ヘレン・シャルフベック

ヘレン・シャルフベック

 東京芸術大学大学美術館でヘレン・シャルフベックの展覧会が開かれていた。この画家の名前は今回初めて知った。1862年から1946年まで生きたフィンランドの画家である。
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 フィンランドに行ったことはないのだが、好きな国である。シベリウスやメラルティンなど、お気に入りの作曲家がいる。国土をおおう森と湖は、東山魁夷の絵のように美しい。短い夏が来ると人々は夏至祭を祝い、祭りの炎がうすら明るい湖面に一晩中うつる。湖畔にはサウナがあって、中は蒸気でむして熱い。白樺の枝で汗の流れる自分の裸体をたたく。熱さに耐えきれなくなったら外の湖の冷たい水にどっぷりつかりにいく。冬になって雪と氷に閉ざされるころは、一日のほとんどが夜の闇となる。毛布にくるまり暖炉の火を見ながら、おとしよりの語るカレワラの長い物語を聞く。屋根の上では薄緑色のオーロラが音もなく乱舞し、遠くに何か動物の遠吠えが聞こえる。このあたりの人々の魂は森の木から生まれる、死ぬと世界中のどこに居てもその魂は森に帰ってくる。フィンランドのイメージと言えば、まあざっとこんなものだ。

 そんな大地に生まれ育った人がどんな絵を描くのだろう。やっぱり森と湖なのだろうか。ポスター以外の予備知識は何もないまま、展覧会を見た。

 最初の何枚かの第一印象は、絵はそこそこうまいけれど凡庸で、この人はあるレベルから上には進めなかったのではないか、という思いだった。よく知られた一流の画家はみな個性が強く、特に若いころ描いた絵にはその萌芽が見える。この人の絵のレベルはそこまで行っていない。もう少し極限を目指して一歩踏みこんでほしいのに。リアリズムの画法から印象派を飛び越して20世紀らしい描き方へと変化しても、その印象はあまり変わらない。この人の絵には国籍がない。フィンランドらしい所などどこにもない。自分の国や民族に根差した絵を描けば、個性の確立がもっと楽にできるでしょうに、などと勝手なアドバイスを申し上げたくなる。
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 だがそのうちにふと気がついた。とてもさびしい絵を描く人だ。肖像画がたくさん並んでいたのだが、シャルフベックの描いたモデルは皆とてもさびしそうに見える。どうしたことだろう。セピアがかった色彩のせいなのだろうか。このさびしさがシャルフベックの描きたかったことなのだろうか。わたしは順路から離れ、会場の最初の所へ戻ってみた。最初の絵の画題はしゃれこうべ。次は雪原に取り残された兵士。この兵士は、絵の前景に大きく横たわっていて、遠くに行軍する兵士たちがみえる。この兵士たちは彼を迎えに来たのだろうか、そうではないだろう。仲間が彼を見捨てて立ち去ったのだ。兵士は銃剣を握りしめながら絶望し、自分の死が訪れるのを待っている。この兵士はきっとシャルフベック自身だ。彼女は自分自身を兵士になぞらえて描いたのだろうと思った。
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 可愛い女の子の絵がある。これは健康そうで無邪気で幸せそうな、本来あるべきはずの彼女の自画像。母親にしっかり抱きしめられる女の子や、お兄さんに面倒を見てもらっている女の子もシャルフベックその人。現実ではかなえられなかった望みを、画家になってから絵によって取り戻そうとしている。黒い扉の絵がある。扉の周りからは外の明るい光が漏れて入ってくるのに、扉は黒く重くてとても開きそうにない。これは彼女のための扉。開けることのできなかった彼女の人生の扉。・・・私は自分の空想が止まらなくなり、どんどん絵にひきこまれていった。
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 シャルフベックは3歳の時に階段から落ちて大けがをし、一生杖をつかなければいけないという後遺症を残したのだという。感じやすい小さな女の子には、あまりにも大きな試練だった。幸せは、同年代の友達と一緒に先へ行ってしまい、彼女はぽつんと一人取り残された。外で遊ぶこともできず力なくベットに横たわっている彼女。憐れんだ父親は彼女に紙とペンを贈った。彼女はつらい気持ちを描くことで紛らわしてきたのだろう。

 子供時代の彼女に愛情は十分注がれていたのかもしれないが、彼女は自分のことを一人ぼっちでさびしいと感じていたのではないだろうか。たぶん彼女は幸せを感じることが少なかった。展覧会で展示されていた彼女の写真や肖像画に、一枚として笑ったところがないので、そんなふうに思われたのかもしれない。多くの人の肖像画を描いても、それは皆さびしい彼女の心が投影されてしまって、いつのまにか他人の顔を借りた彼女のさびしい自画像になっていた気がする。彼女は社交家だったろうか。たぶんそんなことはなくて、一日中他人と口を利かない日が長く続いても耐えられた人だったのではないかと思う。たまに冗談を言って笑い転げることがあっても、子供の頃から心の底に沈んでいる寂しさが消えることのなかった人。

 彼女の男性に関するエピソードは、どこか現実感がない。風景画家であるイギリス人と婚約した話にしても、知り合ったのは絵画の勉強のための旅先であったし、交際期間は短くて、じっくりと考慮した結論とは言い難い。たった1通の手紙で結婚をあきらめたのだそうだが、人生の重大事をたった1通の手紙で簡単に諦められるものだろうか。衝撃ではあったろうが、どこかに、ああ、やっぱりそうなんだ、という得心があったのではないだろうか。不具で少しもきれいでない女を誰が選ぶものか、などと自虐的になって。

 50代で恋をした話にしても相手の男性はまだ30代半ばである。その思いをつづった言葉は切実ではあるものの愚かしくてみじめなのだが、それを一番わかっていたのは、もちろんシャルフベック自身のはずである。
「一人の子供のような存在の彼女は、自分にとって一番大事な人を誰かにとられたとき、大きな声で泣くのです」*
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 この人は子供の頃味わった、一人ぼっちで見捨てられた、そんな傷つけられたつらい気持ちを、生涯の間に幾度も繰り返して体験したのではないかと思う。まるで自らの心の古い傷を再びえぐって、血の涙を流すように。 

 カタログについていた年譜によれば、人生の後半はフィンランドの田舎に引きこもってしまい、同居していた母親が死んだあとは死ぬまでの長い間、一人暮らしをした。熱心な画商がついていたから金銭的に困ることはなかったのだろうけれど、お金が彼女にとっていったいどんな価値があったろう。彼女はただ絵を描きつづけることのみで、かろうじて生きていたように思える。さびしかったに違いない。他人と少しでもつながっていたかったから、肖像画を好んで描いたように思う。色彩は抑えられ、ひたすら虚飾を排し、相手の本質だけを描きだそうとするかのようだ。晩年は描きたいモデルもいなくなってしまったのか、自画像をたくさん描いている。それは自分からあらゆる虚飾を排していく作業であった。自分にとって必要でないものを削り落としていく。優しさも微笑みも、人間らしいところはおろか、自分の生命ですら虚飾であったと言わんばかりの自画像である。普通の人間は自分になにがしかの虚飾を持っていなければ、生きていくことができない。レンブラントの自画像にしても、シャルフベックに比べれば、まだまだ多くの虚飾を持っていたように思える。
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 灰白色の、ほとんど骸骨ともいえるようなうつろな表情の老女。鏡の中の自分がもうすぐ死ぬことを自覚しながら、キャンバスに向かい、死んでいく自分を毎日描きつづける。絵に完成が訪れた時、一体どんな思いで筆を置いたことだろう。人間はここまでできるものなのか。最後に救いはやってきたのか、こなかったのか。あまりの悲惨さに、私はこの最後の自画像をまともに見ることが出来なかった。

 彼女の人生は幸せなものだったのか。そうではないように思える。彼女の人生はつらいものであったのか。たぶんそうだ。では彼女は不幸だったのか。そうは言えないだろう。彼女は画家だ。絵を描きつづけることで長い人生を耐えた。そして彼女だけしか描けなかった深みを持つ絵を残した。ヘレン・シャルフベックの人生はすばらしいものだ。少なくとも絵を描きつづけていた限り、彼女が不幸であったはずがない。私は展覧会を見終わり、それから幾日もたったのに、ずっとシャルフベックのことばかり考え続けていた。

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 画家は夏の間、毎日同じ道を散歩した。それもきまった午後の夕方の時刻だった。朝から根を詰めてアトリエで絵を描き、昼過ぎには疲れてひとまず筆を置いた。クッキーをつまんでお茶を飲んで一息ついてもまだ陽は高い。そこで片手でスケッチ帳を抱え、もう一方の手で杖をついて出かけるのだが、それも年を取るにつれて億劫になってきていた。年月を経るうちにお気に入りの散歩道は決まってしまっていつも同じだったし、杖をつきながらの歩行は足の痛みがひどくなったせいですっかり遅くなっていた。誰かが後ろから追いつくと道の端によけてやり過ごす。そして腰かけるところを探してすぐに一休みした。空の色や雲の形、草木の緑や花、人々の姿。それらは毎日違っていて、同じ風景には決して見えなかった。少しでも気になるものがあれば、痛む方の足をさすりながらスケッチ帳を開き、しばらく鉛筆を走らせるのだった。
 
 夏は短かった。植物は芽をふくと同時に花を咲かせ、瞬く間に実や種をつけた。鳥は恋の歌を歌い、生まれたばかりの子供をひきつれる小動物を見かけた。道沿いに広がる野原にはたくさんのベリーの低木があって、枝々につけられる限りの果実を実らせていた。かつては画家もまたスケッチ帳の代わりにバケツやかごを持ってでかけ、普通の村人に混じって自然の恵みで山盛りいっぱいにして帰ってくることもあった。それを水で洗い鍋にかけ、ゆっくり煮て、時間をかけてジャムになったのを瓶に詰める。母親が生きていた頃の、そんなおしゃべりしながらの自家製ジャムづくりはそれなりに楽しかったのだが、ひとりになった今ではそんな作業をする気にもなれなかった。
 かつては人並みに行事があって変化に富んでいた生活も、今では絵を描くことしかなくなってしまっていた。一日中誰とも口をきかない単調な日々が続くと、気持ちはしだいに落ち込んでいった。キャンバスの前に座ったまま何をすることもできなくなり、時間だけがだらだらと過ぎていく。何のために描いているのか。何のために生きているのか。なにもかもおしまいにするべきではないのか。生きることに対する執着が薄れるにつれて、絵もまた生命力を失い始めていた。気のりしないまま無理に描いた絵がいいものになるはずはなく、かといって毎日の絵をやめるわけにもいかなかった。そんな作業を続ける日々は画家にとってつらいことだった。
 
 そんなある日のこと、散歩する画家の歩みはいつもに増して遅かった。長年悪い足をかばっていたよい方の脚にまで痛みを感じるようになり、最近では少し歩いては休まなくてはならなくなっていた。次第に遠出が出来なくなり、いつもの散歩道も途中で引き返すことが増え、そんな苦痛を感じながらの散歩ではスケッチもする気になれない。仕方なく1ページも描かないまま、その日の散歩を終えようと我が家にたどり着こうとしていた。よく晴れた、少し蒸し暑い日だった。アトリエのある画家の家は町のはずれの、野や林の中に家がぽつんぽつんと点在しているようなさびしい所にあった。

 見慣れない女の子が一人、道端の草むらにのなかにぽつんと立っていた。まだ小学校にも行っていないような背格好で、リボンのついた都会風のワンピース。手には小さな青いバケツを持って下を向いてしきりに何かを探している。どうしてなのかわからないが、そんな姿に懐かしさを覚えて画家は声をかけた。
「こんにちは。ベリーを探しているのでしょう?」
女の子はびっくりした様子で顔をあげた。
「そのへんにはないわ。こっちにいっぱいなっているところがあるの。ほらこのあたりよ。」
画家が手招きすると女の子は素直にやって来た。画家は足の痛みに少し唇を噛みながら、スケッチブックを道ばたに置くと茂みに足を踏み入れ、ベリーを一つ二つ摘んだ。そしてそばに寄って来た女の子のバケツの中にころころと入れてあげた。女の子はにっこりした。
「見てごらんなさい、いっぱいなっているでしょう。このあたりはブルーベリーが多いの。ほら、こっちの木はブラックベリーよ。おいしいのよ。」
画家はつんだばかりのブルーベリーを口に含んだ。あまずっぱい味が口の中に広がった。よく知っている味のはずなのに、それがとても懐かしいものに思えた。女の子も大粒の実を口に入れた。もぐもぐしながらすぐに次の粒を口に入れている。
「お口から汁をたらさないのよ。服に色がついてしまうわ。」かまわず女の子がベリーを口にするので、画家は笑いながら自分のハンカチを出し、広げて女の子のえりくちから前掛けのように下げてやった。
「ここに来たのは初めてでしょう。お名前はなんていうの?」
「エレン」
「まあ、おばさんはヘレンよ。私達よく似た名前ね。おうちはどこ?」
女の子は振り返って少し離れた所にある小さな家を指さした。空色の、多分避暑のためのこじんまりした家で、窓には新しくカーテンがかかっている気がする。
「まあエレン、おばさんとご近所ね。よろしくね。」
女の子は満面の笑みを浮かべて答えた。
「よろちくね」
二人は笑い合った。二人でベリーを摘み、バケツに入れ、一部は口の中に入れた。小さなバケツはたちまちいっぱいになった。
「さあこれで今日はお終いね。おうちに帰りましょう。おばさんが送っていってあげるわ、エレン」
画家はぶらさげたハンカチで女の子の口をふいてやり、ベリーの汁が服についていないか調べた。
「さあこれで大丈夫。」
「これでだいちょうぶ」
 二人は笑い、手をつないでその小さな家へと向かった。画家にとって他人の暖かい手を握ったのは久しぶりだった。歩きながらふと、自分にもこんな子供を持つ人生もあり得たのではないか、と思った。もしもあの時、もっとちがう言葉を口にして、もっと思い切った行動に出ていたら、また違う人生の道が自分の目の前に開けてきたのかもしれない。そしてこういう風にして、自分の子供の手を握っていたのかもしれない。・・・

 急に女の子は手を振りほどいて走り出し、ベリーで満載のバケツを持ったままその先にあった水色の家のドアの所まで行った。扉を開けると画家の方に振り返って手を振り、すぐ中に消えた。画家もあわてて手を振ったが、それは女の子が見えなくなってしまった後のことであった。しばらく佇んだ後、画家は自分の家へと帰っていった。


 次の日、ほぼ同じ時刻に画家が散歩から戻ってくると、女の子がからの青いバケツを持って、道端に立っていた。画家を待っているようだった。画家を見つけると、走ってそばにやって来た。
「ヘレン、こんいちは。」
「こんにちはエレン、今日も一人で遊んでいるの?」
「おかあさんいそがしいから。」
「まあそうなの。引っ越してきたばかりですものね。」
「ヘレンのおうちはどこ?」
「すぐそばよ。小さなお庭があるわ。遊びに来る?」
「うん」

 二人はそこからほんの目の先にある画家の家に向かって歩いて行った。
道の脇に庭が開けていて、画家の小さな家が建っている。アトリエのある部屋の窓は光を調節するためのカーテンで閉じられている。家の前には木のテーブルとベンチがあり、母がまだ存命であった時にはここで二人でよくお茶をしたものだった。今では枯葉がつもってほこりだらけになっていたし、そのまわりは雑草が好き勝手に茂って庭は荒れていた。
「この辺で待っていてね、すぐに用意をするわ。」
画家は急いで家の中に入り、ほうきや雑巾やらの掃除道具を持って現れた。手際よくベンチとテーブルをきれいにすると、女の子を抱き上げてベンチに座らせた。
「待っていられるかしら。そのスケッチ帳に好きな絵を描いていてもいいわ」
そうして自分のスケッチ帳をわたす。女の子は珍しそうにページをめくりはじめた。

その間に家に戻ると湯を沸かす準備をし、ティーポットに茶を入れる。クッキーの袋と白い皿に、クリーム色のテーブルクロスと持ってテーブルの所に行く。
「何か描いてみたの?」
ヘレンは顔をあげ、物問いたげな顔で画家を見る。画家はテーブルクロスを広げて皿を置き、クッキーを並べながらやっと気付く。
「あらごめんなさい、鉛筆がなかったわね。なければ描けないわ。」
エレンは笑って、答えた。
「ヘレンは絵をかくの?」
「ええ、描いているわ。毎日ね。」
「なぜ?」
「それは私が画家だからよ。私は絵を描く人なの。」
「絵がじょーずだから?」
「ううん、そうじゃない、絵を描くのが好きだからよ。ただそれだけ。」
「ふうん」
「私がちょうどエレンくらいの年のころ、絵を描きはじめたの。病気で、他にすることがなかったから。」
エレンはクッキーに手を伸ばし、食べ始めた。ぽろぽろと口元からクッキーの破片が転げ落ちる。
「おいしい?」
「おししい。」
「ちょっと待っててね。」

 今度は画家は家の中からティーポットとカップをもってあらわれ、カップ2つにお茶を入れる。それに砂糖のかけら。湯の温度が十分に下がっていることをカップの手触りで確かめて、カップをエレンの前に置いた。エレンはカップを手に取り、口をつけて少しずつ飲んでいる。スケッチ帳をめくり、その上に鉛筆を転がして遊んでいる。画家はその様子をじっと見ていた。
「エレン、私あなたの絵を描いてみたくなったの。描いてもいいかしら。」
「いいよ。」
しばらくのち画家はスケッチ帳を手にし、少女のスケッチを始めた。


 次の日、画家が久しぶりに庭の掃除をしているところに、エレンはやって来た。エレンは草刈りのあとの庭を歩き回り、庭の花を、色あせて枯れかけたものまで摘んでいる。それをエレンのために用意したテーブルの上の白い紙の上に並べて遊びだした。そのわきには数本の色鉛筆が用意してある。
「あなたも絵を描いてみるといいわ。」
画家はエレンの手にその中の赤い色鉛筆をもたせてやった。
「なんでも、すきなものをかいてね。」
エレンはしばらく考えているふうであったが、そのうち鉛筆を人に見立てての人形ごっこを始めた。野の花の横たわる紙の上を、赤や青やらの色鉛筆で歩き回らせている。

 少女を見つめる画家の目が光を帯びはじめた。画家はそんな少女のしぐさをじっと見つめ、そして素早くスケッチしていく。エレンはじっとしていることが出来ないので髪の毛や鼻や耳などの一部を描くのがやっとだった。それも描き終わらないうちに画家はそこに新しい表情を発見して、また同じところのスケッチをしなおすのだった。

 次の日も、そしてまた次の日もエレンは画家の家に遊びに来た。家の中に入れてもらって、あちこちを見てまわり、その後は画家の前に座っておとなしく遊んでいくのだった。画家はスケッチを元にしてエレンの肖像画を小型のキャンバスに描きだしていた。久しぶりに絵筆は迷いなくのびのびと動き、子供の持つ愛らしさとあどけなさと、どこか懐かしい感じまでもうまく表現することが出来た。

 絵は完成した。絵の中のエレンは楽しそうに微笑んでこちらを見ている。満足げに絵をながめ、画家はお菓子やおもちゃを準備して待っていたのだが、その日暮れるまでエレンはやってこなかった。1日、2日と画家は待った。それでもやってこない。どうしたのだろう、風邪でもひいたのか、けがをして動けなくなったのではないだろうか。それとも家族みんなと町に帰っていったのか。エレンが来なくなると1日がとてもさびしくて仕事が手につかず、画家は落ち着かなかった。そこで手元にあった額縁を選んで肖像画を装丁し、それを持って思い切ってエレンの家を訪ねてみることにした。

 エレンの家は最近きれいに手入れされたばかりで、外壁の板張りもきれいな空色でむらなくぬられている。窓が大きく開かれて、白い窓枠には薄緑のカーテンがゆれている。庭先もきれいに手入れされていて、小さな花壇には可愛らしい花が咲き、玄関までのアプローチの石だたみには落ち葉もなくきれいに掃除されていた。画家は玄関の扉をノックした。何度かノックするとひげを蓄えた、若い男が出てきた。
「こんにちは。隣に住んでいる画家のヘレンです。最近お嬢さんが毎日私のところに遊びに来てくれていたのですが、急に来なくなって。・・・その、病気にもなったのではないかと思いまして。」
男は眉間にしわを寄せ、怪訝な顔をしてじっと画家の顔を見ている。
「いえ、その、お嬢さんの肖像画を描かせていただいたのです。出来上がったものですから持ってきました。まだ絵具も乾いていないんですよ。」
画家は持ってきた絵を男に見せた。男は画家の顔から絵の方へ視線をずらした。そのとたん男は眼を大きく見開らき、ついで震える手を絵へゆっくりのばし、少し開いた口から絞るように声を出した。
「エレン、エレン・・・」
「どうしたのですか。」
「エレンがここにいる、どうしてなんだ、どうしてエレンがここにいるんだ」
「エレンに何かあったのですか。」
「どうにもこうにも。待っていてください、今妻を呼んできますから。」
あわてた様子で男は奥に入り、ひとりの女性をひっぱるように連れてきた。青い顔の、表情の暗い若い女だった。
「見てごらん、エレンだ、エレンがここにいる。」
女は絵を見た。そのとたん凍りついたように体の動きがすべて止まり、そのまま気を失なって倒れるかと思われるほどだった。大きく見開かれた女の目から涙がひとしずく、ひとしずくと落ちた。
画家は恐ろしく不安になり、叫ぶようにたずねた。
「いったいどうしたのですか、エレンになにがあったのですか?」
しばらくの沈黙の後、髭の男は小さな声で言った。
「・・・エレンは私たちの子供でした。2年ほど前、踏み外して階段をころげ落ち、長く患った後、死にました。」

 画家の胸に鋭い痛みが走った。体から力が抜け、口がかわき、顎がかくかく動くのだが言葉にはならなかった。
「どうぞ中へお入りください。お話を聞かせてください。」
倒れそうになるのを男に支えられ、画家は居間に通された。肖像画をテーブルの上に置き、夫婦と向かい合って椅子に座った。昼の光のさしこむ、明るい部屋であった。飾り棚の上には子供の写真が飾ってあった。あの小さな青いバケツもそこにあって、ベリーが山盛りにはいっている。
「まだ元気なころのエレンです。」
男が写真を手に取って画家の目の前に置いた。遊びに来ていたエレンより少し幼いように見えるが、エレンが花束を抱えてこちらに笑いかけていた。
「ええ、たしかに」
「信じられません。エレンとお会いになったのですか。」
「ええ」
「いったいどこで」
「すぐその先の道ばたで。あの青いバケツをもって立っていたのです。」
「元気そうにしていましたか」男の妻が尋ねた
「ええ、とても元気でした。」
画家はエレンに出会ってからの話を二人にゆっくり語って聞かせた。若い夫婦は身を乗り出して画家をじっと見つめ、一言も聞きもらすまいと聞いていた。
「・・・そして、絵は出来上がりました。それで今日お持ちしたのです。・・・」

 突然妻が立ち上がった。「エレンはいるのね、近くにいるのね。」
そう言うと家の外へと走って出ていった。2人はあわててそれを追いかけた。
道まで出ると妻は大声で叫んだ。
「エレン、出ていらっしゃい、お母さんよ、エレン、」
妻は髪の毛を振り乱し、ベリーの茂みへと足を踏み入れた。
「お願い、出てきてエレン、お母さんは待っているのよ、かくれんぼはもうおしまいなのよ、エレン、出てきて、お願い、」
妻の眼から涙が幾筋も流れ落ちていた。そして子供の名前を叫びながらふらつきながら歩きまわった。そんな半狂乱になっている妻を男は抱きとめた。
「家へ帰ろう、エレンは帰ってきたんだよ。この人が連れて帰ってきてくれたんだよ。」

 3人は水色の家の中に戻った。
泣きやまない妻と呆然と座り込んでいる男に向かって画家は言った。
「私は確かにお嬢さんとお会いしました。私はこの目で御嬢さんを見て、描いたのです。御嬢さんはいらっしゃいます。今ここにいらっしゃいます。」
「本当に、そう思いますか。」
「ええもちろんです。この肖像画はさしあげます。」
「よろしいのでしょうか。」
「御嬢さんは自分の肖像画をここに飾ってほしくて、画家である私のところに現れたのだと思います。御嬢さんはあなた方お二人に見守っていてほしいのです。ですからこの絵は、この家にあるべきです。」
「ありがとうございます。なんてお礼を申し上げたらいいのか。」
「どうかもうそんなに悲しまないで。エレンも泣いてしまいますよ。」
「そうね、そうよね、わたしたち泣きやまなてはね。」


 画家は家に帰り考えた。あの女の子と私は同じ運命に見舞われた。同じ経験をしていたから、私にあの子がみえたのではないかしら。きっとあの子が、私の中で悲しんでいる子供時代の私を見つけたのにちがいない。いいえ、そうじゃないかもしれない。もしかしたら、一人ぼっちだった子供の時の私がエレンの姿を借りて、私のところに来てくれたのかもしれない。悲しんでばかりいないで元気を出すようにって。ええ、きっとそうよ。私はひとりで生きて来たんじゃない。エレンに両親がいたように、私にも両親やそのほかのたくさんの人がいて、そう言う人たちに私は支えられ、見まもられていた。私はひとりぼっちだったのじゃない、多くの人たちとともに生きてきた。年取った今、ひとりきりになったように見えるけれど、死んだ私の母さんも、私より先に死んでしまったたくさんの人たちも、今生きている人達だって、ずっと私のそばに居てくれる。

 あしたは久しぶりにケーキでも焼いてみよう。ベリーのジャムを添えてあの夫婦の所へ持っていこう。そして3人でケーキを食べて、お茶を飲んで、それからおしゃべりをしてみる。時々エレンの肖像画を見ながらね。あの泣いてばかりいた奥さんは笑ってくれるかしら。涙と鼻水でひどい顔だったけれど、微笑むところを見てみたい。きっと素敵よ。まるで絵に描いたように。

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*ヘレン・シャルフベック―――魂のまなざし (展覧会カタログ) p67 求龍堂2015

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