ジャン・シメオン・シャルダン その2


 (その1からの続き)

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 さあうまくいったぞ。簡単なもんだ。これで今夜も楽しめる。ちょっと金額は少ないが、まあいいだろう。これだけあれば、芝居を見て、飲んで、カードをやって、今夜こそ一山あてるぞ。仮面をつけてしまえば完璧さ。俺はなんだってできる。なんだってやってみせる。
 まったく女というものはバカだ。こちらが大胆にふるまえば大胆な人間だと思う。誠意があるようにふるまえば、誠意ある人間だと思う。利用されているのをうすうす気づいていても、どうすることもできないのだからな。とくにまともな生活への未練がある若い娼婦などは、偽りの愛しか知らないから、真実の愛だと信じ込ませればこっちのものだ。無理難題でもたいていのことは何とかする。バカだな。特にあいつは本当のバカだな。この俺にだまされるなんて。いい体をしているんだが、頭の方はどうしようもないな。それに比べて貴族や商家の女ときたら。いくら心を込めて愛の言葉をささやいても、結局は相手が金を持っているか持っていないか、大切なのはそっちの方だ。どっちがまともなのかわかりはしない。

 俺はフランスからの絵画特待留学生だ。有名な画家のダメ息子、財産がいくらでも手に入る放蕩児、ということになっている。とっととくたばりやがれ、本当の俺はそんな奴じゃない。ここでは何にでもなれる。なんでも希望がかなう。それがこの町、明るく華やで、お祭り騒ぎがいつまでも続く町、すべてのしがらみから自由な町、すべての快楽を味わえる町、ヴェネチアだ。ここはヴェネチアなのだ。かた苦しいパリとはわけが違う。ここで俺は有名な画家になる。嘘じゃない。すでに大作を描く準備がしてある。イーゼルには白いキャンバスがあり、描く内容は決まっている。聖母子だ。ごつごつとした岩場があり岩の隙間から草が生えて花をつけている。聖母子の足元には羊が眠っている。空は青く、青いガウンのマリアはわが子を抱いて穏やかな顔をしている。しかし問題はここからだ。具体的に描き出すのは画家の絵筆だ。線ひとつ、色の選び方一つで全体がぶち壊しになる。俺は幾度も下絵を描いたのだが、どうしても気に入らなかった。完璧主義だからな。だから俺は、その答えを探してこの水の都にまでやって来た。問題ははっきりとしてきている。目途はついた。もうすぐ描きはじめることが出来る。それが出来上がってみろ。畢生の大傑作だ。あらゆる人が俺の絵の前で感嘆の声をあげるだろう。見ろ、ピエール・シャルダンの聖母子像だ。素晴らしいじゃないか。あのマリアのしぐさを見てごらん。色の使い方がすごいじゃないか。たしか、この画家の父親はつまらない台所の絵なんかを描いていたな。親より子供の絵の方がずっといいぞ。

 ゴンドラが来た。今日はこいつで乗り込むことにしよう。おい船頭、いつもの劇場まで頼む。今夜は一世一代の大勝負だ。これからの自分の運命を占うのだ。わくわくして、身震いする。人生は楽しまなくっちゃな。こんな気持ちはおやじには解かるまい。頭の固いコチコチおやじめ、賭け事なんか怖くてできないだろう。真面目一筋、間違いがこれっぽっちもない人生なんて、何が面白いのだ?何の価値もない台所の絵なんかを描いていて、注文された金になる仕事は、興味がなければお座なりの仕事にしてしまう。興味があるのは物の方ばかり。コップ、ポット、皿、鍋、給水器。なんなのだ、物に対するあの異常な執着は。お母さんの遺品の時だってそうだ。俺から横取りまでして。全部一人占めしようってたってそうはさせない。俺は断固として戦ったんだ。妹が生きていれば一緒に戦ってくれただろう。でも妹は早くに死んでしまってよく覚えていない。実はお母さんのことも、俺が子供のころ死んだので、よく覚えていない。俺の記憶にあるのは、静かにお茶を飲んでいる母さんだ。黒いショールを身に着けて、お茶をスプーンでかきまわしながら、じっと座ってしていらした。午後の傾いた日の光がさしこんで、お茶から立ち上る湯気が見えた。それは俺の記憶だったはずなのに、親父はそれまで横取りした。思い出を話したのがいけなかったんだ。
 母さんが死んでしばらくは二人の生活だった。ところがあるとき、親父は見知らぬ女を家の中にひきいれた。女と話すときは猫なで声だったくせに、俺にはきびしく言った。この人がおまえの新しいおかあさんだよ。お母さんの言うことをよく聞きなさい。冗談じゃない、そんなことはとうてい受け入れられない。あの女はわがままでやりたい放題だった。母親面をして家の中をめちゃめちゃにして、汚い手でお母さんの大切な遺品をさわった。俺は断じて許さない。
おやじは右往左往するばかりで、なにもできなかった。面白くない俺の気分を察してか、罪滅ぼしにローマ大賞の審査に提出する俺の手助けをした。あれはやってはいけない事だったんだ。審査する側のものが審査対象に手心を加えるなどということは。そんなことをして無理して大賞を取っても、結局それにどんな意味があったというのだ?


「旦那さん、着きましたよ」
「おう、ありがとうよ。」
気前よくチップをはずむっていうのは気持ちがいいものだ。すがすがしい気分だ。この劇場には昔はよく来た。オペラっていうものを初めて見たのがここだ。だいぶにぎやかだな、もう始まっているな。今晩の出し物は何かね。え?「愛、憎しみと後悔」だって?まあそんなことはどうだっていい。歌手は誰だ、カストラートは誰が出ている、ファリネッリか、カッファレッリか、え?カッファレッリの方か。まあ、いいじゃないか。出番は、まだだな、どうやら間に合ったようだ。劇場への客の入りは、まあまあのほうだ。あいかわらずみんなおしゃべりに熱中して、舞台なんぞそっちのけで飲んで食って騒いで、活気があってたいへんよろしい。落ち込んでいるときにはここに来るのがいちばんだな。カッファレッリの歌を聞けば、誰だってウキウキしてくる。人生は楽しまなくちゃいけない。おい飲むものを、なにがある?ああ、まずはワインだ、それでいい。ところで今うたっているのは誰だ?知らない名前だな、どこの小娘?下手だな。あれでよく雇ってもらえたな。カッファレッリの方が断然いい。お前はカッファレッリを知っているのか。知らない?田舎者だな。おまえヴェネチアに来てどのくらいになる?なんだ、旅行者か。これは失敬した。このオペラの話の筋がわからないですかな?ここでは誰もそんなものは気にしてませんよ。どうせ目茶苦茶なんだから。サンタンジェロ劇場には行かれましたかな。まだ?それではぜひ行かれるといい。こちらとはまた違っていてあちらはあちらで面白い。ヴェネチアの娘たちはいかがでしたかな。お楽しみはこれから?とんだおみやげをもらわないように、お気を付けて。

 あいつを拾ったのもここだったな。歌を聞きに来たのじゃないことはすぐわかる。ちょっと話しただけで見当がついたね。思った通りの娼婦だった。若くて、うぶで、というかバカで、だまされやすい。体はすごくよくて、町に出ればちゃんと稼いでくるし、気に入ったね。俺は一流の画家だ、今は休暇に来ている、大作を描きはじめた所だ。そんな人の話を真に受けて信じていたら、商売にならないだろうに。かわいいところもあるんだよな。

おや、舞台にかかるあの書割には見覚えがある。だいぶ傷んではいるが、もとはと言えばあの木と雲はおれが描いた。どうだ、ローマ大賞の画家の腕前は。ずいぶんと使いまわしたじゃないか。補修したのはいいが、あんな色を上に塗られたんじゃ、俺の絵が台無しだな。あのころはここまで落ちぶれたのかと、俺は恥ずかしいし情けないし描く手が震えたものだ。おまけに報酬はほんの少しだった。一晩飲んでおしまいさ。でもカネはカネでしかないことがよくわかった。どんな立派な仕事をしていても、それがカネになればおんなじだ。今は絵であろうがなんであろうがなんだってやる。ゴミ掃除でも太鼓持ちでもかまうものか。先のことは考えず、有りガネは一晩で使い切る。明日のことはは明日考える。今をただおもしろおかしく生きていければいいのさ。そうさ、それが俺の主義さ。親父と俺とは違うんだ。あんたからの送金だけではこの俺はひからびちまう。こっちは修道院じゃないんだ。何かと入用なものがたくさんあるんだ。絵を描くしか能がないあんたとはわけが違う。くそ、親父の絵か。

 おお、カッファレッリが出てきた、聞こう、静かにしろ、ちょっとおしゃべりはお預けだ。いいぞ、いいぞカッファレッリ、ブラボー、七色の大根役者!おい聞いたか今の。すごい歌いまわしじゃないか。やはり当代随一だな。
なんだうるさいな、いったい誰だ、さっきから俺の袖を引くやつは。俺に何の用だ。あ、まずい、借金取りだ。・・・いや、返すカネはない。お前に返すカネはないと言っている。そうじゃない、今は持っていないという意味だ。ちょうど注文が入って、肖像画を一枚描いているところだ。完成してカネが入ったら真っ先に払う。いや今日は本当にカネを持っていないんだよ、いくら言われても同じだ。カネはない。じゃ、あばよ。いや、待たないよ、カネは今度払うからよ。

 くそ、こんなところで走って逃げる羽目になるなんて。仮面をつけてもあれだけ騒げば誰だかまるわかりだしな。しかしどうしてあんなところにあいつがいるんだ。劇場内で借金を取りもどそうなんて、逃げられるに決まっているじゃないか。借金とるにしても、もっと気を利かせろっていうんだ。おかげでカンファレッリの歌を聞きそびれたじゃないか。

 俺はいつだってそうだった。ずっと逃げてばっかりだった。学ぶこと、絵を描くこと、努力すること、それに親父からもな。しかしまじめにやったって、どれだけ認められるっていうんだ?ここヴェネチアで肖像画を描いていたというのはあながち嘘じゃない。ある画家の下請けで、肖像画の背景を描いた。建物とか、空とか、草木を描いた。その中心にその画家が人物を描くわけだが、ときには俺が人物の衣装とか、顔までも描くことがあった。売れっ子とはいえ人間の腐ったその画家は、顔にちょっと修正の筆を入れ、自分のサインを入れる。ほとんどは俺が描いたのにもかかわらず、だ。報酬のほとんどは自分の懐に入れて、俺はおこぼれの駄賃にあずかる。そんな仕事のために俺はぺこぺこ頭をさげ、おべっか使い、画家の顔色をうかがう。このローマ大賞を取ったこの俺がだ。まじめにやって、誠心誠意努力して、何だこの駄賃は。だから俺は逃げるんだ。逃げてどこが悪い、悪いのはあいつらだ。

 ああだけどな。おれは一枚の絵を見ちまったんだ。そんな貴族の家の中でな。大して大きな絵じゃない。台所の隅を描いた絵だ。銅の鍋と陶器、3つの卵とねぎ1本、それに胡椒入れ。親父の絵だ。なんであんなところに飾ってあったのだろう、装飾の付いた柱や天井、白黒のチェックの床板、壁には華麗なローマ神話や肖像画が所狭しとかけてあった贅沢な作りの部屋の中、その中の親父の小さくて地味な絵。おれはしかししばらくそこから目を離せなかった。他の絵とは全く違う。見れば見るほど、ここに鍋があり、卵がある。その、ある、という感覚が強くなってくる。それに比べたら、他の絵は単なる絵空事にしか過ぎない。

 それからというもの、あの絵が気になって仕方がない。あの絵はほかの絵とは全く違う。いったいあの絵は何なのだ。もともと絵画とは精神を高みへと導くもの、神の言葉を理解し、神の王国に近づくことに他ならない。親父のように目の前にある醜いものを絵の題材にするなどということは、絵画芸術に対する冒涜だ。なのになぜなのだ。堂々と居並ぶ宗教画や神話画が嘘の世界で、あの絵の中にある鍋や胡椒入れの方が真実の世界だと、俺には思えてくる。絵のあった貴族の邸宅も目の前にある運河も、ヴェネチアという都市さえもが架空であって、親父の一枚の小さな絵の方が本物だと思えてくる。いったいなぜなのだ。

 さあいよいよこれから大勝負だ。今日俺はすべてを賭ける。俺の人生、俺の未来、ひっくるめて全部を賭けようっていうんだ。そのためにあらん限りの手管を弄して、女からカネを巻き上げたんだ。場末の賭け場、知る人ぞ知る場所だ。ここに入ったら最後、天国に行くか地獄に落ちるか、神のみぞ知る、だ。

 おい、ひさしぶりだな、今日は金がある。ほらな。仲間に入れてくれ、手始めの俺の掛け金はこれだ。まあそう言うな。ぼちぼちやっていこう。ほほういいカードだな。なかなかくせがある。まあいいだろう。普通にやろう、おっとその左手はどこに行ったのかな。ずるいことはなしにしろよな。次のおれのカードはと。いいぞ。さっさとやってくれ。次のカード、そら来た。来たぞ来たぞ。いいところまで来た、もう一手で。・・・えー、それでそろったのかよ。せこいあがりだな。おまえ人間が小さいぞ。

 仮面をつければ自分は自分でなくなる。そして自分を見失なう。ここで賭博にはまって、すべてを失った貴族などいくらでもいる。男はカネが無くなればそこで終わりになる。だが女には終わりはない。まあ、あれと同じだな。女はカネをすってしまうと、伯爵夫人であろうが小間物屋の娘であろうが、賭博場の壁ぎわに立っていればいい。仮面をつけていれば誰だかは知らないふりを通すのがここの礼儀だ。男達がやってきて交渉が始まり、一番の額を示した者と別室でのお楽しみとなる。難点は女が早く済ませたがることだ。女はカネをつかむとその足で賭博場に取って返す。またすってしまえば壁ぎわに立つ。だから女は永遠に賭博場から足を洗えない。本職の娼婦の方はいい迷惑だ。だってそうだろう?ヴェネチアの女はみんな娼婦だからだ。ヴェネチアでは子供の父親の詮索はするだけ野暮だ。母親が結婚していればその夫の子で、結婚してなければ町の子として養育院に預けられる。俺にも子供がいるかもしれないが、俺にも母親にもわからないだろう。

 くそう、今日はついていない。運命の女神に見放されたな。みんなすっちまった。さあどうする、ピエール・シャルダン。いつもならここで終わりだが、今日は違う。俺は仮面をはずすぞ。
「俺は画家だ、ローマ大賞の画家だ。俺の手元にある画材一式、高価な絵の具、絵筆、キャンバス、そのほか俺の全財産。それをかけよう。嘘じゃない。」
「あなた、それはだめだ、口先で言うことなら誰だってできる。現金で賭けるのがここの最低のルールだ。」
そこに声をかけた男がいる。仮面をつけたまま。だからそいつの名前を言うわけにはいかない。
「いや待て。俺はお前を知っているぞ、ピエール・シャルダン。確かにあんたは画家の端くれだ。俺は知っているぞ、お前が傑作を書くと言って後生大事に持っていた絵具一式をな。あれを賭けようというのか、お前の全財産だろう 魂を売るというわけだな。面白い。俺は悪魔としてそれを買うことにしよう。これでどうだ。」
そいつは財布から金を取り出した。はした金だ。
「たったそれだけか、ラピスラズリもあるのだからな、もっと価値があるはずだ。」
「いいや、お前はラピスラズリを持っていない。そんな高価な絵の具はとうの昔に売り払ってしまっている。今手元にあるのは安物の不揃いの絵の具ばかり。おまけに後生大事に持っていたキャンパスも売りとばしたろう。所詮、お前の魂の値段はこんなもんだ。これ以上はびた一文出せない」
「・・・仕方がない、まあいいだろう。」
「では証文を書け。悪魔には契約書が必要なんだ。」

 ・・・そしてゲームは終わった。結局こうなるのは最初から分かっていた。カネをつかむと見境が無くなって、とことんカードにつぎこむ。それですべてをすってしまう。お決まりのことだ。ときには勝つこともあったんだが。・・・仕方がない、外へ出よう。俺は負けたんだ。

 ああ、とうとう逃げられなかった。このヴェネチアまで逃げてきたのに、ついにここでつかまってしまったとはな。親父よ、結局正しいのはあんたの方だった。あんたの台所の絵を見ていればわかる。そこにあるのは手でさわることのできる確かな現実の世界。質素で、堅実で、正直で。まさに親父の生き方そのものだ。それに比べてここヴェネチアは虚構の世界だ。遊びであり、快楽であり、仮面なのだ。この都市は親父の絵とはまったく逆の世界だ。おれはヴェネチアまでにげてきた。親父から一番遠い世界にな。ここまで逃げれば、親父の力は及んでこないと思っていた。逃げられたはずだったんだが、ついに俺は捕まった。そしてこの嘘に満ちた俺の人生は粉々になった。あんたの絵は、あんたの息子にとどめをさしたんだよ。

 だいたいおやじはやり方が汚かった。俺を思い通りにしようとして、俺が自ら画家の道を選ぶよう仕向けた。決して画家になれ、などとは言わない。そう匂わすんだ。俺が描いたものはみんな褒めた。つまらない落書きも、単に線を引いたただけでも。俺のことはなんでも褒めた。俺が一枚絵を描きあげたりすると手放しの喜びようだった。見ろ、息子のピエールが絵を描いたぞ。どうだ、いい素質があるじゃないか。いい子だ、いい子だ、将来が楽しみだな。

 多分この放蕩息子は、このヴェネチアで死ぬことが一番ふさわしい。結局俺は才能のないくだらない人間だった。満足のいく絵を一枚も完成させることが出来なかった。それに気が付くのに随分と時間がかかった。親父よ、俺の負けだ。あんたと違い、俺には才能の切れ端もなかった。あんたは優しすぎたんだよ。息子に才能がないことを知っていたくせに、褒めるべきじゃなかった。あなたがやるべきことは、俺に絵を描かせることではなく、お前には才能がないと蹴落とすことだったんだ。俺は家具職人にでもなればよかった。派手なこととは縁のない、地道な人生を歩んでいればよかった。

 娼婦とはいえ、あの女には悪いことをしたな。だましてさんざん利用したのだからな。俺が死んだ後、悲しんでくれるのかな。思えば素直でかわいい女だった。二人でつつましく生きていくという手もあったんだが。ユリア、こんなだめな俺を愛してくれて、ありがとうな。

 静かな夜だ。浮かれ騒ぐ客を乗せたゴンドラが過ぎていく。歌声に軽薄な笑い声。何も知らない幸せなやつらめ、いつまでも浮かれ騒いでいるがいい。この町は滅んでいく。おまえらが気が付いた時には、もう手遅れなのだ。・・・ゴンドラは行ってしまった。水音も消えて、静かになった。もうすぐ夜明けなのかもしれない。
生きることには飽きた。もう遅すぎる。俺の人生は、まるでカードのお城が崩れるように、終わったんだ。ヴェネチア、ヴェネチアの運河。この運河は、この町に巨万の富が積まれるのを見てきた。今はただ没落してゆっくり腐っていく町を写しているだけだ。いつかは海の底に沈む栄光の記憶。このヴェネチアの運河の底こそ、俺の墓場にはふさわしい。
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      左ルーブル、右デトロイト美術館 板絵 17×21cm

 人をだました?とんでもない。僕は模写をしていただけですよ。ミケランジェロ、ティチアーノ、ラファエロ、デューラー。みなすばらしい偉大な先人たちだ。後から生まれたものにとって手本にすべき画家たちです。そこから学ぶことが何故悪いのですか?ただそれだけのことです。それを勝手に真作だと言いふらして売り買いしたやつが悪い。僕は何も悪いことはしていません。

 イタリアには昔から多くの旅行客がいらっしゃる。みなさんイタリアにあこがれて、新たな見聞を広げようと期待していらっしゃる。そんなお客さんたちを、おみやげもなく手ぶらで返すわけにはいきませんでしょう。その中には大金持ちで美術の好きな方もたくさんいらっしゃいます。買い手は多くいてお金をちらつかせて絵をほしがっているのに、オリジナルの美術品の数は限られている。大家の作品などめったに手に入るものじゃないことは、少し考えれば誰にでもわかります。それがようやく手に入ったと有頂天になっておいて、後から贋作じゃないかってお怒りになる。頭を冷やしてください。それは単なる模写なんです。もしくは大家が描いたであろう絵画の、想像図。そんなものに騙される方が馬鹿なのにきまっているじゃないですか。そうでしょう?

 今までどれだけ描いたかって?僕の名前のサインが入っている僕の絵のことですか?ああ、そんなものには興味ありませんね。他人の名前のサインになっている絵の方ですね。さあ、どれだけ描きましたでしょうか。スケッチやデッサンを含めると見当がつきませんね。本格的な油絵でしたら、100枚どころではありませんな。数えることなんかできません。まあそれでも古いキャンバスを使ってその上に絵具を乗せて、そのうえ出来がよかったものとなれば、思い出してみればせいぜい10枚くらいでしょうか。でもその10枚は傑作ですよ。本物かどうかを見分けるのは並大抵のことではないでしょうな。僕だってもう区別がつかなくなっているかもしれないしね。そのうち幾枚かはお偉いさんのコレクションに堂々と飾られていて、ほほえましい限りです。

 この商売をいつごろから始めたかになると、それは未成年のころからだったということになります。僕は小さい頃から絵をかくのが好きでしてね。地面や壁に、そのうち石板をもらってそこに描きました。家、花、猫、家族の顔。近くのローマの廃墟にはスケッチブックを片手に持った人たちがたくさん来ていました。そして白い紙にまるで魔法のように風景を写し取っていく。中には描いたスケッチを道端で売っているのもいる。すごいと思ったね。そんな素人画家の中に気のいい優しいおじさんがいてね。僕に絵を描くときの手ほどきをしてくれた。でも教えると言ったほどのものじゃない。自分が描いた絵をお手本として渡して、それをそのまま写してみろ、と言った程度のものだったね。手本と同じように描けると褒めてくれたが、ちょっとでも自分で工夫して描くと、それはだめだと言われた。絵はそれでよくなったと思ったんだけれどもね。そんな程度の素人教育でも、僕は嬉しくてね。たちまち観光客相手のみやげ用の絵ぐらいならかけるようになった。そのうちそのおじさんから離れて独立し、自分で遺跡をスケッチして、自分で売るようになった。おじさんの商売の邪魔にならないように、遠く離れた地区でね。自分なりの努力を重ねて、人物を描くことも覚えた。どうも僕には素質があったんだね。お客さんの似顔絵を描き、その周りに簡単に遺跡を描くと、それがなかなかの人気でした。

 あるとき、観光客相手に絵をかいていたら、わきの方から僕の手元をじっとのぞきこんでいる人がいた。立派な身なりで、恰幅のいいにこやかで人だった。まあ、それが結局親方だったわけだが、絵がひと段落すると僕にいろいろ話しかけてきた。え、その人の名前?さて何と言ったかな。レオナルド、だったかな。そのレオナルド親方は僕の絵を誉めてから、もっと身入りのいい仕事があるから、一緒に働かないか、と言うんだ。お客とのやり取りで、僕の稼ぎを知っていたんだね、少なくとも今の収入は倍になる、と言った。働きによってはもっとかせげる、と。言い方は丁寧で悪い人とは思えなかったし、いい話だったから僕は親方についていくことにした。

 そこはローマの町中の、古い建物が入り組んだ通りで、そのなかでもありふれた白い2階建ての家でした。今は引っ越して誰もいないんだけれど、その当時はたくさんの絵がかざってあったね。遺跡の風景画をはじめ、聖母子や十字架の絵とか、刃物を振り回して戦っている恐ろしげな人物画とかもあった。女の人の裸の絵というものを見た時は、どぎまぎして混乱したね。僕はうぶだったからね。それまで木炭画やペン画などの絵ばかりを見てきた僕に、色彩に富んだ絵はどれもこれも新鮮で、すごいものだとびっくりしました。絵は壁にかけてあるもの以外にも、無造作に何枚も重ねて立てかけてあるのもあって、いったいどれだけの絵があるのか、見当もつかなかった。レオナルド親方はそんな僕の反応を面白がって笑っていました。部屋には数名の人がいて、皆色彩を使って絵をかいていました。親方が一人一人を紹介してくれた。みな親切で、それまで自分の周りにいた貧しくて荒っぽい人に比べると、階級の異なる上品な人に見えた。女の人がいた。若くてかわいらしく、黒髪がきれいで、黒い瞳だった。新入りの僕ににこにことあいさつをしてくれた。親方の娘のユリアだった。時々遊びに来るらしい。

 主な仕事は絵の模写だった。何枚もの原画が置いてあって、できるだけそれを正確にまねる、初めは木炭画やデッサンだった。僕が線を引くと、その1本の線の書き方から先輩が文句をつけた。僕は先輩の手元をまねるところから始めなければならなかった。怒られながら何枚か描いているうちに先輩は満足し、そのうちサインもそっくり書くように言われました。早く一人前になりたくて、言われたことはとにかく一生懸命やった。
 それほど日がたたないうちに、親方は僕の描いた模写を手に取った。俺は上手に描いたらしく、親方はよくやったと言ってその絵を持っていった。その絵は早々に売れたらしい。親方はこんなに呑み込みの速いやつは初めてだとよろこんで、給金をはずんでくれた。親方は次の課題を命じた。今度は油絵だった。絵の具を使うということはこれまでとは全く違う。絵具の種類、調合の仕方、絵筆の使い方、パレットナイフの使い方。それは格段に手間のかかる作業だったが、僕は本当にわくわくした。そのほかにも僕は親方や先輩たちにローマ中を引っ張り回され、いわゆる巨匠の作品を見てまわることになった。今度はそれを前にしての模写を言いつけられた。僕はあちこちの教会や美術館で、一般の画学生に混じってスケッチをし、その成果を帰ってから親方や先輩たちにチェックしてもらった。僕は見どころがあったらしい。画家のタッチや癖も見逃さないように、いろんなコツを次々に教えてくれた。僕は絵に近づいたり離れたりしながら一生懸命模写を繰り返した。
 先輩たちは自分たちの絵が仕上がった後、ある作業を絵に加えてました。真新しい出来立ての状態では絵は高くは売れない。暖炉で絵を乾かし、せっかく完成した絵に変色したニスを塗って色を曇らせ、それが乾いたところでキャンパスを丸めてわざとひび割れを作る、埃をまぶし、それを刷毛で取り除くとひび割れに埃が入り込む。その他いろいろな工程を経て、絵が古く見えるようする。そのことを「時代をつける」と言います。その方が、絵は格段に高く売ることが出来ますからね。僕もある程度描けるようになると、「時代をつける」ことを教わりました。僕はその技法を習得し、自分なりの工夫を加えて、さらに自然な古びた感じを絵に出せるようになった。

 僕はいつしか大作も手掛けるようになり、親方の工房でも一二を争う腕のいい職人になった。僕の絵を仲買人のところに持っていくといつもいい値段がついたらしい。僕は今とは違って口が堅い方だったので、レオナルド親方は僕を信用してくれて機嫌がよかった。先輩たちには後でねたまれたが、僕だけ特別に盛り場に連れて行ってくれて、それまで食べたことのないすごい料理をごちそうしてくれた。酒とおしゃべりには注意しろ、とよく言っていた。そのうちそれに女、が加わった。結局その言いつけは守れなかったようだけれどもね。

 絵を描くことが身についてくると、人の絵を写すばかりでなく、自分の絵をかいてみたくなった。休みの日などは絵の具を少しずつ買いためて、自分の絵を描いた。花の絵が好きだった。花売り娘から買った2-3本の花を水差し入れてそれをスケッチする。それをもとに板に油絵を描いた。花を夢中になって描いて最後に自分のサインを入れると、なぜか感動した。安物の額に入れて部屋の中で飾ってみると、悪くはなかった。

工房にはよく親方の娘のユリアが遊びに来ていた。ちょっときれいな娘だった。部屋を掃除し花をかざって、すぐ帰っていった。あるときユリアを盗み見しながらユリアの似顔絵を描いた。見せるとユリアは喜んで、ちゃんとした肖像画を描いて、と言った。ぼくは鉛筆と木炭とでユリアの肖像画を描いた。出来上がりを見たユリアはあっと驚いて絵と僕とを交互に眺めていたし、集まってきた工房の先輩達もおどろいて、それから僕に一目置くようになった。ユリアはその肖像画を持って帰ったが、それからというもの僕に気があるようなそぶりをしきりに見せるようになった。来ればまず僕を探して、何かしらおしゃべりをしていく。ぐっと体を近づけてみたり、さらっと逃げてみせたり。僕はそういうことには慣れていなかったから、すっかりまいってしまった。そのうち何か口実を見つけてローマ市内でスケッチをしていた僕のところに遊びにきた。遺跡の中に連れだされた僕にちょっとした愛の手ほどきをした。といってもまだ僕は子供で、おしゃべりしたりちょっと触れたりするぐらいで、せいぜいキスまでだったんだけれどもね。大胆で魅力的な娘だった。

 さあ、みなで旅行に行くぞ、とのレオナルド親方の一声で数日間の旅行をすることがあった。旅行、といっても絵の運搬をするのだけれども。旅行用のきれいな服、ではなくて農民がよく着ているぼろの服装だ。ユリアはおかしいほどひどく心配して、父親に向かって才能のある人は怪我をしたら大変だから行くべきではないって、真顔で抗議していた。初めて旅行についていく僕の方が、泣いているユリアを慰める始末だった。
なにせ統一前の南イタリアだ。今だって安全とは言えないが、当時はもっとひどかった。安全に絵画を運ぼうとすれば、ちょっと手間とカネをかけないといけない。危ないのは山賊ばかりではない。役人の方がもっと厄介だった。いずれにしてもカネ次第だったのだけれども。
 旅行中は顔を洗うことも禁じられるので、日が経つにつれて一行は汚れてみすぼらしくなった。馬車、と言うよりは馬が引いた荷車でローマから南下し、目的の街道から離れた小さな村に着くころには、誰もが浮浪者のように見えた。その村にはある男たちの集団が待っていた。鉄砲や刀剣で武装した荒っぽい手合いだ。そこでの取引だった。彼等の獲物は絵画だった。どこか没落した貴族の館などを襲うなり盗むなりして集めてきたものらしい。親方は絵を見回し、一枚ずつ値段をつけていく。絵は数枚程度から数十枚にもなることがある。多少の押し問答の末、商談は成立し、握手となる。絵は雨に濡れないよう木箱に入れてほろに包み、荷車に乗せてガラクタをのせてわからないようにしてから、がたごと揺られてローマに帰る。護衛の男をつけてくれたがかえって目立つし、役人に呼び止められた時にはひと悶着を起こすこともあったので、チップを払って途中でお帰りいただくことが多かった。
 持ち帰った絵はつまらないものもあって、そんなのは親方がすぐに売り払ってしまうのだが、時には掘り出し物の有名画家の絵があった。それを手本にしていくつも複製画を作った。むろん本物として売るわけだから、身入りは桁違いにいい。僕たちのボーナスも気前良かった。

 しばらくは工房に絵のストックが増えてにぎやかだった。神話、聖書の話、風景画、人物画、何でも無造作に立てかけてあった。その中に一枚、これまで見たこともないタイプの小さな絵があった。どこの家にもありそうな、鍋などの台所用品の絵だった。キャンパスではなく、板に描かれていた。初め、どうしてこんなものが絵の主題になるのかわからなかった。つまらない絵だと思った。親方も工房の仲間も誰一人その絵のことを話題にしなかった。でもどういうわけだったのだろう。一日が終わると僕は立てかけた絵の中からその鍋の絵を見ていた。次の日もその絵を見ていた。なんで鍋なんだ?世の中にはきれいなものや美しいものがたくさんあるのに。なぜ台所の鍋なんだ?描くべき絵の主題とはとても言えないたかが鍋ごときが、なんで堂々と絵の中心になっていられるのだ?俺は混乱し、わけがわからなくなった。いったいなんだろうこれは?なんで僕はこんな絵に惹かれてしまったのだろう?
 仕事をしていても、家に帰っても絶えず思い出されるのはその鍋の絵だった。まさしく鍋がそこにあるという感覚が見るごとに強くなり、それは永遠にあり続けるという確信のような感覚になっていった。そう、驚くべきことに、鍋は美しかったのだ。よく使いこまれていて、鍋についた汚れを落とすためにこすられた跡を。僕はありえないほど美しいと思った。
 相変わらずユリアは遊びに来ていたが、そのおしゃべりを僕はうわの空で聞いていた。手をつないでみても、腕に胸を押し付けられてみても、わずらわしく感じられるばかりだった。ユリアは僕の部屋まで遊びに来たのだが、早々に追い帰した。そんな気になれなかったのだ、というのはある計画で僕の頭はいっぱいだったからだ。
 俺は欲しいのは絵の方だった。しかしいくら給金があがったとはいえ、絵を買えるほど裕福じゃない。だが複製を作るのならばお手の物だ。そこで僕は一計を案じた。この絵の複製を家で作って、すり替えてしまえばいい。親方も同僚も、この絵には興味がなくてじっくりとは見ていない。すり替えてもわかりはしないだろう。

 それからというもの、人の目を盗んではその鍋の絵を見た。サイズを測り、スケッチをした。出来るだけ目立たなくてそれでいて手に取りやすい場所に、その絵を移動した。親方はまだこの絵を売る気がないようだが、いつ気が変わるかもしれないので、作業を急いだ。家に帰るとスケッチを元に下絵を描いた。絵は板に描かれていた。少々古そうな板をなんとか手に入れてサイズを合わせて削り、そこに下絵の輪郭を写して新しい絵を描いた。それを本物の絵と照合させながら、完成させていった。
古色をつけてそれは出来上がった。作業は人目を避けての短時間だったにもかかわらず、なかなかの仕上がりだった。それを工房に持ち込み、人のいない時をねらってひそかに額の中の絵をはずし、作成した複写とすり替えて元の位置に戻した。そしてついに本物の方を家に持ち帰ることができた。

 ゆっくり手に取ってじっくり見てみると、震えるほど素晴らしい絵だった。つかいこんであちこち凹凸ができた鍋の底、鍋を磨く女中の手の動きまで見えてきそうな鈍く光る擦れた跡。金属の冷たくひやっといた手触りまで伝わってくる。なんとも言えず、美しかった。とうてい自分程度の技では、及びもつかない素晴らしさだった。
いつまでも見ていたかったのだが、そうもいかなかった。工房の人が遊びに来る可能性があったので、隠す必要があった。もしかするとまたユリアが来るかもしれない。盗んだことが知られたらまずいだろう。
そこで自分の花の絵が入っている額縁を下し、板絵のサイズをそろえるために自分の絵のはじの方を切り落とした。額縁は新しいものに作り直した。そして自分の花の絵の下に重ねてこの鍋の絵を忍ばせて、額縁をつけなおしてふたたび壁にかけた。これでよい。

 いつもは自分の絵をかけておいて、ときどき鍋の絵の方を出しては見た。至福の時間だった。この絵の中にこそ、永遠がある。変わらぬ美がある。この絵こそが本物の絵画で、今工房で描いている自分の模写絵などは、つまらないものにしか思えなかった。
 幾晩も飽かず眺めているうちに自分の考えが決まってきた。このままじゃいけない。自分はこの絵のように確かなものを描かなくてはいけない。人のまねをいつまでもしていても意味はない。確かにカネは必要だ、しかしその前に一人の画家であるべきだ。自分の絵を描くことこそが重要なんだ。

 そんなある日のことだった。工房から持ち帰った絵に手を入れていたところ親方がいきなりやって来た。親方の顔つきにいつもの穏やかさはなかった。その後ろにユリアがついてきていた。
「おまえ 鍋の絵は知っているな。すり替えたのはお前だろう。」
親方はそう言って勝手に部屋の中を探し始めた。鍋の絵の部分的なスケッチが見つかった。自分の趣味で描き始めた絵も幾枚かあった。しかしどこにも鍋の絵はなかった。親方の後ろではユリアがおろおろして、何か言いたげな泣きそうな顔で僕を見ている。僕は怒りで真っ赤になった。
親方は壁にかけてある例の絵を手に取って言った。
「ふん、これは誰の絵だ。」
「僕が描いたのです。」
「くだらないな。」
親方は無造作に絵を床に投げ出した。俺はひやりとした。絵がバラバラになって鍋の絵が現れるのではないかと思ったからだ。しかし額縁は持ちこたえてくれて、鍋の絵があらわになることはなかった。
「いったいあの絵をどこに隠した、さては売り払ったな。」
「なんのことだかわかりません。」
「とぼけやがって。まあいい。俺を舐めるなよ、お前、ちょっと絵がうまくなったぐらいで。この俺の目をごまかせると思ったら大間違いだからな。」
しかしそれ以上は何も言わず、親方は凄んだだけで帰っていった。ろくに見ていない絵を偽物と見破るなど、親方の目はたいしたものだ。

 あとからユリアが一人訪ねてきた。
「いったい何の用だ、帰れ」
「これにはわけがあるのよ」
「お前が告げ口をしたわけだ。」
「お願いピエール、私の話を聞いて」
「うるさい、黙れ。お前の顔など見たくない。二度と来るな」
僕はユリアの目の前で扉を閉じた。ユリアはしばらくそこで泣いていたが、あきらめて帰っていった。

 そういうことか。よくわかった。僕の秘密の作業を、お前はどこかで盗み見したんだろう。僕が鍋の絵の方に気を取られているのが悔しくて、告げ口したんだろう。浅はかだったな。僕は知っているぞ、僕の絵がどれだけの価値があって、どれほどの値段で売られているのかをな。それに比べ得れば、僕の取り分などははした金だ。どれだけ上前を撥ねたら気がすむんだ?僕のおかげでのうのうとよい暮らしをしていて、親子ともども、もう少しこの僕に感謝したらどうなんだ。

 僕はすっかり嫌気がさして、そこからずらかることにした。ありガネをかきあつめ、絵の道具や幾枚かのデッサンの習作、それに服を何枚かカバンに詰めて、額縁に入った例の絵を小脇に抱えた。そして、おさらばした。
 北イタリアのある町にひとまず宿をとり、市内のいくつかの画廊にデッサンを持って回った。結果はひどいもので、持ってきた絵もろくに見ずに門前払いを食わせた。怪しげな若者が巨匠のデッサンを持っているはずはなく、贋作なのが当たり前だと思ったんだろう。金はすぐになくなって、いよいよせっぱつまったところで、怪しげな商人によって絵はいいように買いたたかれた。だがその商人の紹介で、売れない画家が集まる貧民窟に腰を落ち着けて制作を再開することができた。商人は僕の絵を気に入ってくれて、続けて注文をくれる。そのうちに少しはカネ周りがよくなった。だが、僕は人の絵の模写をするのはもうやりたくなかった。ある程度カネがたまると新たに小部屋を借りて、例の絵を壁にかけて心を引き締め、自分のオリジナルの絵を描きはじめた。僕は無性に自分の絵が描きたかった。自分の考えで構図を考え、線を描き、色を付ける。それは素晴らしい体験であったのだが、絵はカネにならなかった。そしてまたカネはあっという間になくなった。恐ろしくみじめなことになった。ローマでの生活とは比べ物にならない。腹が減っても食べ物がない。服に穴が開いても替えがない。好きな女ができてもカネがなければ口説くことはできない。それでしかたなく模写をやった。そちらはきちんとカネになる。腹いっぱい食べて、きちんとした服も着ることができる。すると女の方からよってくる。ちょっといい女だったりすると、きれいな部屋を借りる気になる。するとまたカネがいる。僕はまた1枚描く。カネが入る。贅沢ができる。女が喜ぶ。するとまたカネだ。模写はいつまでたってもやめられなかった。それにひきかえ自分のオリジナルはいっこうにモノにならなかった。それはそうだろう。模写で金儲けをしているような精神のたるんだ人間に、よい絵が描けるわけがない。僕はあの鍋の絵を花の絵の下に隠してしまった。

 どうやら僕は派手にやりすぎたようだ。裏の世界の売れっ子を、当局は無視できなくなった。ある日、いつものようにアトリエで仕事をしていたところに突然警官たちが踏み込んできて、僕を逮捕した。アトリエにあったすべての絵は没収、そして裁判になった。ばかばかしい裁判だ。どうせ監獄行きに決まっている。僕の主張は単純で首尾一貫している。僕はひたすら模写を続けてきただけなのだ。それを買って、本物として売った画商が悪い。僕は何も悪いことはしていない、とね。
 それにしても気がかりなことはあの鍋の絵のことだ。没収された絵はほとんど返ってこなかった。僕の花の絵の裏に忍ばせたあの鍋の絵、あれはどこに行ったのだろう。もう一度あの絵を見てみたい。もし手元に戻ってくることがあれば、あの絵を見て心機一転、まともな一人の画家として、人生を再出発することが出来ると思うのだがね。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
   (その3へ続く)

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