若冲の動植綵絵を見て その1

 平成二十八年の四月から五月にかけて上野の東京都美術館で伊藤若冲の展覧会があった。若冲は近年になって特に注目されるようになった江戸時代の絵師で、展覧会では代表作である「動植綵絵」三十幅が「釈迦三尊図」三幅と共に展示されるとのことだった。これはめったにない企画で、開催前にNHKが数回にわたり若冲の特集を組んだほどだ。番組ではアイドルグループのOさんが案内役になって、若冲の生涯はもちろん、動植綵絵を代表とする若冲絵画の数々を微に入り細に入り紹介していた。特に印象的だったのは最近の研究で明らかになった若冲の高度な絵画技法だった。例えば黄金色に輝く鳥の羽には黄土色と白や黒などが使われているだけで、金箔など金そのものは検出されていない。そもそも金が輝いて見えるのは黄色の明暗の差が極端に大きいところにあるのだと、専門家が金の延べ棒を光学機械で色調分析してみせていた。若冲はこの金の輝きの本質を知っていたらしく、黄土色に白黒の明暗を強くつけることで、まるで黄金が輝いているように見せているのだという。ためしに本物の金を使って絵の再現をすると、色が均一になってかえって輝きが失われるという検証までしてあって、私は実に感心した。

 番組ではこのような解説が次から次へと展開されていたのだが、それを普段展覧会など見向きもしない妻がテレビの前に陣取ってやたら見ている。私は昔からの絵画ファンで、絵を見ながら一人夢想にふけることを長年の楽しみにしているのだが、熱心に番組を見ている妻の後姿を見ていると今回それではまずいかという気がしてきた。そこで恐る恐る聞いてみることにした。
「おもしろそうだねえ。・・・一緒に行ってみるかい?」
「一緒に行く。」
即答であった。私としては、・・・もちろん大歓迎である。
「・・・じゃあ一緒に行こう。」
「その妙な間の開け方は何?じゃあってなによ、まるでわたしと」
「いやいやいや一緒に行けるなんて、僕はうれしいよ。」

 展覧会が始まってみれば大変な人気で、入場待ちで美術館周りにならんだ群衆のとんでもない混雑の様子が、上空からのヘリコプターで取材されるほどニュースになっていた。当然会期の後になるほど込み合うことが予想されるので私は早く行きたかったのだが、共働き同士、なかなか互いの都合がつかない。ようやく会期終了近くの日曜日、そろって上野へ出かけることができた。

 いつもの日曜より早起きして開場前に到着したにもかかわらず、生まれて初めて見るものすごい人の列が待ち受けているのに、私たち夫婦は呆然とした。行列は美術館の建物を幾重にも取り囲んでいるようなのだが、人がたくさん見えるばかりでどこがどうつながっているのか見当がつかない。普段は閑散としている美術館近くの木立にまで人があふれ、さらにそこからかなりはなれた噴水わきの広場まで列が伸び、おまけにその広場で幾重にもつづら折りになっている。ようやくそこで美術館の係員が、列の最後尾であることを示す看板を高く掲げているのを見つけた。看板に手書きで書かれた待ち時間は、何と240分。

「だから早く行こうって言ったんだよ。」
などという禁句で自爆するほど私は愚かではない。ひくつく顔は弛緩させ、すべてあるがままに受け入れる、それが人生の知恵というものだ。もはや展覧会は会期末に近く、この日を逃しては若冲の「動植綵絵」を見ることができない。しかたがないのはわかっていても、なにせ240分なのである。私はため息まじりにこう言ってみた。
「240分って、いったいどのくらいの長さなんだろうね。」
妻の返事はない。こういう時はたいてい私の言葉が気に入らないか、返事に値しないと却下された場合である。苦笑というかちくしょうというか、とにかく美術館の建物さえ見えないその最後尾に並ぶことにした。私たちの後ろに列は瞬く間に伸びて、それに従って係員の看板はどんどん離れていく。最大の待ち時間はどれほどになったのだろう。上野駅を出た人の波がそのまま行列に並んでいるのではないかと思えるほどの勢いで人が増え、まもなく私たちは広場を埋める大群衆の中の、小さな一点になっていた。

さわやかな五月の風が吹いてはいても、陽が照りつけて肌がじりじり焼けてくる。何事にも隙のない妻は手さげから日傘を出して相合傘となり、さらにはペットボトルのお茶を取り出して飲むかと聞いてきた。もちろん傘は私が持った。(その後は交代しながら傘係を務めた。念のため。)子供の話や仕事の話をしてみても、長年連れ添った妻との間にさほどの話題があるわけではない。物静かな妻との会話は間もなく途切れてしまい、私はこんなこともあろうかとポケットに突っ込んできた本を取り出した。岩波文庫の黄色本である。

鈴木牧之編銓衡撰 北越雪譜

江戸時代の、雪国越後(新潟県)の生活や風俗習慣に関する本である。こんな妙な本を持ってくるとは私も相当変わり者なのだが、なぜ普段読みもしないこんな本をわざわざ選んで持ってきたかといえば、それはまったく偶然と気まぐれの結果なのである。かなり以前のことになるが、近所の本屋でぶらぶらしていて、貧弱な品ぞろえの岩波文庫の棚にこの本があるのに気が付いた。手に取ってみるとさし絵はたくさんあるし、江戸時代の文章とはいえ何とか読める。もしかしたら結構楽しめるかもしれないと本好きの悪い癖が出て、つい買ってしまった。そのくせ読みもせずに放りだしてあったのを、展覧会の当日の朝ふと思い出した。若冲は江戸時代の人なのだから、江戸時代の書物を持っていけばきっと展覧会気分が盛り上がるにちがいない、という思いつきである。なにせ時間ならたっぷりある。かなり読めそうだ。

本の冒頭にはこうある。
 「およそ天より形をなして下す物〇雨〇雪〇霰(あられ)〇霙(みぞれ)〇雹(ひょう)なり。・・・」
古文の範疇には入るのだろうが漢字にはすべてふりがながふってあるし、平易な文章で書かれている。高校の古文の成績が今一つだった私でも辞書なしで読めてしまう。まずは雪国特有の気象現象の説明があり、それによる人間生活への影響が解説され、それに対する人間の方策や習慣が書かれ、さらには関連した事件やエピソードが書かれていく。つまり雪国に関することならすべて記録してしまおうという、百科事典的な体裁の本である。とりあえず文字ばかりのところは飛ばしてぱらぱらページをめくり、さし絵がついて面白そうな部分だけ読んでいくことにした。
展覧会が始まる時間が過ぎて会場に人が入っているはずなのに、列は動かない。先頭が動いてもその動きが伝わるのに相当時間がかかっているのだろう。暑くてじっとり汗ばんできた。こんな時には雪国の話で頭の中だけでも冷やすのも一興である。などと、私は一人で悦に入っている。例えばこんな話がある。

雪中の洪水。山に積もった雪が雪崩となって谷に至ると、雪塊がダムのようになって川をせき止めることがある。貯留した大量の水が限界を超えてダムが崩落すると、雪や氷まじりの濁流が村々を襲う。昔は山の治水がよほど悪かったのであろうか、そんな話を私は聞いたことがなかった。危険を知らせる半鐘が響き、激流が発する轟音に加え、村は家財道具を持ち出そうとする者、少しでも高い所に逃げようとする者、水にのまれていく者の叫びなどで大変な騒ぎになる。雪国の冬に洪水で溺死する人もいたのである。
面白い話は他にもある。雪山で遭難し、洞穴のクマに助けられて命を長らえた男の話。吹雪の道行で商人が高額なお金と農夫の粗末な弁当を交換し、商人は助かったものの金に目のくらんだ農夫は空腹で凍え死んでしまう話。主がいない間の留守宅をオオカミの群れが襲い、床下に隠れた娘一人を除いて皆食い殺されてしまう。ちょうど帰宅した主は銃で一匹を仕留めたものの、世をはかなんで娘とともに巡礼の旅に出てしまう話。ある川では季節になるとおびただしい数の蝶が川下から群れを成して遡上し、そのため川面が見えなくなるほどであった。毎年物見遊山が出てにぎわっていたのだが、ある年のひどい洪水の後、蝶は全く飛ばなくなったのだという。こんな驚くような話がたくさんあって、興味が尽きなかった。あまりに面白かったので、隣で暇を持て余していた妻に、私は小声で「雪中の幽霊」の話を読んでやった。面白かったのか面白くなかったのかここでも反応はなかったのだが、単に聞いていなかっただけかもしれない。まあとにかくこんな話だ。

・・・関山という村のはずれに草庵を結ぶ、源教という僧がいた。年は六十余り、高僧にも劣らぬ念仏一途の生活を送っていた。冬になると一人で寒念仏の行を務め、毎夜鉦打ち鳴らし念仏してまわった。村にはしばしば大水で流される細く長い橋があった。橋に大雪が高く積もれば、なれているものでさえ橋から滑落して溺死することがある。ある夜源教がその橋のほとりで溺死者の回向をしていたところ、月にわかに曇り川の中に青い火が見えた。源教慌てて目をつむりしばらく念仏の後目をあけると、橋の上に年のころ三十ほどの女が立っている。白く青ざめた顔に黒髪が乱れ、袖は今水から出たばかりに滴っている。よく見れば体は透けていて、腰から下はおぼろである。これぞ幽霊かと一心に念仏を唱えていたところ、その女が歩むともなく前に進んできてか細い声で言うことには、我はどこそこの村の菊と申す者、夫子供が死んだため親戚を頼ってこの橋に通りかかり、誤って水に落ちて死んだ。四十九日にあたる今宵、あなた様の回向の功徳で成仏できそうなのだけれども、いかんせんこの黒髪が障りとなってこのようにさまよっております。どうか私の黒髪をおろしてくださいましと、顔を袖におし当てて泣いている。源教答えるに、それは一向にかまわぬが、ここには髪を剃るべき道具がない。明日の夜待っているから私の草庵まで来るように、と言ったところ、幽霊は嬉しそうにして消えていった。
翌日源教は幽霊のために仏壇の前に筵を敷き、剃刀を研いで用意をした。証人となる友人を戸棚に隠し、吹雪が吹き込むのもかまわず草庵の戸を開けて待っていた。夜も更けて囲炉裏の前で居眠りをし、倒れかかって目をさますと、姿は昨夜のままの幽霊が、仏壇に向かって頭を垂れて座っている。さすがの源教も戦慄したが心を静め、よくぞいらしたと声をかけ、手を洗い盥に水を汲んで剃刀を手に取って幽霊のそばに立った。女の髪はぐっしょり濡れていて雪降る中を来た跡もない。剃刀を当てると髪の毛は糸を引くように女の懐に入っていく。せめてわずかでも証拠を残そうと髪を指に絡めて剃って、ようやくわずかばかりの髪が手に残った。幽霊は白く痩せた手を合わせて仏を拝みつつ、次第に薄くなって消えていった。
のちに源教は友人を証人として村人たちにわけを話し、草庵でお菊のためのにぎやかな回向の会を催した。日を改めて大きな寺の上人様に戒名をつけてもらい、村総出でお菊が溺死した橋のたもとに髪の毛を埋めて石塔を立て、ねんごろに供養した。その石塔は関山の毛塚として今に残っている。・・・

初めは気付いていなかったのだが、この本の著者鈴木牧之(ぼくし)(1770-1842)と伊藤若冲(1716-1800)は同時代を生きた人であった。たぶん見ず知らずのはずの二人だが、共通点もある。ともに江戸時代に流行した百科事典的な趣味の影響を受けていることだ。鈴木牧之は雪国の事象を仔細もらさず書きならべ、若冲は虫や魚や貝などを図鑑のように並べて見せた。ただ二人の性格は違う。話好きの鈴木牧之には人間に対する尽きない興味があったが、世間的な付き合いを好まない若冲が人の肖像画を描くことは、わずかな例を除いてなかった。
美術館に続く行列は時折数メートル進みそこでしばらく止まり、また思い出したように動くことを繰り返している。列はまるで這いまわるミミズのように伸び縮みしながらくねくねと広場を右往左往した後、美術館の周りの林の遊歩道をぐるりとめぐり、美術館の裏側でUターンしてまた林の中をのたうって、ようやく美術館の門から敷地内に入った。あきれたことに建物の前庭でも行列は一回とぐろを巻いて、いよいよ美術館の内に入ってからも最後のループがある。ようやく会場入り口で係員に入場券を切ってもらい、内に入って時計を見れば午後の一時半。予想の240分は20分ほど超えたもののこれなら誤差範囲と認定申し上げた。思えば長い道のりだった。途中の臨時給水所の水がすでに枯渇していたのに憤慨し、しかたなく近くの自動販売機で水を買って飲んで、夫婦で順番にトイレにも行った。ご丁寧に救護所まで用意してあったが、そこに担ぎ込まれている人を見なかったのは奇跡というべきか。

若冲は江戸時代中期に京都で活躍した絵師である。京の町でも有力な青物問屋の跡取りとして生まれ、若いころは商売人として働いていた。ところがどうしても絵を描きたいという病にも似た欲望が高じ、わずか四十歳で家督を譲って隠居した。酒も飲まず女に興味も持たず、世間一般の楽しみを断ってひたすら絵画に打ち込んだ。相当数の絵画の模写をしたが、それでは原画を超えられないと悟って描くべき実物を徹底的に観察した。庭に多数の鶏を放し、それをひたすら見ていたのだという。隠居して三年で大作「動植綵絵」シリーズを描き始め、十数年かけて完成させて京都相国寺に奉納した。ただこれらの経緯は友人の証言によるもので、若冲自身が記録した資料は少ない。大量にあったはずのスケッチや草稿はのちの大火でほとんど焼けてしまっているので、詳しいところはわからないのである。

まずは美術館地下一階の、今回展覧会のために集められた絵画の数々を見ていく。主に初期から中期までの若冲の肉筆画で、のちの「動植綵絵」を準備する絵がたくさんあることを知った。とにかく人の数が多くて、ガラス越しに見る最前列の行列は足踏みしたままいっこうに動かない。近くで見たがる妻とはぐれそうになりながら、私は列の後ろからオペラグラスを使ったり、隙間をのぞきこむようにして要領よく絵を見ていった。こういった場合、前列に並ぶ人に一つのパターンがある。絵の脇に掲示してある解説は時間かけて読むのに肝心の絵の方は一瞥しておしまい、せっかく列が絵の真正面に移動してきたのに視線は次の解説の方を向いている。240分もかけて並んでさらに絵の前で並んで、この人たちはいったい何を見に来たのだろう。帰ってからの話のネタにするのだろうけれども。さて、我が妻の場合は・・・などといらぬ観察をしていた。何はともあれそのフロアをクリアーして二人そろってエスカレーターに乗り、階をひとつ上がればいよいよ「動植綵絵」である。

展示は階全体を間仕切りなしで大きく使っていた。空間が楕円になるよう周囲の壁をまるく作り、そこに三十幅の「動植綵絵」がぐるりと並べてある。中心に「釈迦三尊図」の三幅があり、その脇に白い羽が例の黄金に輝く鳳凰の絵、反対側には同じく黄金の白孔雀の絵がある。その先も決まった順番があるらしく、それは江戸時代の京都相国寺で年一回虫干しを兼ねて展示されていた時の記録によるものだという。場内は人であふれかえり、それぞれの絵の前はさらに黒山の人だかりになっていた。ただ入場制限の効果で隣の人と体が接触するほど危険な混雑ではない。いつもより多めの係員があたりに気を配り、人の波の合間に仕切りガラスについた手や顔の脂あとを布で素早くふき取っている。あまりの人の多さに順番に見ることはあきらめて、比較的すいている絵から見ていくことにした。はぐれてしまいそうなので妻とはあとで落ち合う場所を決め、それぞれが一人で絵を見ることになったので、ようやく私は(以下省略)。


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釈迦図 (図1)
若冲の「動植綵絵」のかなめになる絵で、人だかりが少ないので最初に見ることにした。釈迦如来が中央に鎮座し、右に文殊菩薩、左に普賢菩薩が配置された伝統的な形式である。細かいところまで丁寧に描かれていて素晴らしい。さすが若冲、と言ってみたかったのだが、この際正直に申し上げましょう。
この絵は面白くない。お顔に表情がなく、無愛想で冷たい。仏頂面三兄弟。なぜ若冲ともあろうものがこんなにつまらない絵を描いたのだろう。古い釈迦三尊図を忠実に模写したのだそうで、他の絵のように自由に描くことができなかったのは確かであろう。それにしてもちょっとした目の表情や口元のわずかな動きで、もっと柔和な微笑みだって作れただろうに。これでは仏様のありがたさなど感じられない。若冲はよほど人間の顔が不得意だったのか、それとも人の顔を描くことが性に合わなかったのか。これは若冲の人間嫌いの結果なのに違いない、と妙な納得をすることにした。
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牡丹小禽図 (図2)
驚いたのはその色彩である。花の色は赤から白、その中間色など数種あって、中心に花粉の黄色が配され、それが高い密度でくっきりと描かれている。にじみやぼかしなどあいまいなところは一切なく、情緒的な雰囲気といった余計な付属物もない。豪華、絢爛、華麗というほかはない。花以外の空間は葉や木の幹で隙間なく埋め尽くされている。葉は緑と枯れ茶の変化に富むが様式化されていて、節くれだってうねる幹はどちらが根元でどちらが先端なのかもわからない。白黒のつがいの小鳥がいるのに気付くのはだいぶ後になってからで、鳥が狙う先の虫などは見落としてしまいかねない。本来ならば絵の中心になるはずのこの虫と鳥が地味なので、隅々にまで執念深く描きこまれた花の極彩色に視線がいつまでもさまよってしまい、絵の中で酔いそうになる。この絵は描かれてから二百年以上は経っているはずなのに、しわやシミ一つなく輝くような色彩を保っている。その時を超えた鮮やかさが信じられない。保管してきた相国寺も皇室も、相当の努力を費やして大切にされたのだろう。いくら図録やテレビで見ていても、この絵が持っているこの真の迫力は本物を見るまでわからなかった。やっぱり来てよかった。あれだけ長い列に並んだ労苦が、これで報われるというものだ。
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芍薬群蝶図 (図3)
芍薬の花の上に張り付けた標本のような蝶が多数描いてある。若冲は鶏を熱心に観察したそうだが、蝶の方はどうだったのだろう。後日私は道端で飛んでいる蝶を見つけたので、少し観察してみた。黄色のアゲハは数回はばたいて飛翔し、その後滑空しながら少し落下し、再びはばたいて高さをかせいでいる。滑空する瞬間が一番観察しやすく、その際蝶は翅を斜めに固定している。若冲の絵のように翅を百八十度広げていることはない。小型の蝶に至ってはせわしなく翅を動かしているばかりで、その翅の形がどうなっているかなど全く分からない。見た通りに描くことなどできない相談であるのはわかるけれど、それにしても若冲ほどの絵師ならばもう一工夫あってもよさそうなものだと思った。ちなみにアオスジアゲハの翅は形が間違っているのだそうだ。
そんなことよりもなぜこのテーマを若冲が選んだのかに興味がある。この絵は「動植綵絵」の初期に描かれたという話で、描くにあたって若冲が蝶にまつわる俗説を意識しなかったはずはない。蝶は死者の魂であり、死んだ者が蝶に姿を変えてこの世に戻ってくる、といったことが昔から信じられてきた。荘子の「胡蝶の夢」という話もある。蝶は生きとし生けるものの輪廻の象徴である、もしくは仏の教えの象徴である、といったのに近い認識が若冲にあったのではなかろうか、と感じた。
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紅葉小禽図 (図4)
赤く染まるもみじの色が美しい。絵の具の種類は少ないけれど、裏彩色などの技を尽くして多彩に描いたのだそうで、「動植綵絵」の中でも人気の一枚である。対象をすべて正面向きにするのは若冲がよくやることで、一番典型的なイメージを描きたかったのか、それとも個々の差をつけたくなかったのか。もみじの色の補色に当たるおおるりの青が目を引く。ただこの鳥は夏の渡り鳥なので、紅葉の十一月まで日本にとどまっているのだろうか。そんなことは若冲同様気にしないほうがいいのだろうけれど、この枝ぶりの不自然さときたらどうだ。こんなに細長い枝が垂直に分岐していて、おまけにリングなどあったら、大風が吹けば簡単に折れ飛んでしまうだろう。こんな無茶な枝ぶりにしたのは、左上から落ちる光の線、地表にある平行線や交差線、もみじの枝などでつくられた幾何学線の構築に若冲がこだわったためだろうけれど。とにかく秋の風景を写生したものとはとても言えず、自分の考える美の世界をここに作り上げるのが目的だったといえる。
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梅花晧月図 (図5)
遠くからこの絵を見た時、絵の中にたくさんの明かりがついているように見えた。まるで夜空に星が点々と光っているような、そんな感覚だった。近づいて見れば、明かりに見えたのは梅の花だった。私は驚いた。絵の中で花が光っている。すでにこの絵のことは画集やテレビで知ってはいたが、このように花が光って見えたことはなかった。いったいこれはどうしたわけだろう。はなびら自体が明るく輝いているわけではなさそうだ。花の中央におしべが細かく描かれ、その先に花粉がついている。その輝度の高い黄色の粒々が、周囲のほのかに使われた明るい緑色とあいまって、星のように輝いている。絡み合って広がる黒い枝が背景の闇を一層濃くしていて、そのコントラストも花を光らせる効果があるのだろう。そんな見当をつけてはみたものの、私はこの不思議な光の魅力にとらえられて、しばらく絵の前から動くことができなかった。帰宅したのち図録を開いてこの絵を見たが、花が光ることは二度としてなかった。直筆の絵を直接見なければ、感じることのできない光なのだと思い知った。
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南天雄鶏図 (図6)
 構図も色彩も迫力のある絵だ。黒い鶏が中央で足を踏ん張り大きく立ちはだかっている。胸の羽根が抜けて肉が見えているのは闘鶏を描いたからだと聞いた。ただ、生きもの愛好家の若冲が実際の闘鶏を好んでいたとは思えない。
 この絵には一定の形の反復がある。九州のような形の南天の赤い実の房は、黒鶏のとさかから顔にかけての赤色の類似形になっている。さらには枝にとまる小鳥の類似形でもある。南天のつぶつぶの丸い実の形は、南天の病葉の丸いシミや鶏の頸部の羽根の丸い模様、それに露出した胸肉についた円形のあざにもなって繰り返されている。さらに鳥の足の形は地面の右の崖の切込みの形として反復されている。さらに言えば、絵の下端の「へ」の字のように折れ曲がった枝の形の反復がある。この形は「へ」の字に開いた黒鶏の足で反復され、さらに赤黒コントラストの引き立て役である背後の白い菊の並び方で反復され、その上の南天の実の並び方で反復され、さらに絵の上端の南天の実の並びも「へ」の字型である。それに対し黒鶏の頭からしっぽのラインは「逆へ」の形になっていて、それが黒鶏の存在感を引き立てる一因になっている。まあ、これらは人の意見の単なる受け売りにすぎないけれども、言われてみればその通りに見えてくる。
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 群鶏図 (図7)
中学校の美術の教科書に、この絵があった。美術の先生が、この画家は普通の日本画とは異なる独特の絵を描くと言っていたのを数十年ぶりに思い出した。その本物と対面することになったことが感慨深い。見事な羽模様の鶏が隙間なく描かれ、とさかで鶏の頭の位置はわかるものの、どこが胴体でどのしっぽにつながっているのかわからなくなる。実際の鶏の群れがこんな混雑状態でいることはないだろうから、意図的に個々の鶏の独立性を消したのだろう。いっそのこと鶏の頭をなくしてしまったら、めくるめくような模様のタペストリーになって面白かろう。
私はそのころから絵を見ることは好きだったが、描く方は一向にだめだった。課題で人物画を描くことになろうものならモデルが妖怪に化けてしまって悲惨だった。クラスにはもう一人妖怪を描くやつがいて、互いに俺の方がうまいと競い合ったものだ。多色刷り版画の課題の時は鶴や雲を日本画風に刷ってみようと計画したのだが、不器用なことに刷る色ごとに少しずつずれてしまい苦心惨憺した結果が鶴の福笑いになった。要領のよいやつは印象画風に波立つ水面を多色刷りに表現していて多少のずれは計算済み、短時間で高評価を得ていた・・・などと絵を見ながら次々に連想がひろがっていく。私の絵の楽しみ方はいつでもこんなふうだ。
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菊花流水図 (図8)
菊は本来ならば川辺でひっそりと咲いているはずである。複数描かれた花は巨大で、まるで打ち上げられた花火のように見える。花を支える茎が屈曲しているのは、その曲線を川の流れに対抗させているためであろう。しかし茎は細すぎて花々の重さを支えきれそうにないし、鳥はハチドリサイズで見落としかねず、不自然さこのうえない。川の形は伝統的なデザインで抽象的である。
この絵のように自然描写からかけ離れたということは、そのデフォルメしたところに若冲の意図が隠されているのに違いない。そこでこの絵で若冲は何を言いたかったのか、そのあたりを考察してみた。
その一。野に咲く菊の花のように、人はこの世の片隅でひっそりと生き、花をさかせ、枯れ死んでいく。風が吹けば倒され、水に流され雪崩に埋まることもあるだろう。しかし誰もが主人公だ。ナンバーワンにならなくてもいい、特別のオンリーワンであれば。
その二、伝統的な川のイメージは日本人の記憶の奥底にある川である。例えば生まれ故郷に流れていた川。人はそこから人生を歩み始め、死ぬときにはそこへ帰っていく。つまり心のふるさとに流れる根源的な川。その命の水があるからこそ、人は生きて自分の花を咲かせることができる。
その三、大きな川の流れ、それはそれぞれの人が生まれてから死に至る道行をあらわす。人生にはいろいろな困難がある。それに負けないよう自らの人生の流れを作り出して花を咲かせることが大切。
その四、己を信じてどこまでも伸びて行こう、でもちょっと大きくなりすぎたら、背を縮めてみよう。
その五、多少弱腰であっても、顔はでかいほうがよい。
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蓮池遊魚図 (図9)
ハスは泥池に咲き、アユは清流に住むから、この風景は現実にはありえない。清らかなイメージ同士を合成した絵である。画家の視点についても、魚やハスの葉柄は真横から、花は斜めに加え真横からと真上から描かれているように、複合視点の合成図である。絵になるよう自由に描いたのであって、それが現実にあり得るかどうかは問題にしていない。
現実にはあり得ないのだから、もっと自由になってもいいじゃないかと思う。例えば泳いでいるアユの胸びれを大きくして飛び魚にしてしまえばどうだろう。水面の描写がないためか、水中の魚は途端に空を飛んでいるように見えてくる。いたずら心を起こしてアユの頭に日の丸の鉢巻を描き加えれば
「日本飛魚隊」
になる。さらに書き換えをするならば、魚をゼロ戦にして飛行編隊を組ませたらどうだ。しかしそれではさすがに具合悪いので、オリンピックのスキージャンプ選手あたりならよろしかろうか。ハスの花を日の丸国旗にして、その中を飛ぶ日本ジャンプ陣。札幌オリンピックでは表彰台を日の丸が独占してすごかったなあ、などと私は昔の人らしく感慨にふけってみた。
下の方にアユとは模様が異なる魚が一匹いる。ほかのアユがジャンプ選手とすればこれは実は落ちこぼれで、多少いじけている。アスリートの世界は厳しくて、当然のことながらトップになれない奴はたくさんいる。しかし夢破れた後も生きていかなければならない。仏の教えに、生きとし生けるものすべての命を大切にしろと言うのがある。たとえ落ちこぼれてもかならず救われるのだというメッセージを伝えたくて、若冲はこの一匹を加えたのだ。たぶん違うと思うが。
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池辺群虫図 (図10)
たくさんの虫や小動物が描かれている楽しい絵だ。若冲はきっと子供のころから虫が好きだったに違いない。青虫に菜っ葉を与えてさなぎにし、蝶に育てる程度はしたのではなかろうか。若冲の実家は八百屋である。昔は農薬などないから、野菜に虫がついていることなどあたりまえである。現在のように店先の野菜に虫がいないことなどありえない。
だから若冲になるまえの伊藤源左衛門が八百屋の店主だったころ、野菜を売るよりも野菜についた虫の方に気を取られていたに相違ない。そこへちょっと粋な感じの奥さんがやってきた。
「あのすみません、この大根いただけます?」
「・・・あ、お客か。へいいらっしゃい、何にいたしましょう。」
「ですから、この大根をくださいな。おいくら?」
「いえいえ、こっちの菜っ葉の方がいいですよ。どうです色といいツヤといい文句なしです。ごらんなさいこの食べっぷり、こいつは立派な蝶になりますね。」
「・・・け、結構です。」
店に奉公している者も商品の取り扱いには十分な配慮が必要である。
「ちょっと待て、おまえ今何をした。」
「はいだんな様、虫を払っておりました。」
「その足を上げてみろ。」
「はいだんな様、こうですか。」
「なんてことをしてくれた、かわいい青虫がつぶれているではないか。」
「はいだんな様、菜っ葉が傷物になってはいけないとおもいまして。」
「馬鹿者、おまえは一寸の虫にも五分の魂、ということを知らんのか。なんてかわいそうなことをする。大切に育ててきたのに。なんてことを。」
「はいだんな様、でも」
「でももヘチマもあるものかっ!おまえは今から雪隠掃除だっ!」
当然のことながら親類縁者が集まって会議が持たれ、このままでは家業が傾くということで若冲は店主をクビになった。客や野菜より虫の方を大切にしたため、伊藤源左衛門たる若冲は若くして隠居させられたのだ。という新説をここに提唱したい。

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