坊様、私はこれまでひどいことばかりを見てきました。夫や家族を死なせ、この身もけがれ、命をおろそかにしてきました。それなのになぜ花が咲いているのでしょう。なぜ鳥は歌を歌うのでしょう。どんなわけがあってここに私がいるのでしょう。」
「これも仏の慈悲のしるしなのでしょう。簡単には計り知れないご縁のおかげで、私たちはここに居るのです。でも単に、鳥や花はあなたのことが好きでここに来たのかもしれませんね。」
「お坊様、私は生きながら地獄に落ちた身です。極楽浄土にいけるはずもありません。でもどうせ死ぬのならば、この身を川に沈めてしまいたかった。この川に流され、やがて海のもくずになろうとも、この身で夫のあとを追っていきたかった。」
「あなたはすでに仏の光に身をゆだねておいでなのです。心に深く傷をもち、悲しむ者、幸うすい者ほど、仏さまは尊いとされ救わんとされるのです。どんなにつらくても、仏を信じて生きていかなければなりません。」
「ありがとうございます、お坊様はわたしをお助けくださり、慰めてくださいます。この眼が再び見えるようになったのも、お坊様のおかげです。でも私にはわからないのです。なぜお声ばかりで私にはお坊様のお姿が見えないのでしょう。」
「いつか分かる時が来るでしょう。見えていたときには見えず、見えなくなってから見えるものもあるのです。さあ、つきましたよ。ここはお寺です。女の人のためのお寺ですから、親切にあなたを迎え入れてくれるでしょう。門の敷居があります。足元に気を付けて。」

屋根のついた立派な門があって、その向こうは明るい光で満ちています。あちらにはきっと昼の世界が広がっているのでしょう。とても私のような闇の女が行くところではありません。わが身にあったことを思えば、この敷居をまたぐことはできません。

「どうしましたか。疲れて足が上がらなくなったのですか。」
「いえ、お坊様、行くことなどできません。」
「おや、おかしなことを言われますね。あなたは崖の上から取り返しのつかない一歩を踏み出そうとされたではないですか。それに比べればこの一歩など簡単なことでしょう。」
「私の体はきれいではありません。穢れをまとったこの身が、お寺に入ることなどできません。」
「仏は身を落としたもの、罪を犯したものこそ大切にされるのですよ。」
「それにこの一歩を踏み出してしまえば、死んだ夫や子供たちを後ろに捨ててしまうことになります。私だけ幸せになってよいはずがありません。」
「亡くなった人はあなたの後ろにはいません。いつだってあなたの行く先で待っています。さあ、心配しないで参りましょう。」

お坊様が語られる優しいお言葉で、私は素直にうなずいていました。そして手を引かれるまま敷居をまたぎました。そのとたんのことでした。私の手は乱暴に上下に引っ張られ、あっというまに振りほどかれました。光に満ちていた目の前の世界は真っ暗になり、何もかも消えてなくなりました。ふりかえってもすべてが闇です。私の目は再び見えなくなっていたのです。私はぼうぜんと立ち尽くしました。バタバタと私のそばから遠ざかる足音が聞こえ、その先で動物の鳴きまねのような、変な叫び声がしました。

私は手さぐりで前へ二、三歩進み、大声を出しました。
「お坊様、どこに行かれたのですか、私はこれからどうしたらよいのですか。どうか私を見捨てないでください。」
驚いたような女の人達の声が聞こえました。そばに駆けよってきます。
「どうなさいました?」「こちらへは、何の御用ですか?」
とさかんに聞いてきます。何人もの方がいらっしゃるようでした。
「足にけがしているではないの。」「あらひどい。」「あちらで手当てをしましょう。」
私はかまわず言いました。
「お坊様はどちらに行かれたのでしょう。まだ近くにいらっしゃるはずです。私をここまで案内してくださった方です。」
さきほどから変な叫び声は続いています。飛び跳ねてもいるようです。
「まあ、目がお見えにならないのね。」「おきのどく。」「お坊様って何のこと?あなた見た?」「いや、そんな人見てない。」「あなた、お子さんと二人でここにいらしたではないの。」「ちょっと、あの子、だいじょうぶかしら。」
私は言いました。
「いえ、違います。私はお坊様に連れてきていただきました。お心のやさしいお坊様です。」
「まあ、何を言っているの。」「お坊様などどこにもいませんよ。」
「そんなはずはありません。尊いお坊様が私を助け起こして、ここまで導いてくださったのです。ほんの今しがたのことです。」
「あなたと一緒にきたのは男の子ですよ。ほら、変な声で飛び跳ねているのが聞こえませんか。」「てっきり息子さんかと思った。」
「子供ではありません。お坊様です。とても立派な方です。」
「何を馬鹿なことを言っているの。」「お子さんと手をつないできたのに。」「あなた少し変ね。」
「私の息子は川に落ちて死んだのです。生きてはいないのです。私が手をつないできたのはお坊様です。」
「あのねえ。あなたが手をつないでいたのは、あそこで飛び跳ねている男の子なの。門に入るずっとむこうら二人で来るのを、変なつれあいがいるって、みんなで見ていたのだから。」「お坊さんだなんて、そんな人はどこにもいませんよ。」「おかしなことを言う人だこと。」「狐にばかされたのじゃないかしら。」
みなで笑っています。
「お坊様は、谷川に身を投げようとした私を助けてくださいました。死のうとした私に、尊いお話をお聞かせくださいました。そのうえ目の見えない私に、きれいな花や鳥やお魚を見せてくださったのです。私にはもったいなくて、とてもありがたいことです。でもお坊様のお姿は見えませんでした。なぜと尋ねてみましたが、そのうちにわかるとおっしゃったのです。うそではありません。私はずっとお坊様の手を握っていたのです。」
みなは口をつぐみました。きっとあっけにとられていたに違いありません。
「お坊様、お坊様。どこにいらっしゃるのですか。」私は大声で呼びました。「どうか私をお見捨てにならないでください。」両手をさし伸ばしながら二三歩進みました。「お坊様、私の声が聞こえませんか。ご返事を下さい。」しばらく聞き耳を立てました。子供の叫び声ばかりが聞こえていて、お坊様の返事はありません。
「ほら誰もいないでしょ。」「お子さんがとびはねているだけよ。」「本当は、あの子はあなたの息子さんなのでしょう?」
女の人たちが話しかけてきます。この人たちが言うように、私の息子なのでしょうか。言われてみれば、確かにあの叫び声は私の息子によく似ています。とびはねている様子も、いつもの左吉と同じです。もしかすると、息子は生きているのでしょうか。あのお坊様が息子もお助けくださったのでしょうか。ためらいながらも、私は思い切って話しかけてみました。
「そこにいるのは左吉なの?本当に左吉なの?そこにいるのが私の息子の左吉なら、お願い、ここにきて。お母さんのところにきて。」
私は待ちました。何度もわが子の名前を呼んで、待ちました。しだいに叫び声は低いうなり声に変わり、飛び跳ねながらも私のほうに近づいてきます。
「おいで、母さんだよ。お前の母さんだよ。ごめんね、ほんとうにひどい母親だった。守ってやらなければいけなかったのに、つらいめにばかりあわせてきた。」
周りの人たちは誰も何も言いません。きっと私たちのことを見ていたのでしょう。
「どうか許しておくれ。お母さんは目が見えなくなってしまったの。だからお前のそばに行くことができないの。ここにきておくれ。ここにきて、お前が本当に生きているのか確かめさせておくれ。」
うなり声は私の近くでためらっているように聞こえました。
「お母さんは目が見えないから、そこにいるのがお前なのだかどうかわからない。そばに寄って、せめて手だけでも握らしておくれ。」

さし伸ばしていた私の手に触れてきたものがあります。でもすぐに引っ込みました。私はじっと待ちました。もう一度ふれてきました。今度は逃がさずにつかまえました。子供の手でした。私は身震いし、思わず引き寄せてその体を胸に抱きました。やせた体、その息遣い、すえた臭い、たしかにわが子のものです。我が子の、生きている体です。わたしは胸がいっぱいになり、強く抱きしめました。息子はうなり声をちょっとあげただけで、されるままになっていました。

その時息子の体の中に、月の明かりでつぼみが花開くように、ちいさなともしびが光っているのを私は見ました。黄色くて、すこし緑がかった淡い光です。見えないはずの私の目が息子の中に光を見たのです。そしてもう一つ光があるのに気が付きました。それは私の体の中にありました。息子と同じ色の小さな淡い光が、私の中にありました。暗闇の中に二つのともしびが、寄り添って咲く花のように、ひっそりと輝いていたのです。

突然何かががつんと私の顎に突き上げてきました。急にとびはねた息子の頭が、私の顎に当たったのでしょう。私はのけぞってしりもちをつき、顔をゆがめました。あまりの痛みに声もでず、顎をおさえます。でもその痛みでよくわかりました。間違いない、これは私の息子です。こんなにひどいことをするのは私の息子以外いません。川に落ちて死んだと思っていたのに、この子は生きていた。私と同じようにお坊様に助けられて、この寺に来ていた。なんてありがたいこと。それに息子の中には光がある。私の中にも光がある。あれはほとけ様からいただいたともしび。ほとけ様の慈悲の光。確かに息子は生きている。息子と一緒に私も生きている。流れた涙は痛みだけのものではありませんでした。

顎は痛みながらも何とか上下に動いています。壊れてはいないようです。息子はますます興奮して奇声をあげて飛び跳ねていました。私は体からすっかり力が抜けてしまって座り込んでしまい、まともに立ち上がることもできません。両脇から体を支えられて寺までつれて行かれ、何から何まで世話をしていただきました。足の傷を洗ってもらい、着替えさせられ、白湯を飲まされ、布団に横たえられました。人が集まってきました。さきほどの女の人たちが勝手にしゃべるので、やかましくて何が何だかよくわかりません。私は痛む顎に濡れ手拭いを当てているし、のどがからからで言葉を出すこともできませんでした。疲れがどっと出たためか、そのまま幾日も寝込んでしまいました。

連れてきてくださったのはこの寺の尼さんたちでした。かわるがわるやってきては私に優しく声をかけ、世話してくださいます。食事を食べさせてくださり、傷の膏薬をはりかえて、ほかに何をしてほしいかとまで聞かれます。わたしは申し訳なさでいっぱいでした。私は苦界に堕ちたけがれた身です。大切にされる値打ちなどないのです。息子は生きていましたが、私は死んだ家族のことを考えていました。思い出すのはみな取り返しがつかないことばかりです。これほどまでしていただいて申し訳ないですけれど、やっぱり死んだほうがいいのではないかとも思ってしまいます。でも私が死ねば息子を一人きりにしてしまう。それに私の中にはもったいなくもほとけ様からいただいた光がある。そう簡単に死んでいいはずがありません。思えば思うほどどうしたらよいかわからず、涙ぐんでしまいました。

ある日この寺の住職様がいらっしゃいました。私の枕元にお座りになり、お話を始められました。しっかり食事をとらなければいけない、自分を大切にしなければいけないと静かに諭されました。そのうえこうおっしゃったのです。
「今日は、あなたの村の方が今年初めての鮭を持ってきてくださいました。あなたが病気になって帰ってきたと聞いて、みんな心配していましたよ。はやく治して、元気なところを見せなくてはいけません。鮭はさっそく切り身にして焼きました。なに、鮭なら私たちもいただくことがあるのですよ。お釈迦さまの教えに、日々の食べ物にとらわれてはいけない、というものがあります。生臭ものと難癖をつける人もいますが、托鉢でいただいたものは、こだわりなくいただくのがもともとの教えです。特に病気の時にはね。ここにある鮭の切り身、今日は私が食べさせてあげましょう。村の人たちは、とてもきれいに色づいたもみじの葉も添えてくれました。」
鮭、もみじの葉。私は身震いしました。とんでもないことです。住職様が自ら箸をとって、私に食べさせてくださるおつもりなのでしょうが、食べるわけにはいきません。私は体をこわばらせました。私の唇に触れてきたものがあります。口をしっかり閉じたまま、私は体を引きました。住職様はおっしゃいました。
「あなたは是が非でも元気にならなければいけません。こだわりをすてて食べてみませんか。」
私は、鮭は食べられない、とてものどを通らないと言いました。なぜと聞かれ、私は話をはじめました。あの吹雪の日、崖の上のもみじの木から間違いが始まり、鮭をとっていた夫を誤って死なせたこと、それがもとで苦界に身を落としたこと。ついには川に身を投げる決心をしたけれども、通りがかりのお坊様が助けてくださった。お坊様は私を慰めて、絵のようにきれいな幻を見せてくださったことを話しました。とにかく二度と鮭を食べるつもりはない、とてものどを通らないと言いました。いつの間にか寺の人たちがそばに集まってきていました。お坊様の話を始めるあたりからざわつきだし、ひそひそ声がきこえます。私は何かおかしなことを言ったのでしょうか。話が終わっても誰も出て行こうとしませんでした。

しばらくしてから住職様は言われました。
「大変つらいお話で、私ももらい泣きしてしまいました。でも不思議なことです。あなたはお坊様と一緒にいらしたと言いますが、寺のみんなは息子さんと一緒に来たというではありませんか。」
尼さんたちがいっせいにしゃべりだしました。
「そうなのよ、あなたはお子さんと二人でいらしたのよ。」「お子さんに手を引いてもらって。」「何か二人で話をしてたじゃないの。」「お坊さんなんていなかったのよ、ねえ。」「そうそう、お坊さんなどどこにもいないのに、お坊さんはどこ、どこ、なんて。」「やっぱり狐よ。」「あらやだ。」
「ほら、お聞きになったでしょう。誰もお坊さんの姿を見ていないのです。あの日あなたは息子さんと二人でこの寺に来たのです。でも実は、あなたの話でもっと驚いたことがあります。あなたがこの寺にいらした日、あの日はよく晴れた日で、年に一度の虫干しをしようと、寺にある幾枚かの絵をお堂にかけていたところだったのです。そのなかにみごとなお釈迦様の絵がありましてね。」
住職様は絵を持ってくるように言いました。ばたばたと急ぎ足の音が聞こえ、みなで騒ぎながら壁に絵をかけていました。そしてしんと静まりました。
「こちらにその絵があります。京の有名な絵師が描いたものと聞いています。あなたには見えないかもしれませんが、ちょうどあなたを見つめておいでですよ。」
私は絵に向かって正座させていただきました。合掌して頭を垂れました。心の臓がどきどきと脈打ちはじめました。目の見えない私にはどんな絵なのかわかりません。でもしばらく祈っておりますと、目の前にあのお坊様がおられるように感じました。迷いごととお信じにならないかもしれませんが、私をお助けくださったあのお坊様の声が、私の耳に響いたのです。

『つらいことは、みな終わったのです。生きていきましょう。私もここに居ますから。』

そしてほんの一時でしたが光が現れ、私はお坊様のお姿を拝見しました。薄緑の台座の上にお座りになって、赤い袈裟衣をお召しになり、手を印に組んで座っておられました。修業中のお方とばかり思っておりましたが、あれはお釈迦様のお姿だったと思います。私をじっと見つめ、微笑んでうなずかれたように思いました。ほんとうに、うなずかれたように見えました。
わたしは泣いていました。あの時、お釈迦さまは息子の体を借りて、この私を助けてくださったのでしょう。これからも私のそばにいてくださろうとされている。こんなにだめな私なのに。生きていく価値などない私なのに。

しばらくして私が落ち着いてきたのをみて、住職様はおっしゃいました。
「さあ、一段落したら、食べてみましょう。おいしい鮭ですよ。」いっせいに尼さんたちがしゃべりだしました。「おあがりなさいよ。おいしいわ、きっと。」「食べて精をつけようよ。」「はやく元気にならないと。みんな心配してるのよ。」「おいしそうな焼き鮭ねえ。私が食べたいくらい。」「あらだめよ、あんたは病気じゃないし。」「だからくいしんぼうは困る。」「ひどいこといわないで」
皆の笑い声の中に、私の耳は別の声を聞いていました。
「さあ、食べてごらん。」
夫の声でした。昔のやさしい夫の声でした。
鮭が私の唇に触れてきました。住職様が私に食べさせようとしてくださっているのです。私は口を開けました。鮭の一切れが舌の上に乗りました。わたしは口を閉じ、ゆっくりかみしめました。焼いた鮭の香ばしい香りと脂ののった味が舌の上にひろがります。塩のきいたおいしい焼き鮭です。
夫は微笑んで私を見ています。私と一緒に口を開け、私と一緒に鮭を食べています。私にはわかります。今これを食べているのは私の夫。私は夫になり代わってこの鮭を食べているのだと。私は何度も何度も噛みました。しっかり噛みしめて味わいました。そしてのみ下しました。
次の一きれは娘の分です。赤い髪飾りが好きなかわいい子、おなかがすいて泣いていたかわいそうな子。その子がこの鮭を食べるのです。おいしいおいしいと言って食べるのです。私はゆっくりゆっくり噛みしめて、ありがたくいただきました。
つぎはおばばさまの分です。嫁の私に優しくしてくれたおばばさま。一緒に笑い、一緒に泣いてくれたおばばさま。許してくれるはずのない人が、おいしいねえと喜んでくださる。おいしいねえと何度も言ってくださる。
さいごは自分で箸をとりました。手を添えられて皿の上を探り、一切れはさみました。口に入る前に床の上に取り落としてしまいました。お願いしてそれを戻していただき、どうにか箸でつかまえて、口に運ぶことができました。
私は鮭を食べました。自分のために食べました。食べながら心に誓いまいた。もう自分の命を粗末にはいたしません。私は生きてまいります。この自分の中にあるともしびを大切にして、これから生きてまいります。お釈迦様からいただいたこの命のともしびは、今は亡き人たちと私を結ぶ大切なあかしであり、この世の生きとし生ける命とのつながりのあかしなのですから。

皿の上に残ったもみじ葉は洗って大切にしまっております。私はしばらく熱がでて寝込んでおりましたが、皆さまの親切なお手当のおかげで、だいぶ元気になりました。そのうえ願いが聞き入れられて、髪をおろして尼となることができました。それがどんなにうれしかったことか、言葉で言いつくすことはできません。これもみなお釈迦様のご加護があってのこと、感謝申し上げ、毎日毎日心を込めてお勤めをしております。
息子がどうなったかと申しますと、男ですからもちろんこの尼寺に置くわけにはまいりません。住職様が少し離れたお寺に話をつけてくださいまして、今ではそこの寺男として働いております。なんでも境内の落ち葉かきを任されているのだとか。いったいどれだけ役に立っているのでしょう。時々会いに行ってはおりますが、息子は相変わらず元気にとびはねています。そのお寺の方が笑ってお話してくださいました。あの子はどんな落ち葉も見のがすことがなくて、誰も気づかないような隅の葉っぱでも、あっというまに掃除してしまうのだとか。あの子はひらひらしたものが大好きでしたから、ひらひらした枯れ葉を見つけるのが得意なのでしょう。風が吹こうと雨が降ろうと、朝から竹ぼうき一本持って境内を掃除して回ります。冬の間はそれが雪かきになります。雪は後から後からふり積もるのに、いったいどうしていることやら。一日中張り切って掃除しているものですから、みなからえらいとほめられ、かわいがられているのだそうです。あの子が人の役に立つだなんて、思いもよりませんでした。これもみんなお釈迦様のご加護のおかげでございます。本当にありがたいことです。

ようやくこの頃になって、ここの生活にも慣れてまいりました。体の方もすっかりよくなって、寺の周りを手を引かれながら歩くのが楽しみになりました。ここはよい所ですね。山のふもとで日当たりがよくて風が通って。皆様には本当によくしていただいて、感謝の言葉もありません。でも私は、どこに居ようとも、おしゃべりに夢中になっている時でさえ、ふとしたことで死んでいった家族のことを思い出してしまいます。あの恐ろしい吹雪の夜やけがれた男たちを夢に見て、うなされる夜が続きます。体の病気は治っても、心に受けたこの深い傷は決して癒えることがありません。私の心は深い闇のままです。その闇の底に川が流れています。はるか遠くになった川面の上に、今でも死んだ私の家族が立っています。
でも私には見えるのです。川のほとりには白い菊の花が咲き、小鳥が飛んできて歌っています。色とりどりの牡丹の花が咲きそろい、つがいの小鳥が遊んでいます。蓮の花が咲き、鮎の群れが泳ぎます。蝶が舞い、芍薬のお花畑で遊び、ひょうたんの池には虫たちがにぎやかです。極彩色の鶏が競いあい、喧嘩するのも鮮やかです。そんな絵のような幻が、私には見えるのでございます。闇の中にある、美しい絵なのでございます。

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 1

ナイス

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック