主よ、人の望みの喜びよ

主よ、人の望みの喜びよ
  J.S.バッハ作曲 (マイラ・ヘス編曲) BWV147


ピアノを習い始めて今年で16年になる。

 私が幼稚園にはいる頃だからかなり昔の事になるが、我が家に電気ピアノというインチキピアノがあった。単に鍵盤を押してもかすかな音がするばかりで、スイッチを入れないとちゃんとした音が鳴らなかった。音量はつまみでコントロールする。たぶんこういう仕掛けだったのだろう。鍵盤を押すとちゃちなハンマーが弦をたたいて小さな音を出す。それをマイクが拾って音を増幅し、スピーカーで鳴らす。ピアノのようなピアノではない変な音で、調律はすぐ狂うし、高音の鍵盤をげんこつで思い切りたたくとピアノ線が切れたりした。ボリュームをマックスにまで上げ、一つしかない足ペダルを踏んで音が長く響くようにして、両手で低音の鍵盤をできるだけ数多くたたき込むのが私のお気に入りだった。雷だーっと遊んでいたら、うるさい静かにしろと親父にどなられた。
 1年間地元のオルガン教室に通った。生徒は大人数で、先生と一生に カッコウ、カッコウ、ないてる、などと片手で合奏する。発表会は独奏で、「フランスの踊り」とかいう曲をひいた。タタータタッタッターー、タタータタッタッターー、その旋律の事や、舞台を上から照らす照明の事を今でも覚えている。 あと全員での記念撮影のときのフラッシュがまぶしかった事も。

 小学校に入ると、今度は個人レッスンでピアノの先生に毎週通うことになったのだが、実につまらなかった。行ってきます、と家を出たあと違う方角の広場で友達と遊んでいたら、すぐにばれて親父がその場に迎えに来た。(どうしてそこにいた事がわかったのか?) 家に連れ戻されてさんざん怒られて、それでピアノの習い事はおしまいになった。
 それでも私は音楽は好きだったようで、中学ではフルートを独学で吹いてみたり、高校の歌のクラブに入ってみたりということもしたが、そのうち音楽は聴くばかりのほうになって演奏の方はやめてしまった。

 結婚して子供ができて自分の子供が幼稚園に入ると、自分の子供の頃と同じように音楽教室に行かせた。教室について行って子供の小さな手が鍵盤を押さえるのを見ているうちに、自分が弾きたくなった。買いたてのクラビノーバ(ヤマハの擬似ピアノ)の前から子供を追い出して、自分で弾いてみた。(昔の電気ピアノは何十年も前に粗大ごみになっていた)まあ自分でも何か弾けるといいよね、それがショパンでなくてバイエルでも、自分が楽しめればいいじゃないか、とか言い訳を思いついて、思い切って大人のピアノ教室に申し込んでみた。担当は美人の上品な先生だった。うれしくって喜々として習いに通った。(子供のほうはいやいやながら2年通っただけだったのだが。)

 入門者用のバイエルは拍子抜けするほどあっさり終わってしまって、次にチェルニーをやるのかと思ったらいきなり先生は、何か曲をやりましょう、という。はじめは簡単な曲をやっていたのだが物足りなくて、ショパンを弾きたいと言うと、いいでしょうの答え。前奏曲のなかの簡単なものから手をつけた。苦労して一曲最後まで弾けるようになると欲が出る。ワルツを弾いてノクターンに手を伸ばして、それを引っさげて発表会にでた。小さな子供から始まって大学生くらいまでが出演するあの子供の発表会である。そこにうさん臭いおじさんが自己満足ショパンを弾いたりして、さぞ珍妙に見えたことだろう。
 担当の美人先生は、ショパンのバラード第4番を見事に演奏する腕前で、弾いている姿も美しく、おかげで私はこの曲が大好きになった。この曲を聴くたびに美人先生のことを思い出す。この人は結婚しているのだろうか、未婚なのだろうか。あと○十年私も若かったらなあ、などと妄想することもしばしばで、別にどうこうしたことは誓って一度もなかったのだけれども、ある日突然、遠くへ引っ越すので私のレッスンはこれでおしまいになる、と告げられた。それはそれはショックでとても残念だった。結局最後まで私生活に関する質問は一切しなかったので、彼女の個人情報は何も知らない。その後私はなかなか気に入ったよい先生とめぐりあうことがなかったので、あの美人先生は教えるのも上手な良い先生だったんだなと、しみじみ思ったものだ。


 さて、ここから本題に入ります。ここにあげるYouTubeの動画は、私の演奏。マイラ・ヘスの編曲楽譜から音をさらに落として、やさしくしています。にもかかわらず、今回録画するために何度も弾きなおしたのだが、全然うまくいかない。一番傷の浅い演奏でこの程度。でもまあ、大人になってからピアノをはじめてここまで弾けるようになったのだから、まずは合格でしょう。



 バッハをよく知らなくても旋律を耳にすれば、ああこの曲、と思う人も多いに違いない。テレビコマーシャルにも使用されてすっかりおなじみの曲になった。元は合唱曲で、自由に編曲され、いろいろな楽器で演奏されても、原曲の持つ気品は失われる事がない。さすがバッハである。穏やかで明るく、あくまでも暖かく優しい。

 もともとはバッハのカンタータ147番「心と口と行いと生活が」の中のコラール(合唱曲)である。作曲は1723年であるから、300年もの昔の曲である。このカンタータは全曲演奏すると30分近くかかるもので、合唱とかアリアとかレスタティーヴォなどの10曲ほどで構成されている。それが第一部と第二部の2つに分かれていて、このコラールはそれぞれの終わりの部分に登場し、全体をまとめる役割を担っている。

 カンタータというのはもともとは歌という意味で、正式には教会の礼拝で演奏されるのだそうだ。私は聞いたことはないのだが、まず牧師さんの説教があり、それが終わると曲の演奏となる。演奏が終わるとまた牧師さんの説教になる。演奏後の拍手は原則としてしない。したがってカンタータの内容は、聖書の引用に満ちた、キリスト教の信仰告白といったものが多い。いわゆる信仰の喜びが表されているのだが、異教徒にとっては、その言葉を字ずらでは理解するが所詮他人事でしかない。歌詞だけでは、はっきりいって退屈な代物である。しかしそれに音楽がついてくると全く違ってくる。バッハの音楽があまりにも真実味にあふれているので、それに深い感動を覚える異教徒もいる。改めて歌詞を読む。歌詞を知ることによって、より深くバッハの音楽を理解する事ができるようになる。もしかすると、このあたりから信仰に入っていく人もいるかもしれない。

 バッハの音楽は歌詞がなくても十分美しい。だからといって歌われた詞の内容から音楽が切り離されてしまっていいわけがない。今回の曲の「主よ、人の望みの喜びよ」にしても、歌詞の内容を知る事によって、曲への理解や思い入れが深まっていくものだと、私は思う。(と、偉そうに言いますが、単なる他人からの受け売りです。)
 この曲は、カンタータの第一部の終わりの第6曲、第二部の終わりの第10曲に、歌詞を変えて登場する。


カンタータ第147番 心と口と行いと生活が

  第6曲 コラール(合唱)
イエスをもつ私は幸せ、
おお、何と固く私は、イエスを抱きしめることだろう、
イエスはこの心を活かしてくださる、
病のときも、悲しいときも、
私にはイエスがある、イエスは私を愛し、
私のものとなってくださるのだ。
ああ、だからイエスを離しません、
たとえこの心が破れ果てても。


  第10曲 コラール(合唱)
イエスは変わらざる私の喜び、
心の慰めにして糧。
イエスはすべての悩みから守ってくださる。
イエスは私の命の力、
目の喜びにして太陽、
魂の宝にして楽しみ、
だからイエスを離しません、
この心と視界から。
       (対訳 磯山雅)
(J.S.Bach カンタータ《心と口と行いと生活が》 日本楽譜出版社)

 まるで泉に水が湧きあがるに、新芽が次々に開くように、ト長調の明るい3連符が次々と重なって副旋律を織り上げていく。それがひとまず静まったところに、今度はゆったりした主旋律が入る。原曲では副旋律はオーケストラの伴奏で、主旋律が歌詞のついた合唱の部分にあたる。確信に満ちたこの旋律に絡んでいく副旋律の3連符がすばらしい。繰り返しがあり、ちょっとさびしげな表情を見せる部分をはさんで、再び確信に満ちた主旋律が戻ってくる。その後には終わりの部分がつづく。
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 この曲の主旋律にしろ副旋律にしろ、そのメロディーの音型は上昇するような形をしている。しかし最後の主旋律が終わったところに、4小節ほどの、ほかのどの部分にもない下降音形の部分がある。この下降音形からコーダが始まったように感じて、単なる付け足しにみえるかもしれないが、この下降音形にはもしかすると重要な意味があるのかもしれない。
 そもそもこの曲は神への祈りを表現している。祈る者は両手を胸の前に組んでひざまづく。祈りの対象は斜め上の、仰ぎ見上げる方向にあるのが普通である。この音楽の上昇音型は、この信仰者の見上げる姿勢の表現ではないだろうか。それに対しこの下降音型は何を表しているかというと、ななめ上の天から降りてくる光、信仰者を包む光の表現である。つまり、このコーダの部分の下降音型の4小節は神の恩寵の表現であって、曲ほとんどを占める上昇音型を、この4小節の下降音型が受けているのである。人によってはここに奇跡を見るのかもしれない。・・・なあんて、考えすぎというものだろう。
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 1950年9月16日、フランス中東部のスイス国境に近い町ブザンソンで、ピアニストのディヌ・リパッティ(1917-1950)の最後の演奏会がおこなわれた。ルーマニア出身のこの若いピアニストは当時天才とまで言われて将来を嘱望されていた人で、残されている録音の音質の悪さにもかかわらず現在でもファンが多い。私もそういったファンの一人で、ショパンの舟歌やシューマンのピアノ協奏曲(アンセルメ指揮スイスロマンド管弦楽)などは、繰り返して聴いたためにリパッティの演奏が耳にこびりついてしまい、ほかのピアニストの演奏が変に聴こえてしまう。
 リパッティの音楽は流れがごく自然で、なんといってもその明るく、憧れに満ちたみずみずしい演奏がすばらしい。当時33歳のリパッティは、悪性リンパ腫のホジキン病で闘病すでに7年目、開発されたばかりの副腎皮質ホルモンで一時小康状態をえていたものの再発し、日一日と健康状態が悪化していた。最後の演奏会当日も発熱でよろめきながらステージに上がったという。満員の聴衆もこれがリパッティの最後の演奏になる事を知っていて、固唾を呑んで見守った。バッハ、シューベルト、モーツアルト、最後はショパンのワルツ全曲。しかし限界が来てワルツの最後の1曲を弾く事ができず、倒れこむように楽屋に戻る。もはやステージに立つ事はできないと思われたが、しばらくの後、最後の力を振り絞って再びピアノのところまで歩き、座る。そしてバッハの「主よ人の望みの喜びよ」を弾きだした。弾き終った後、リパッティは静かにピアノの鍵盤の蓋を閉じたということだ。当日の演奏会は録音されていて、後の時代の人たちはそれを聴きことができるのだが、アンコールとしての最後のこの曲だけは、残念な事に録音されなかったという。
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 リパッティはそれから約3ヵ月後に亡くなった。死因は感染症とのことであるが、原病による免疫低下にステロイドの副作用が重なっての事であろう。現在ならばホジキン病は治癒率7割を超えていて、悪性疾患としては比較的予後のよい部類に入る。残念な事だ。リパッティがこの曲を弾きながら何を思っていたか無論誰も知らない。しかし曲の歌詞を見れば、なぜ彼がピアニストとして人生の最後の舞台にこの曲を弾きたかったのかが、わかる気がする。

イエスはこの心を活かしてくださる、
病のときも、悲しいときも、
ああ、だからイエスを離しません、
たとえこの心が破れ果てても。



 私の望みは、よぼよぼの爺になった人生の終わりに、(よぼよぼになるまで生きるつもりでいるが)、ピアノの発表会に出てみること。きちんと正装をして、誰かに支えられながら危なっかしい足取りでピアノのところまで行く。ピアノに手をつきながら観客にあいさつし、椅子に座る。背をピンと伸ばし、少し鍵盤をなでてみて、この曲を弾き出す。静かに、穏やかに、できれば濁りのない澄みきった音で。

 主よ、人の望みの喜びよ。

そんなふうに、人生に、人々に、世界に感謝しながら、自分のこの生涯を終えてみたいものだ。リパッティにならって。

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この記事へのコメント

MOCO
2014年06月17日 05:26
はじめまして。東京音大卒で今オランダでオランダ人の子供にピアノを教えているものです。次回のレッスンで、この曲をさせたくて、改めて勉強し直すため色々検索したところ、このブログに巡り会いました。 
読み終わった時には、もう涙が止まらず...
あなた様の音楽に対する姿勢に感服いたしました。
素晴らしいブログに感謝です! 思わずコメントしました。ありがとうございます♪ 
管理人
2014年06月17日 23:14
ありがとうございます。大変なおほめのお言葉でうれしい限りです。この曲をひいてから何年か経ち、また弾いてみたところ、あああこれは大変、途中で指が動かなくなりました。素人の悲しいところで、新しい曲を覚えたら、前の曲がひけなくなっている・・・また練習のしなおしです。東京音大のK先生の傘下のピアノ教室に通っています。
オランダには行ったことがないのですが、是非行ってみたい国です。素敵なお伽の国のイメージを持っています。
MOCO
2014年07月11日 16:35
お返事が遅くなり申し訳ありません。
実は私も以前弾いた曲をしばらく弾かないでいると思うように弾けません(笑)皆同じです♪
持ち曲は毎日一回でも弾けたらと思うのですが…
私もK先生の門下でした☆ 今は退官されておりますが、学生の頃はとても可愛がっていただきました☆
オランダの春はまさにお伽の国のようです♪
春のキューケンホフ公園や北ブラバンドの田舎町の風景はとても癒されます。人々はとてもフレンドリーで過ごしやすいです♪ ご旅行の時期は春から夏にかけてがおすすめです。いつか訪問なさる機会があるといいですね♪

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