牧谿 遠浦帰帆図  その1

       牧谿 遠浦帰帆図  (もっけい えんほきはんず)  その1

 2014年の秋に三井記念美術館で 東山御物の美 という展覧会があり、私はそこでこの絵を見た。
http://www.kyohaku.go.jp/jp/syuzou/meihin/chuugoku/item07.html
    
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 古い水墨画である。描かれてから700年以上経っている。大きさは縦32.3cm、横103.6cm。
 画面には水面が大きく描かれている。手前には木々が生い茂り、その隙間に岸に立つ家が見える。客人を誘うのぼりがみえることからおそらく飲食を商う店であろう。近くには人影が幾人かたむろし、座って湖を見ているようにも見える。対岸のかなたには山々の稜線が幾重にも重なりあい、湖岸の森や水面に映る影らしきものも描かれている。水面は右手に行くに従い上下に大きく広がっている。ここは湖の端の部分なのか、それとも左から川が湖に流れ込んでいる場所なのか。遥か右手より風が起こり、画面の中に霧が流れ込んできているようだ。その霧のため湖はぼんやりと描かれていて、水も、山も、空までもすべての区別がつかない。その霧のなかには小舟が2艘、たぶん左手の商家を目指し、風に帆をはらませている。風は強く、湖岸の木々の枝のみならず幹までもしなり、店ののぼりも激しくたなびいている。

 これらがすべて墨の濃淡だけであらわされている。風、湿った空気、揺れ動く大気。すべてが霧のなかで混然一体となり、その幻想性にはおどろくばかりだ。絵を見ながらイギリスの風景画家ターナーを思い出した。ターナーが多彩な色を使って一生をかけて追い求めたものが、ここでは墨一色であらわされている。それもターナーより500年も前に。信じられない思いだった。私は絵に近づいたり離れたりして見て、会場にある他の絵を見てからまた戻って見て、しばらくこの絵から離れることができなかった。

 牧谿(もっけい)は中国の画僧である。13世紀の後半南宋の時代に生きた人で、生没年不詳。日本だと鎌倉時代にあたる。四川出身で、当時の都である臨安(現在の杭州市)に接する西湖のほとりの、六通寺に住んでいたことが伝えられている。現在に残る絵はほぼすべてが日本にあって、中国にはない。筆が荒いとのことで中国での評価は低く、大切にされなかったようであるが、牧谿の傑作が日本に持ち込まれ、中国にはあまり残っていなかったのも評価が低かった要因の一つであったようだ。
 日本では牧谿といえはお手本にすべき水墨画の最高峰であると考えられてきた。「和尚」といえば牧谿のことと言われたほどで、長谷川等伯など日本の絵画における牧谿の影響は大きなものがある。

 遠浦帰帆図(えんほきはんず)は瀟湘八景画(しょうしょうはっけいず)というひとまとまりで描かれる画題の中の一つである。中国の長江中流に洞庭湖という湖がある。その湖とそこに流れ込む瀟水と湘江という川のほとりは、古来より風光明媚な名所として有名であった。11世紀中国北宋の画家の宋迪(そうてき)という人がこのあたりの風景を絵に描き、有名になった。それが瀟湘八景画と言われるもので、瀟湘夜雨、平沙落雁、烟寺晩鐘、山市晴嵐、江天暮雪、漁村夕照、洞庭秋月、それにこの遠浦帰帆の八図である。残念ながら宋迪の絵は残っていないようだが、後世この画題で絵を描くことが一つの流行となり、中国では南宋の末まで多くの画家が独自の瀟湘八景図を描いた。牧谿もそのうちの一人である。瀟湘八景の場所を示す中国の地図を見ると、遠浦帰帆図は湘江が洞庭湖にそそぐ河口付近を題材にしているようにみえる。ちなみに日本での近江八景や金沢八景といった名所八景の名前の由来は、もとはこの瀟湘八景にあるのだそうだ。

 牧谿はもともと瀟湘八景画を長い巻物として描いた。室町時代の第三代将軍足利義満が鑑賞しやすいようにと巻物を切り分けて分割し、それぞれに自分の印を押した。そのうちの一つであったこの絵は足利家から村田珠光、織田信長、徳川家康、徳川家光、田沼意次など、歴史の教科書に登場するような有名人たちの手を経て、現在は京都国立博物館の所蔵になっている。

 この絵にはおもしろい言い伝えがある。織田信長は本能寺の変の前日、彼の生涯最後になる茶会を本能寺で催した。京都から四十名以上の公家たちを呼び、博多からは島井宗室と神屋宗湛(そうたん)という商人が招待されていた。安土からわざわざ取り寄せた茶道具の名品四十点近くが披露されていて、茶会にこの絵も飾られた可能性が高い。翌朝未明、明智光秀の軍勢により襲撃された本能寺から、宗室が空海の書を、宗湛がこの絵を命からがら持ち出したのだという。もしもこの話が本当ならば、翌朝自害して果てることなど知る由もない信長は、自慢の茶道具に囲まれて、得意満面でこの絵を眺めていたことになる。茶道具のほとんどは本能寺の火炎の中で灰燼に帰したそうなので、もしこのときの博多の商人の機転がなかったならば、この絵が現在まで伝えられることはなかった。

 貴重な巻物を切り分けるなどもってのほかとも思えるが、このように失われるリスクを考えれば、この巻物を八つに切断した足利義満は、賢明な判断をしたというべきであろう。八つの絵はそれぞれが別の人の手に渡り、日本各地に散らばっていった。江戸時代に徳川将軍の吉宗が江戸城に一堂に集めての展覧会を企画したようだが、すでに二枚が行方不明になっていたという。

 現在まで伝わる牧谿の瀟湘八景図とされる絵のうち、義満の鑑蔵印が入っていて牧谿の真作と認められるのは

  煙寺晩鐘図(畠山記念館蔵) 
  漁村夕照図(根津美術館蔵)
  遠浦帰帆図(京都国立博物館蔵)
  平沙落雁図(出光美術館蔵)

の4枚で、いずれも国宝もしくは重要文化財である。
あと3枚、牧谿作と伝わる絵がある。

  江天暮雪図(個人蔵)
  洞庭秋月図(徳川美術館蔵)
  瀟湘夜雨図(個人蔵)

これらは国宝にも重要文化財にもなっていない。その理由は知らないが、牧谿は偽物が多く出回っていたとのことであるから、真贋がはっきりしないのだろうか。少なくとも原作を模写したものである可能性はあるだろう。

日を改めての展覧会では漁村夕照図(根津美術館蔵)も展示されていて、見ることができた。
http://www.nezu-muse.or.jp/jp/collection/detail.php?id=10390
    
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 構図は遠浦帰帆図に比べ複雑で、多くのものが描きこまれている。左手に岩山と木、中央に湖が広がり、その奥には急峻な山なみ、右手には霧にけぶる林とそれに夕方の日の光が差し込んでいる。これもまた日本人好みのすばらしい絵で、牧谿独特の揺れ動く大気の湿潤さに光の表現が加わって圧倒的である。
牧谿の真作は他に畠山記念館と出光美術館にある。美術館の最高レベルの宝物であろうから、公開はたぶん10年に1度くらい、それも短期間であろうと想像する。注意して展覧を見逃さないようにしないといけない。


 この東山御物の美 の展覧会では、他にも驚くような超一流の美術品が目白押しだった。期間中何度も展示替えがあり、私は会期中計3回も三井記念美術館に通ってしまった。

 まずは中国北宋の皇帝徽宗の真筆が確実である桃鳩図である。
    
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 堂々たる鳩の曲線が実に優美で、その曲線を桃の枝が反復し、桃の色彩鳩の色彩の残りもよい。高校の美術や歴史の教科書にも載っているほどの第一級の美しい絵だ。中国の北京故宮博物館が保管する古い中国の絵画には、絵の空白に賛の漢詩や所有者の印が、目茶苦茶と言っていいほど書き込まれているものが多い。それでもスペースが足りなくなって、絵の端に紙を張り付けて延長し、延々と賛が書かれ、印が押してあったりする。正直言って煩わしく、元の絵が台無しに見える。しかし日本に早くから伝わったこの桃鳩図は、まごう事なき皇帝の痩金体によるサインと御書印、左下に足利義満がつけた印があるだけで、元の姿をよく伝えている。中国に在れば当然一級文物であろう絵が、こんなにきれいな状態を保っているのは、中国でも少ないのではないかと思う。
 徽宗皇帝の絵は他に秋景・冬景山水図、鴨図をみた。いずれも手が込んでいて風格のある大変すばらしい絵であった。時の最高権力者がその時代の最高の芸術家であったのは、世界史中を眺めても徽宗を置いて他にない。しかし為政者としては全くの能無しで、後年帝国を瓦解に導き、自らは北方騎馬民族である金帝国の捕虜になってひどい辱めを受けた。

趙昌の茉莉花図は、可愛らしい茉莉花(ジャスミン)を描いた絵である。
   
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 緑の葉に白い可憐な花が咲いている。美しい花なら他にいくらでもありそうではあるが、茉莉花はその高貴な香りのために絵画対象になったのだろう。
 我が家の狭い庭にはハゴロモジャスミンが植えてある。つる植物なのでこの茉莉花とは種類が違うようだ。春になると白い花を一斉にひらき、特に夜には開けた窓から甘い芳香がただよってきくる。ジャスミン違いでも同じモクセイ科ソケイ属に属しているのだから、この古い絵の花の香りは我が家のものと似ているのかもしれないと思う。

 会期初めにしか展示されなかった李迪紅白芙蓉図は、展示中に行くことが出来ずに見落とした。
   
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 しかしどこかで見た記憶がある。家の本棚にあった東京国立博物館の日本国宝展の古いカタログを見てみたらそこにあった。芙蓉の花の淡い赤から桃色、白色までのグラデーションが見事で、古い絵画ながらその美しさを現在にまで十分伝えている。

 この展覧会では牧谿の絵が布袋図、老子図、幾枚かの鳥の絵などがあって、この画僧の絵をまとめてみることが出来た。率直に言って絵に出来不出来のむらがあるように思える。これは牧谿を師とした日本人画家が同類の題材を描いていて、それにすぐれた絵がたくさんあるためであろう。日本人画家には大胆な筆遣いの人が多かったから、お手本となった牧谿がすこし貧弱にみえてしまったのに違いない。牧谿は日本絵画の源流となった偉大な画家の一人なのである。
 
 こういった絵をじっくり見終わって出口の手前まで行ったところで私は逡巡した。そのまま帰るのが惜しくなり、また牧谿の遠浦帰帆図を見に戻る。絵は目の前にある。

 木々の枝が揺れている。湖の水面が揺らめき、風の音まで聞こえてきそうな気がする。木々の茂る湖畔を右へとたどり、もしも視線を絵の枠の外側にまで移すことができたならば、たぶんそこには粗末な家が集まる小さな村落があったにちがいない。子供たちが走り回って遊び、一日の仕事を終えた人々が三々五々とたむろしている。立ったままよもやま話をしている人や、腰をおろして湖を見ている人もいる。
 風とともに、湖面の上をはるかかなたから霧が忍び寄ってくる。霧のなかには風を帆にいっぱいにはらんだ舟が、二艘、見える。一つの舟には、長い時を経たのちに遠くの地より故郷へと帰ってくる人がいる。もう一つの舟にも、誰かが乗っている。誰かが、乗っている。・・・


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 牧生(もくしょう)は湖のほとりの小さな村に生まれた。幼少より神童ぶりを発揮し、言葉を覚えるのが早く、子供ながら大人のような話しぶりが出来た。我を張って両親を困らせることもなく、性格はいたって穏やかで、両親は牧生が自慢で宝物のようにしてかわいがっていた。両親はその土地では裕福なほうの農民だった。先祖からうけついだ田畑に加え、苦労して荒れ地を開墾したかいがあって、生活にはゆとりがあった。向上心が強く、少ないながらも趣味のよい調度品に幾冊かの本があって、暇があれば少しずつ読み進めるのを楽しみにしていた。ある時、農作業から帰ってくると幼い牧生が、一人大きな声で本を読んでいた。少しおかしな読み方ではあったが、内容を尋ねてみればよく理解している。驚いた両親は、息子に才能があるのか見てもらうため、村で一番の物知りの王老人の元に連れて行くことにした。

 王老人はかつて都でかなりの名声を誇ったものの、すべてを引き払って田舎に隠遁した人だった。いっこうに終わることのない権力争いと、金にまみれた都の政治に嫌気がさしたのだとの噂だった。湖を見下ろす丘に館を構え、古来詩に歌われた雄大な景色を楽しみ、時には小舟で一人釣りに出た。村人たちと農作業の真似事をし、時折訪れる客人の相手をするなど悠々自適の生活であった。その一方で王老人は貧富の差無く村の子供を集め、お金をとらずに読み書きを教えるような篤志家でもあった。朝から館の一室に村の子供たちを集め、行儀作法から始まって簡単な読み書きに至るまで、叱ることもせずにのんびり教えた。子供たちの多くは、勉強をしたいというよりも、昼に出る食事やご褒美のお菓子を目当てにして来るのであった。

 湖畔にある牧生の家からは、丘の上のその館がよく見えた。牧生は物心ついた頃から毎日館を見上げながら育った。そのあたりでは見かけない瀟洒な建物で、雨上がりの瓦の屋根に陽の光が当たると、深い青色がきれいに輝いて見えた。
 両親に連れられてその館に初めて行った日のことを、牧生は生涯忘れなかった。丘の頂上まで子供には少々急な階段がつづいている。足を持ち上げるようにして一歩一歩登るにつれて、視界が大きく開けてきた。ちょうど春の湖の水量が多い季節で、手前から対岸のかなたにかすむ山のふもとまで、湖は豊かに水をたたえている。雲や山の影をうつす湖面にさざ波がたつと、そのうち湖畔に茂る木々が思い思いに揺れ、丘の斜面を吹きあげてくる風が気持ちよい。普段遊んで慣れ親しんでいる村の家々を足元に見おろしながら、まるでおもちゃの庭のようだと思った。

 両親に励まされてようやく登りおわった階段の先に、王老人の館があった。白い壁に太い柱が立ち並び、大きな窓が開いている。ふもとから見えた跳ね上がるような形の屋根には、青瓦が陽の光に輝いている。館は立派で、牧生はこんなにきれいな建物を見たことがなかった。館の塀をおおうように緑が茂り、無数の白い花がいまや盛りと咲き誇っている。近づくとすばらしく甘い香りが漂ってきた。しばらくその花の香りを楽しんでいると、それは茉莉花(ジャスミン)ですよ、と教えてくれた人がいる。館に住む王老人の息子嫁の瑞琳という人で、優雅に髪を結い、丸い顔だちも優しかった。その人に案内されて館の奥へと通された。その部屋で待っていた王老人は、質素な身なりながら気品のある態度で、気さくに牧生や両親に話しかけてきた。背後には開け放たれた窓から湖が見え、そこからもおだやかな風が吹きこんでくる。どんな話かは忘れてしまったが、その王老人の笑顔と茉莉花の香りが、牧生の記憶に強く残った。

 牧生は熱心に館へ通った。雨の日も風の日も、坂の階段を踏みしめながら登ってきた。王老人の話をよく聞き、教えられたことは忘れなかった。いにしえの詩や書を読み、その解釈を述べ、いまだ稚拙ながらも詩を書いてみせた。王老人は牧生ののみ込みの速さに目を見張った。ある時、感心しながらこう言った。
「おまえは賢い。わしは長く人間を見て来たが、おまえのような才能はめったに見るものではない。おまえがこのような寒村で朽ちるのはいかにも惜しい。いずれ都に出で科挙に挑んでみたらよかろう。官吏となって帝に仕えることも夢ではあるまい。」
牧生は子供ながらに居ずまいをただし、手をついて頭を下げて言った。
「ありがたいことでございます。誠を尽くして勉強いたします。」
王老人は笑って牧生の頭をなでた。

 牧生は志を立てた。一生懸命勉強して科挙に合格し、いずれは天下国家のために役に立つ人間になるのだ。その望みをかなえるために、あらゆる犠牲をいとわない。寸暇を惜しんで勉学に打ち込み、誰にも負けない立派な人間になるのだ。
 それからというもの、牧生は毎朝まだ暗いうちに起きだし、霧が覆う夜明け前の湖を眺めながら丘を登り、まずは館の庭を掃き清める。次いで学問に使う部屋の中も塵一つないように掃除して、他の子供たちがやってくるころには、書見台を置いて一人本を読んでいた。朝が遅い王老人が入ってくると、騒いではね回っている子供たちの中で一人平伏して挨拶した。王老人の顔をじっと見て話を聞き、理解できたことを書いて見せた。

 時には王老人が自ら編纂した詩選集を手にして庭に立ち、湖に向かっていにしえの大詩人たちの詩を朗唱した。

  天地はとこしえに没せず
  山川(さんせん)は改まる時無し       
  草木は常理を得て
  霜露(そうろ) これを栄悴(えいすい)せしむ    
  人は最も霊智なりと謂うも
  独りまたかくの如からず
  たまたまあらわれて世の中に在るも
  たちまち去りて帰期なし
               (注1)

 かたわらには王老人が座り、牧生に時折注意をさしはさんでいた。二人の前には湖が大きく広がって見えていた。春には花々が咲き、夏にかけて緑が濃くなっていく。湖には無数の鳥が群れをなしてやってきて、一斉に舞い降り、湖面で羽を休めていく。館の軒先にはツバメが巣を作り、湖の上を飛び交ったあと牧生の頭をかすめて巣へと戻る。幾度かの驟雨が通り過ぎて夏が終わると木々は葉を落とし、立ち枯れの枝の間から水の引いた湖が見えた。雪が降り、おそろしいほどの寒さになっても、晴れた日には真っ白になった湖に向かって詩の朗唱を繰り返した。このようにして、暮れゆく景色の中で帆舟が家路につき、闇が忍び寄って文字が判読できなくなるまで、牧生が書物を閉じることはなかった。

 思い返せばこのころの牧生は幸せであった。一生懸命に勉強を続ける牧生に館の人たちは皆親切で、王老人や家族の人をはじめ、使用人や訪ねてくる客人に至るまで、牧生を見かけると優しい声をかけていく。とくに館を切り盛りしている瑞琳は牧生をよくかわいがった。顔を見れば体の調子を気遣い、たまには子供らしく外で遊ばなければだめだと言った。よく食べ物や飲み物の差し入れを持ってきて、牧生が遠慮がちに食べ終わるまで、笑顔でそばに座っているのだった。

 何年かが経つうちに、牧生は館にたくさんあった本をすべて読破してしまった。もはや牧生が目を通していない本のページがないことを知ると、王老人は言った。
 「これでわしが教えることはすべて終わった。若すぎるということはない。ここから出ていく時が来たのだ。だが、わしは都を離れて久しい。科挙のことはおおかた忘れてしまった。都に私の教え子がいる。商売人ながらよく勉強し、今では多くの若者を集めて科挙の準備をさせている。都の役人にも顔がきくので、試験の時には助けになるだろう。手紙を書いてやろう。そこでおまえの運を試してみるがよい。」
 科挙に合格するということは国の官吏になることで、それは一族に莫大な富をもたらすことが約束されたに等しいことであった。両親は躍り上がって喜び、話を聞いた親類縁者がぞくぞく集まってきた。皆乏しいたくわえの中からできるだけの金を出し合い、牧生の学資の準備とした。

 王老人には孫娘がいた。瑞琳の一人娘で名前を莉麗といった。豊かな黒髪によく動く瞳、ほっそりした体に白く伸びた腕、小さな手が髪をかき分けるとうなじに小さなほくろが見えた。いつも笑顔で、誰しもが声をかけたくなるような可愛いらしい娘であった。家の手伝いをよくし、言いつけられたことは素直に守った。牧生が屋敷にやってくると喜んで、幼いころは野の花を摘んで机の上に置き、長じては茶を入れ菓子の用意をするなどして、なにくれと世話を焼いた。

 用がない時でも、牧生の邪魔にならないように部屋を掃除するふりなどをして、そばに居たがった。勉強が一段落して牧生が話しかけるとはじけたような笑顔になった。そして庭に咲いた茉莉花のことや、家族のこと、飼っている動物のことなどを、次々と話をはじめるのだった。遊びたいさかりを我慢してそばにいるのがいじらしくて、時には誘って一緒に館を抜け出すこともあった。野の花々を摘んで花束をつくり、湖のほとりにまで下りて小舟に乗った。牧生は船尾に立ってかいを操り、莉麗は舟べりから一輪一輪湖面に花を落とした。花がすべて沈んでしまうと舟を岸辺に戻し、そこでおいかけっこがはじまる。舟から逃げだした莉麗を追いかけながら牧生は笑い、つかまえては笑った。そして上気して汗をかいているうなじのほくろを見つけてしまうと、いつも牧生はどぎまきしてしまう。隙を見てまた逃げ出して笑っている莉麗を追いかけながら、牧生はその時ばかりは時間が惜しいとはすこしも思わないのだった。

 牧生が都に行くことが決まってから、莉麗は一日中牧生の後ろについてまわるようになった。それでいて牧生が話しかけると、隠れるようにして逃げてしまう。心配になって探しに行くと、庭の隅にしゃがんで湖のかなたを見ていたりする。はっと振り向いた莉麗の顔は悲しげで、あれは涙ではなかったろうか、そんな大人びたようなさびしげな莉麗が気にかかった。
 しかし館の大人たちは、年端の行かない童女の気持ちなどを慮る者はいない。面と向かって、最近おかしいぞ、急にませたな、などとからかい、牧生のお嫁さんになりたかったのにね、とまで言って莉麗を泣き顔にした。

 別れの時がやって来た。すでに幾日も前から集まっていた親類縁者は朝から館へつめかけ、挨拶やら宴や旅の準備などでにぎやかだった。晴れ着を着た村人達が集まって、大広間に食事を乗せた皿がいくつも運び込まれてくる。ちょうど花の季節で、あたりには茉莉花の香りがほのかに漂っていた。
 みごとな青色の絹の服が牧生のために用意された。牧生は生まれて初めて着る一張羅に緊張し、こんなにきれいな服を汚してしまわないかと、そればかりを気にしていた。立派な服をきた牧生に人々が感嘆の声をあげ、おめでとうを言うたびにぎこちなく頭を下げた。莉麗も近くでなにくれと働いていたのだが、口をきかないどころか牧生の顔を見ようともしない。牧生は莉麗のことを目で追いながら、引っ張られるようにして王老人のそばに座らされた。牧生の両親がそのわきに並んで座った。
 王老人ははなむけとして、これまで牧生が何度も手にして朗詠した王老人の詩選集を手渡した。牧生は感激してそれをおし頂いた。手元には酒杯が配られる。王老人が牧生に酒をすすめ、しきりに都のことや、都で頑張っている弟子の李積成のことを話した。立派な男だ、心配することはない。牧生は酒というものを初めて味わってみた。舌にくる刺激にびっくりし、妙な顔をした牧生を皆が笑った。

  君に勧む 更に尽くせ一杯の酒
  西のかた陽関を出ずれば 故人無からん  
                       (注2)

 両親は牧生のそばを離れず、しきりに牧生の体に触れては撫でた。ゆくゆくは官吏様だと誇らしげに言い、まだ子供なのにと涙を流した。村人たちは変わりばんこにやってきて、持ち寄った食べ物を食べろ、次は酒を飲めと言い、聞いてもいないのに牧生が小さかったころの話を勝手に話し出したりの大騒ぎだった。牧生も飲み、大いに食べた。いつもの食事にちょっと手を加えた程度の、豪華とは言えない田舎風の料理だった。でも心のこもったおいしい料理だった。

 宴もたけなわになって、村長のあいさつが始まった。はじめは神妙に聞いていた牧生は、莉麗の姿が見えないのに気が付いた。先ほどまであちこちで働いていたのが見えていたのにどこに行ったのだろう。それが気になって村長の話は耳に入らない。何を聞かれてもうわの空、しきりに莉麗のことを目で探している。ようやく皆も莉麗がいないのに気が付いた。母親である瑞琳が言った。まああの子ったらこんな大事な時に、どこに行ったのかしら。あなたのことが気になって仕方がないくせに。探してくるわね。
 しばらくして含み笑いをしながら帰ってきた。あのこったらね、拗ねているのよ。どこ行っていたと思う、茉莉花の茂みの中よ。一人で泣いているのよ。館の中に入れって言ってもきかないし、返事一つしないのよ。あんなに頑固だとは思わなかった。お願い牧生、迎えに行くのはあなたじゃなくちゃだめみたいよ。

 どっと笑い声が上がり、牧生は耳たぶまで真っ赤になった。はねるように立ち上がり小走りになって暗い館の外にとびだした。夜の闇の中、館の外には白い茉莉花が群れを成して咲き乱れていた。花は月の光を反射して、その白い輝きがにじんで見える。まるで月の光が細かな銀の粒子になって、花弁から霧のようにこぼれているようであった。静かであった。莉麗の名を幾度か呼んで探してみたが、館のざわめきが聞こえてくるばかりで返事はない。ただむせかえるほど花の香りのする春の風が、牧生の上気した頬にそよぐばかりだった。

 翌朝、まだ肌寒い夜明け前の薄暗がりの家の中で、牧生は旅装に着替えた。旅費を含むお金、都で世話になる李積成宛の手紙、王老人からもらった大切な詩選集を丁寧に包んで背嚢にしまいこんだ。父母はそばを離れず、準備がすべて終わってもなにかと世話を焼きたがった。生まれ育った家をすみずみまで見てまわる牧生のそばで、食事をきちんととること、病気にならないように気を付けること、だまされてお金などをとられないよう注意することなど、こまごまとしたことを話し続けた。つらくなったらすぐに帰って来いとまで付け加えた。そして名残を惜しみながら外に出た。

 湖は豊かに水をたたえ、はるかかなたまで水面が広がっている。対岸の山の頂を照らしていた太陽の光が山から湖にまで下りてきて、あたりはしだいに朝の光に明るく輝きだした。小さな桟橋にはすでに見送りの人たちが集まっていた。村人たちの激励を受けながら、牧生は今回都まで同行してくれる商人に頭を下げた。桟橋には帆舟が一艘浮いている。頼りなげな小さな舟だった。牧生は船頭に手をとってもらい、揺れる小舟に乗った。
牧生は舟べりに座った。陸地に立つ人たちを見る。父母の顔、幼い兄弟の顔、館の人たちも来てくれていた。ありがとう、がんばってくる、みなさんもお元気で、と繰り返し言いながら、牧生は端から端までその顔を見てまわった。朝早く起きるのが苦手な王老人はいない。それは仕方がないにしても、ここにも莉麗はいなかった。牧生はがっかりした。莉麗こそ、さよならを一番言いたかった人だったのに。

 船頭が長い棹で力強く湖底を押し、舟は岸を離れた。みなの声が甲高くなった。歌を歌う者もいる。踊って見せる者もいる。泣き出した母の肩を父親が抱き、瑞琳がちぎれんばかりに両手を振っている。牧生もまた精いっぱいの声を張り上げて手を振った。舟はしだいに離れ、村人たちは小さくなっていく。それでも聞こえるようにと、牧生はほとんど怒鳴っていた。言葉は悲鳴のようになってまじりあい、何を言っているのか聞き取れなくなった。
 ふと丘の上の館の方に視線をあげた。牧生はあっと声をあげた。そこに小さな女の子がいる。とびあがるようにして、何か白いものを大きく振っている。莉麗だった。持っているのは茉莉花の花束にちがいない。叫んでいるようなのだが、遠すぎて言葉は何も聞こえない。牧生は立ち上がり、舟が揺れるのも構わず激しく手を振り、大声で莉麗の名を呼び続け、別れの言葉を叫んだ。舟は帆をあげた。帆は風をはらんで大きく膨らんだ。舟は湖面の上をすべるように進みだした。すべては遠く小さくなっていく。牧生は目に焼き付けるようにして、桟橋の人々、生まれ育った村の家並、丘の上の館、それに莉麗を見つめ続けた。やがてはすべて見分けがつかなくなり、白い霞の中に消えてしまった。

  孤帆の遠影 碧空に尽き
  唯だ見る 長江の天際に流るるを    
                      (注3)

 牧生の頬にはいく筋もの涙が流れていた。そして、この光景を忘れるな、志を遂げるまでは再び見ることはないのだ、と強く決心をしていた。

  (その2に続く)

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