プラド美術館所蔵 ゴヤ---光と影

 ゴヤ展の展覧会の告示を見ていたら、小学校3年生くらいの理科の時間を思い出した。水槽があって、水草がある。その底には何か生き物がうごめいている。ああ、ヤゴだ。トンボの幼虫。冬の間学校のプールは水が張られていて、その水底でヤゴが繁殖している。春のプール開きの前の大掃除では、ほとんどの水を抜いた後、残った水溜りにいるヤゴを網ですくう。それを水槽に入れて教室で飼っていると、トンボに羽化する。だから、さしずめこんな感じ。
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 スペインのプラド美術館に30年近く前行ったことがある。ヨーロッパの団体ツアーの行程表には入っていなかったので、マドリッドの昼食の時間をつぶして、つまり食事抜きで美術館を見た。ベラスケスのラス・メニーナス、エル・グレコのビロードの細長い人物画。しかしなんといってもゴヤの絵が半端の量でなかった。絵の前で立ち止まって見ている時間はなく、ほんの一瞥で通り過ぎたから、今ではほとんど絵の記憶がない。ただ、黒い絵の展示されている部屋は、妙に薄暗くてぎょっとして立ちすくんだ覚えがある。聖イシードロへの巡礼、魔女の夜宴、わが子を食らうサトゥルヌス、決闘、犬・・・。ちょっとしたお化け屋敷といったところだ。夏のイベントでゴヤの聾の家を再現したら、怖いもの見たさで結構人が入るのではないか。そのほかに円山応挙など日本の幽霊画の複製をほの暗い照明で並べた日本館を併設すれば、一流のお化け屋敷が出来上がるだろう。
 また再びスペインに行き、ゆっくり美術館を見て回りたいと思っていたのだがそのまま果たせなかったので、今回は楽しみにして国立西洋美術館に見に行った。
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少し傾いた頭、、その目はうつろで焦点が合っていない。どこか遠くを見ていて、ぼんやりした、虚無的な、とらえどころのない、神はもちろん何をも信じていない顔。この男には安らぎも、幸福もなかったろう。レンブラントの自画像と比べてみるとよくわかる、レンブラントは、まっすぐに、何の気構えもなく、こちらをしっかり見通している。現実を見据えたレンブラントという男と、現実の向こう側を見ようとしたゴヤという男の差であろうか。
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ゴヤの絵は、この人の絵の技量は本当のところはどうだったのだろうと思う。白っぽい画面、屋外でも屋内でもあまり変わらない光線、人形のように動きが硬い人物画。もっとデッサンがうまい人ならいくらでもいそうな気がする。しかし、それ以上の何かが絵に表されていて、それにひきつけられてしまう。
 それにしても館内はすごい人の数である。週日の午前中なのにもかかわらず何でこんなに混むのか。陰鬱なゴヤのいったいどこが面白いのか、会場を埋め尽くすのは印象派の展覧会に来るような、おじさんおばさん世代の善男善女である。どうも勘違いして来ているのではないか。いまさらゴヤの陰惨な版画を見ても、気分を悪くするだけで、何の得にもならないだろうに。
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 今回の展覧会の一番人気は 着衣のマハ である。なぜ今回来日したのが着衣のほうであって裸ののほうではなかったのだろう。裸のほうが大切なのでプラドがあまり貸したがらなかったのかもしれないが、着衣の方だってまんざらではない。着衣のマハを見る人は必ず裸のマハを思い浮かべているわけだから、着衣のほうがより刺激的であるともいえる。まあ男の考えることは昔も今も変わらなくて、この女性の服の下はどんなふうになっているのか、着ている服を脱がしたらどんなだろう、とふと想像する。この絵の狙いもそこにあるわけで、着衣のマハを見ながら、この服の下がどんなで、どんな触感で、どんなにおいで、どんなぬめり具合で、などとじっとり想像しながら絵を見ていたりするのが、この絵の正しい見方だと思う。うーん、ちょっと無理があるかな。(女性がこの絵を見る場合は、・・・この絵は男性の欲ために描かれた絵であって女性の人格は否定されてますので、どうか無視してください。)展覧会のカタログにはご丁寧にも、着衣のマハのページの上に、半透明のトレーシングペーパーに裸のマハを印刷したページがあって、ページを重ねると2つの絵がぴたりと重なるような仕掛けがしてある。
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これを考え出したのは男の美術館員にちがいない。でも彼は本当は逆に、トレーシングペーパーのほうに着衣のマハを印刷し、裸のマハを下地にしたかったのに違いない。着衣のマハが描いてある半透明のトレーシングペーパーをめくると、その下に裸のマハが出てくる、着衣をぺローンとひん剥くと下は裸、これのほうがいいに決まっている。しかし、たぶん、この企画は大反対にあった。女性の美術館員が怒ったのである。いったい何を考えているんですかっ、いやらしいっ。まあまあそう怒らずに。男の想像力って、すごいでしょ。たとえば、会場の着衣のマハの展示してある部屋の壁の左端には、椅子が壁際においてあって、美術館員の女性の方が監視のために座っていらっしゃる。すごく若いとはもういえないけれど、理知的で凛と緊張されていて、僕なんかは結構好みだったりする。そのお方の紺色の制服をトレーシングペーパーに移して、それからページをぺローンとめくる、もう一度ペーパーを元に戻してまたペローンと、・・・おおお、すごい・・・。(そのときの目つき)
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 大体この絵の誕生からしてこれと似たり寄ったりなのである。注文主は当時の宰相マヌエル・ゴドイ、この人は王妃の意向で、つまりは下半身で権力を奪取したような人だったから(さすが平和公爵)、そちらのほうは結構お盛んで、正式の奥さんはほっぽりだして、権力を笠にさんざんの浮名を流していたのである。一方の画家フランシスコ・ゴヤは、22人の子供を奥さんに生ませ(ほとんどが死んだけど)、あちらこちらで女をあさり、あげくのはてに友人に手紙で自慰の勧めまで書くような、下半身に暴走機関車を装備していた男である。この当代きっての助平おやじが2人で、ゴドイ宰相の夜の寝室のための絵を、ひそひそと相談したのである。
「どうだろうフランシスコ、昼の公務でつかれきっているのに、夜にもうひと働きしなければならないときがある。気がすすまぬときもな。そんな時でも元気になれるような絵を、ひとつ描けないだろうか。言っている意味、わかるな。」
「とおっしゃいますと、そうですな、美しいおなごの絵、ですかなマヌエル閣下」
「そうだ。若くて、ぴちぴちしてて、」
「そそる女、」
「例えば、・・・薄絹のヴィーナス、なんていうのはどうかね」
「ヴィーナス・・・それはつまらないですなあ。今はやりのマハ、ならばいかがかと」
「ふむ、マハか。そいつをどうする」
「ベッドに横になる。もちろん、」
「まさか、一糸まとわぬ姿で、か」
「これ見よがしに、体を差し出しているところ・・・」
「これみよがしに・・・、おおお、体を差し出した裸の下町娘、・・・おぬしも好きよのう、ふっふっふっふ」
「閣下ほどではございませぬ、へっへっへっへ」
「モデルはもう手配してある、ほら、こっちへ来なさい、(小声で、どうだ、かわいいこだろう) こちらは宮廷画家フランシスコ・ゴヤ先生だ、ごあいさつしろ。ではさっそくはじめよう。おまえ、全部脱いでそこに横になって。そうだ全部だ。(小声で、あとで好きにしてよいぞ)では頼んだぞ、フランシスコ先生」

ああしまった、ゴヤは耳が聞こえないんだった。こんな会話ができたわけないか。



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色彩のある油絵の前では人だかりがしていたが、そのあとに続くゴヤの真骨頂たる版画や素描のコーナーになると、足早に過ぎていく人が多くて会場内はすいてくる。ロス・カプリーチョス、戦争の惨禍、妄。見ていて楽しいものではない。会場入り口からおしゃべりし通しだったおばさんたちも、ここではなんと言っていいのか分からないらしく、横目になってそそくさと通るだけだ。人間のもつ愚かさ、憎しみ、傲慢、醜悪、強欲、・・・言ってみればこれは人間の悪の見本市なのである。これほどまでの悲惨な戦争、名もなき犠牲者たの無様な死などが描かれたことはそれまでになかったことだ。いわば戦争報道のはしり。あまりに悲惨な描写の連続に見ているものは愕然とする。人間とはどこまで悪くなれるものか。
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しかし、21世紀に生きる私たちは、その後の時代、もっと悲惨な戦争があったことを知っている。もっとはるかにむごい事があったことを実は知っている。日本人が日中戦争から太平洋戦争にかけて見たもの、今現在地球上のあちこちで行われていることを考えてみればいい。ゴヤの絵などはせいぜいその前奏曲に過ぎなかった。少なくともゴヤの時代には努力すれば運良く戦争から逃げられる可能性があった。今は違う。ひとたび戦争がおきれば、もはや我々に逃げ場はない。
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 悪とは、いつ生まれたのだろうか。
(以下引用)私たちは、人間の欲動には二種類のものしかないと考えています。一つは、生を統一し、保存しようとする欲動です。プラトンの『饗宴』ではこの欲動をエロスと呼んでいるので、わたしたちもこれをエロス的な欲動と呼びます。性的な現象についての一般的な考えを敷衍して適用すれば、これを性的な欲動と呼ぶこともできるでしょう。もう一つの欲動は、破壊し、殺害しようとする欲動で、これを攻撃欲動や破壊欲動と総称しています。
ご存知のように、これは愛と憎悪の対立という周知の関係を理論的に美化しようとするものにすぎません。(中略) この対立について、善と悪の価値評価を始めるのは性急なことでしょう。どちらの欲動も不可欠なものであり、この二つの欲動が協力し、対抗することで、生命のさまざまな現象が誕生するのです。(引用終わり 人はなぜ戦争をするのか フロイト 光文社古典新訳文庫) フロイトは、第一次世界大戦で精神を破壊された人を見て、さらに愛する家族の死を経験した後、有名な死への衝動の考えに至る。それはその後の歴史の予言のようで、その言葉は重い。しかしこの文章は1932年ウィーンの、絶望的状況におかれたユダヤ人によって書かれたことを考慮すべきである。エロスの方は生物が進化の過程でオスメスに分かれて以来の本能であって、遺伝子としてあるのは間違いない。しかしタナトス(死への衝動)の方は、それがたとえあったにしても、遺伝子が関与しているといえるものだろうか。
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 テレビではよく動物の番組が放映される。たとえばアフリカの大地に住むチーターやライオンの話。そこには争いがあり、命をかけた戦いがある。生きるか死ぬかの境界にいる毎日。しかし、そこに悪はあるのだろうか。食べなければ、死ぬのである。争わなければ、子孫を残すことができないのである。人類に近いチンパンジーやゴリラにしても、血みどろの争いがあるのかもしれないが、彼らの社会に悪があるのかを動物学者に聞いてみるといい。もしかしたら悪の萌芽程度を見つけるかもしれないが、所詮萌芽でしかなく、それ以上成長することはない。極悪非道チンパンジーや血に飢えた殺猿鬼ゴリラを想像するのは難しい。もし、人間が神から直接創られたのではなく、猿の祖先から分かれて進化したということを信じるならば、進化の過程のどこかで悪は生まれたはずなのである。原始の時代、人間が手にしていたのが粗末な石器程度かそれ以下の時代、今日食べることだけに精一杯で命以外に大切なものがなかった時代、悪は存在しえただろうか。生きるための戦いはあったろう、食料をめぐって、縄張りをめぐって、女をめぐって。しかしその戦いは、単に相手を追い払えばよかった筈で、徹底的な殺戮まで行っていたとは考えにくい。原始時代の人間は、せいぜい動物の持っていた萌芽程度の悪を持っているぐらいだった、と言えるだろう。人間はひとりでは弱い存在である。複数の人間がグループを作って協力し合わなければ、外敵から身を守れず獲物を得ることもできない。戦いよりも協調し合わなければ、生きることはできなかった。実際、地球上の辺境の地で文明の発展から途絶されていた人々の生活は、これもまたテレビで放映されたりするのであるが、概しておとなしく、穏やかな生活をしているように見受けられる。そこでは、人は協力し合わなければ死んでしまうのである。どうしようもない女好きの原始人はいただろうけれども、冷酷残忍な原始人の存在を想像することは難しい。
 そういった狩猟中心の石器時代に、穀物の栽培をはじめた大天才がいた。彼によって編み出された穀物栽培法は、他の人々や子孫にに受け継がれ、次第に大規模なものとなった。食料に余剰が生じ、それを生み出す豊かな耕地ができ、つまり社会に富というものが生まれた。まじめに一生懸命働くものは多くの富を手にした。さらには腕力の強いもの、口の達者なものもいる。富は、社会の中では必ずその分配に偏りがでるのである。そのときに人々の心に何が生まれるか。
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(以下引用)四五〇万年の歴史の中で、人類は、食料採取の段階において人を殺すことはあった。しかし、巨視的に見れば農耕社会とともに戦いが始まった、とみてよいだろう。しかし、そうではなく、食料採取段階に戦いの始まりを認める立場にたった場合にも、農耕社会に入ることによって戦いが変質し本格化したことは否めない。四五〇万年の経過の中で八〇〇〇年という戦いの歴史。それは翻訳すると四・五メートルのなかの八ミリである。(引用終わり ヒトはいつ戦い始めたか 戦争の考古学 佐原真の仕事4 岩波書店)
 余剰の食料は農業に従事しないでもよい人間を生み出した。武器を作る人、戦う人、そして支配者である。富が社会に蓄積されればされるほど、戦争という大規模な殺戮が行われるようになった。つまり、富の反義語は、悪、なのだと思う。人類が余剰の食料を、つまり富を手にしている限り、この世から悪が消えることはない。エデンの園でアダムとエバに蛇が勧めたのはりんごであったが、本当は蛇が人間にもたらしたものは、米や麦だった。人間は米や麦の味わうことで、本当の悪を知ることになる。
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 人間が争いをやめてこの世から悪が消失するのは、人類の文明が終焉し、余剰の食料をすべて失ったときであろう。人類最後に生き残った二人は、ひざから下を砂に埋めて互いに棍棒で殴りあうのではなく、互いに両手を携えて空を見上げ、来るべきものが来るのを静かに待つに違いないと、私は思う。

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