遠き山に日は落ちて  ドボルジャーク 交響曲第9番「新世界から」 第2楽章

 アントニン・ドボルジャークは1841年プラハ郊外の肉屋兼宿屋の息子として生まれた。そこはボヘミアの片田舎だったから、鳥のさえずり、林を渡る風、ひなびた村のたたずまい、のんびりとした人々やその習慣に、彼は子供の頃から慣れ親しんいた。生涯彼はボヘミアの田舎町を愛しつづけた。後年大都会に住む事はあってもその喧騒に馴れることができず、しきりに故郷を懐かしがった。若い修行時代は食費を切り詰めるほど貧乏な時期もあったが、メロディーメーカーとしての恵まれた才能から数々の優れた作品を生み出して、次第に世に認められていった。成功した人生だった。作品によってもたらされた富と名声、子供の死に見舞われることはあっても、大きな悩みもない愛する人との幸福な結婚生活、楽観的で穏やかなバランスのとれた性格からくる円満な人生。多くの偉大な芸術家が何かしら満たされなかった人生を歩んだのに対し、ドボルジャークは人生における最良のものをすべて手に入れたといえる。
 鉄道や船が好きでイギリスなどに演奏会をかねてよく旅行をした。アメリカに音楽教育のために招かれたときも、ニューヨークの生活になじめず、わざわざ鉄道の駅もないようなボヘミア出身の人たちの田舎の町にまで出かけていって、ようやく心の平衡を取り戻したこともある。ドボルジャークにとってボヘミアは彼の原点だった。その身はどこにあろうとも、心はいつもボヘミアの片田舎に帰っていった。有名な新世界交響曲の中でさえ、驀進する音楽の合間にふとボヘミアの舞曲のリズムが聞こえてくることがある。まるでドボルジャークが仕事を放り出して、故郷の村人達と陽気に踊りはじめたのを、またはじめなさったか、と見ている気分になる。

交響曲第9番第2楽章
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(音楽之友社MINIATURE SCORES)
遠き山に 日は落ちて
星は空を 散りばめぬ
今日のわざを なし終えて
心かろく やすらえば
風はすずし この夕べ
いざや 楽しき まどいせん

闇に燃えし かがり火は
炎 今は 静まりて
眠れやすく 憩えよと
誘うごとく 消えゆけば
やすきみ手に 守られて
いざや 楽しき 夢を見ん
       (堀口敬三作詞)

 管楽器の和音の後に、イングリッシュホルンの印象的なメロディーが奏でられる。多分誰もが一度は聞いた事のある曲で、一度聞けば二度と忘れない。歌詞は後からつけられたものだが、曲の気分に見事に合っていて、日本ではこの方が有名かもしれない。このメロディーがはじまると、私にはそれにあわせるように、声が聞こえてくる。「下校時刻になりました。忘れ物をしないよう、気をつけて帰りましょう。」棒読みする小学生の声がスピーカーから聞こえてくる。陽が傾いた午後4時、放課後の校庭で走り回って遊んでいた私達は帰り支度をはじめ、ランドセルを背負って校門を出る。何人かずつひとかたまりになって、それぞれの方向におしゃべりをしながら帰っていく。
 子供の頃の私は父親の仕事の関係で、ほぼ3年おきくらいに引っ越していた。高学年をすごして卒業した小学校からは東京タワーが見えた。そんな都会でも当時は幹線道路沿いにビルが点々とあるきりで、戦後建てられた古い木造の、せいぜい2階建ての住宅がたくさん軒を連ねていた。地域の子供の数は今よりもはるかに多く、どの小学校も1学年が36名の4クラスあって、夕方や休みの日となれば子供の遊ぶ姿が街中のそこかしこに見られていた。
 小学校6年生の後期、私をふくむ児童数人に放送係がまかされた。放送室は校庭に面した1階にあって、スイッチやダイヤルのたくさんついた機械が子供には珍しかった。真ん中のマイクの前に座ると背中側が校庭になるのだが、前面の壁には2重のガラスのはめられた小窓があって、そのむこうは防音の小さなスタジオがあった。放送係の仕事は曜日によっての交代制で、確か私は木曜日の担当だった。まず朝は全校朝礼の先生方が使うマイクの調節や、朝礼の終了時にラデッキー行進曲を流すこと。生徒はそれに足並みをそろえて校舎に入った。昼食の時間には教室に音楽を流したり、クラス単位でスタジオで作った録音テープを流したこともあった。それは歌や、劇、朗読といったものなのだが、私のクラスは、悪い魔女が三輪車で登場する白雪姫のパロディー劇や、世界で一番優れたクラスという創作劇だった。
 1日の最後の係の仕事は放課後の下校の放送だった。午後4時になると、ドボルジャークの音楽をテープで、レコードに直接針を下ろしていたのかもしれないが、全校放送で流しはじめて、おもむろに「下校時刻になりました。忘れ物をしないよう・・・」とマイクに向かってしゃべった。体が震えるくらい緊張していたが、笑い出しそうになってどうにも困ったものだった。音楽は曲の途中で音量を下げて終わりにしてしまうことになっていたのだが、一度だけ全校放送のボリュームを次第に落とした後も、放送室内で音を出しっぱなしにして、第2楽章の中間部まで聞いた事がある。音楽は表情を変えてもの悲しい木管のメロディーとなり、とぼとぼと歩いていくようなさびしげな音楽に変わった。私は驚いて、下校時刻の音楽の続きも、とてもいいんだよ、と友達に言った覚えがある。
 下校途中、いつものメンバーで遊びながら帰るのが、1日のうちで最も楽しい時間だった。都会的で垢抜けた双子のA君兄弟、モデルガンを持っていたり、道路を走っている車の種類から性能まで即座に答えるのには驚いた。頭脳明晰だけれどもどこかユーモラスなI君、彼は歩く百科事典で、あちこちの塀に使われている石の名前をたいがい知っていて、とくに凝灰岩などはガリガリ削れてしまうことを実地に見せてくれた。元気いっぱいで活動的なO君、走るのが速くて底抜けに明るく、いまだに年賀状のやり取りがある。このメンバーでの帰り道、必ず同じ場所で道草を食った。そこは木造平屋の裏口の、1畳分くらいのコンクリートの台で、小学生が4-5人で座るのにちょうどいい高さだった。私達はおしゃべりに興じ、思いつく限りの遊びをした。たとえば地図ゲーム。地図帳をどのページでもいいから開いて、出題者1名がそのページにのっている地名を指定し、一定時間内にほかの人達がその地名を探し当てるゲーム。それから暗号解読ゲーム。2つのグループに分かれて、あるルールに沿って暗号化した文章を出し合い、他のグループがそれを解読する。ある時、そこの木造平屋の壁を利用して飛んだりはねたりをしていたら、老夫婦が顔を出し、壁が揺れて棚から物が落ちるからどうかやめてくれないか、とやんわり言われた事がある。やさしげな老夫婦だった。びっくりした私達はすぐにおとなしくなった。・・・こうしていると次から次へとあのころの思い出がたぐり寄せられてきて、しだいに胸のあたりがふんわりと暖かくなってくるようだ。
 私は中学1年で引越してしまい、その町とはすっかり疎遠になっていたのだが、何年か前にクラス会があって、小学校の近所で友人達との再会を果たした。その町一帯は大規模な再開発があったため、巨大なビルのあるおしゃれな空間に変貌していた。東京タワーや幹線道路以外は地形までもが変わってしまい、あの頃慣れ親しんでいた町は消滅していた。クラスメイトもばらばらに引っ越していて、元の町に住んでいたのは1人きりだった。小学校でさえ小さく立て替えられて、今は1学年が1クラス20名ほどだけで、廃校の危機に見舞われているのだと言う。学校の周辺もすっかり様変わりしていて、記憶の破片がところどころに見つかる程度の、見知らぬ町になっていた。ただ、瀟洒な街中に、なぜかあの1畳ほどのコンクリートの台は奇跡的に残っていて、旧友と顔を見合わせておもわず苦笑してしまった。
 年をとって、私の帰るべき故郷はどこだったのだろう、と思う事がある。生まれてからこれまで私はいくつもの町に転々と移り住んできた。特に子供の頃は根無し草のように3年ごとに引っ越していた。その中でも、今は消滅して跡形もなくなってしまったが、小学校高学年をすごしたあの町、今は記憶の中にしか存在しないあの町が、私の故郷である気がしてならない。

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 だまされるようにしてきたんです。まるでだまされたのと、同じなんです。すぐに帰れるつもりで、たいした荷物も持たないで、ほとんど着の身着のままであわてて家を出たんです。ほんの数日の、それも念のための避難なんだって何度も言われて。そうしたらすぐには帰れないって言うじゃないか。帰ってはいけないって。いったいどうなってるんだって聞いても誰も何もわからなくて。身の回りのものなんか何もない、通帳持ってこなかったから金もない、そりゃあもうひどいもんですよ。避難生活もこれで3箇所目なんです。転々として、こんどはここに住めだって。都営アパートの6畳。夫婦2人で狭い部屋1つなんだから。今まで庭のある大きな家に住んでたでしょ。だからもう今の所は息苦しくなって居られたもんじゃないけれど、外に出ても右も左もわからない。せめて若ければ慣れていくんでしょうけれどもね。こんな年になって知らない土地に放り出されてもなじめるわけがない。
 それでもかみさんは、2人でがんばっていこうね、ってよく言っていたんです。こんな事で負けてはいられないって。かみさんはよくできた女でね、いつでも前向きなんだな。うちらには子供ができなかったけれども、あんまりけんかもせずに、お互い好きなようにね、特に俺が退職してからは勝手気ままにやってきた。朝起きると俺は畑をしに、といっても遊びでやっているようなもんだが、かみさんはよくテニスに行っていたよ。あとコーラスとかね。俺は犬を連れて、犬はな、昔から飼っていて、何代目かね、コロっていう柴犬だ。ころころしているからコロだってかみさんは言うもんだから、もうちょっとましな名前はないのかいって、俺は言ったんだけどな。そんな事ないよねぇコロ、って言って犬は尻尾を振ってやがる。結局その、コロをつれて、畑に行く。あいつはまだ子犬の気分が抜けないようで、あっち行ったりこっちへきたりで、すき放題さ。虫を追いかけて、穴を掘って、通りがかりの犬にほえてみて、まあ、好きにするさ。昼くらいになるとひょっこりかみさんが顔を出して、2人で畑の野菜を持って犬コロと帰ったもんだ。
 それがあの大地震だ。おれのところは津波が来るような場所じゃなかったが、それでもひどかったもんですよ。気がついたら家の中のものがみんな倒れてて、俺はどこかで頭を打って、しばらくは痛かったね。余震がきて危なくって仕方がないから、かみさんと外に出て近所の人と顔をあわせてたが、そうしてもいられないから家の中に戻った。停電で電話は通じないしテレビもつかない。片付けの手をつけようにも、どこからはじめたらいいかわからない。そんなこんなするうち、あの放射能騒ぎだ。とにかく移動してくれって消防だことの警察だのが騒ぐし、わけを聞いても、みんなよくわからねえ、わからねえけれどとにかく原発が危ないらしいから移動する、っていうくらいで。コロは連れて行かれないから、あるだけのドッグフードを山盛りにしてな、すぐ帰ってくるから留守番してろよって言い聞かせて、むりやりおいて来た。鎖は解いておいてよかったよ。
地元のみんなもすぐ帰れると思ってたんだ。誰だって、あんな言い方されたら、すぐに帰れるって思うよ。急げって言うからほとんど何も持たずに出てきた。それが何だい。ものすごい放射能が出ていて、すぐには帰れそうにないとか言い出して。これから先どうなるんか分からないまま、あちこちに引き回されて。行くところもないから、しかたなく1日家でごろごろしている。それでもかみさんは、こうしていても仕方がないって、役所行ったり、一時金から買い物したり、掃除したりで、こういうときは女のほうが元気なのか、と思っていたんだよ。
 そしたらな、そしたらな。

 朝ごはんを作っている最中だった。急に胸が痛いって言い出して、台所に座り込んでる。もう苦しそうで、こいつはただ事じゃあないって、119番呼んだが、その間にもどんどん具合悪くなっていって。救急車に乗って、がんばれ、がんばれ、もうすぐ病院だからなって励ました。でもどうしようもなかった。先生方は一生懸命やってくれたんだがな。
 心筋梗塞だって。
 何でかみさんのほうが先に逝ってしまうんだか。おれのほうが十も年上なのによ。何であいつの方が先になあ。できるだけ連絡してみたんだけれど、ほんのちょっとの人数しか集まれなかった。坊さんに経を上げてもらってお焼香して、それでおしまい。後は何もない。ろくなお花もかみさんの写真もないんだよ。かみさんには、すまねえなあ、こんなさみしい葬式で、すまねえなあって、おれは心の中で何度も謝まったよ。いっそのこと一緒に連れて行ってくれたらよかったのにな。
 もう何も手につかなくって、何がなんだかわからなくて。担当の職員が心配して何度も来てくれてな。そのころ一時帰宅の話があったんだけれど、どうも行く気になれなかった。でも、いつまでもこんなんじゃあいられないし。
 このまえの一時帰宅の時には、帰ってきたよ。真っ白な防護服を着て、手には三重の手袋をはめて、マスクして、宇宙飛行士御一行様みたいな格好でバスに乗った。久しぶりの顔もあって、どこの誰だあは今どうしているとかしばらく話をしていたんだが、バスが走り出すとみんな黙ってしまったな。外ばかり見てた。山が見えて、川を渡って、どこどこの町に入った、あれが郵便局で、あれが小学校で、そりゃ生まれ育った町だ、たいていの所はよく知ってる。時々崩れたところや傾いたりした家もあったが、大体は昔のままだ。ただ人が居ないんだな。学校の校庭もがらんとしていて。動くものがない。車も走らない。バスを降りて家に向かう途中も、いつもの町なんだけれど、見渡す限り、誰もいないんだな。犬がしっぽ振って寄ってきたが、コロじゃなかった。
 おれの家は瓦がいくらか落ちたので、屋根を青いビニールシートでかぶせてあった。家の中に入ると、出てきたときと同じ、家具や荷物がひっくり返ったそのまんまで残ってた。放射能が怖いんだか、泥棒は入っていなかったよ。金庫は倒れたものの下にあったので、引っ張り出すのは大変だった。通帳とはんこを取り出して、金目の装身具をとりだして、冬着を何枚か持って、アルバムから写真を選んだ。かみさんの若いころのと、最近のやつの何枚かね。それでもう荷物は両手にいっぱいで、たいしたものは持ってこれなかった。家の周りもぐるりと見た。犬の死骸でもないかと思ったんだけれど、なかったね。ちょっと壁がいたんでいるところもあって、あそこから雨水が入ってしまうかもしれないが、もうあの家はあのままだな。これから何十年も、あの地震の時のままだな。子供がいないから、見る人もないし。鍵はかけてきたけれども、もう生きている間には帰れないだろうし。見納めだな。
 おれの畑は近くだったからそれも見に行った。ひと夏で草ぼうぼうになってしまってたけれど、遊びで植えた菊はちゃんと咲いていてな。息苦しいのでマスクをはずして、コロ、コロ、って呼んでみたけれど、あれはいなかった。どこかで生きていればいいんだが。

 最近は眠りが浅くてな。夢ばかりよく見るよ。向こうのことばかりだがな。なんていったって、おれの生まれ故郷だ。ふるさとなんだ。山とか、林とか、町が見えて、家が見える。あっと思って目がさめると今の6畳のアパートで、一人寝てる。またうとうとすると、かみさんがいて、コロがいて、おれもニコニコしてて。・・・おれはなあ、いまでもあの家に、かみさんが居る気がしてならねえんだよ。コロと一緒にな。早く帰っておいで、待ってるからって、言っている気がしてな。もう誰もいない家なんだがな。

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