ジブリ映画「コクリコ坂から」を見て

 この前の、と言ってもだいぶ前になってしまったが、日曜日に妻と娘2人をつれてジブリの映画「コクリコ坂から」を見に行った。
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 私はジブリが大好きで、ジブリ映画が封切されるといつも一家そろって映画館で見ることにしている。今回は偉大な父親である宮崎駿の脚本に、息子吾郎が監督をするとのこと。おまけに題材は昭和の30年代で、父親が昔から構想を温めていたものだそうである。偉大な父親に突きつけられた問題用紙に、四十過ぎの息子が冷や汗たらしながら解答を書いているようで、なんだか気の毒だなと思う。それとも前作の散々な評判で意気消沈した息子を、父親が全面的にバックアップしたというべきなのか。息子というものは親の作った殻を破って巣立つことで自己を確立するものというころがあるが、あまりにも親が偉大すぎるので、その殻を破るだけの才覚がこの監督にあるのかどうか。同じ土俵で戦えば比較されるのが運命だし、わかっていながらそんな職業を選んだのだから仕方がない。親の七光りで世襲した凡庸な2世政治家のようだと言われないためには、俺がやりたいことはこういうことなんだ!という強烈な主張をしなければならない、と私は思うのだが、その辺の押しが今一つだったように思う。ジブリには小さな子供が見ても絶対安心という制約があり、数多くの多くのタブーが存在するので、作る側は気を使うのだろうけれども、もっと大胆にならなくては。

 映画のストーリーを一言で表すと、自己発見をしながら人を好きになっていく少女の物語、とでもいったものだろうか。そこそこ楽しめるが、あと一歩物足りない感じが残る。主人公はおきまりのかわいい女の子(松崎海)。今回の主人公はちょっと元気がない。素直で、愛されていて、自分の感情を素直に表現しても安全な世界の住人。他の登場人物達も善良な人たちばかり、思いやりに満ちた暖かい空気に包まれて、いつでも心が通じる会話のできる、ありえない理想の世界。毒のない純粋培養。だいたい登場人物が、大学教授、研修医、画家、船長、理事長、学校のリーダー的存在、だなんて。立派な人ばかりで普通の人がいないではないか。こんなに善人ばかりで構成されている世間などは現在にも、過去にも、どこにもなかった。高度成長期に入る前の昭和30年代を描いた最近の他の映画などにも言えることだが、おじさんたちのノスタルジアの世界を、若い人は理想郷に変えてしまっている。父親の世代への信仰告白を見ているようで、何か情けない。確かに、戦争ですべては破壊され、傷ついた者同士、経済的にもある程度の平等があって、努力次第で豊かになれると言う、夢が描けた時代ではあったが、だからといって人の心まで豊かだったわけではないだろう。
 あまりいい時代ではなかった。この時代の人はもっと権威主義的で、多少の横暴には黙ってしまう人が多かった。女性の立場は今より弱く、不理尽に我慢させられたことが多かった。女の癖になにを言っとるんだ、の男の一言が通用してしまうことが多かったのではないだろうか。衛生状態は悪く、病気は今より恐ろしく、医者は威張っていた。寄生虫を腹の中に飼っている人。いつも鼻をたらして袖でがてかっている子供。小奇麗な服がいつも着れたわけではない。つぎはぎのある服を大事に着ることはよくあることで、風呂は週2-3回、頭は週1回洗えればよかった。社会保障は貧弱で、寡婦や障害者など弱いものは切り捨てられていた。男尊女卑、差別、偏見、握りつぶされる少数意見、気性が粗く喧嘩早い人たち。いろんなマイナス面があったのに、昔の日本にはそういったものがまったくなかったとでも言うように映画はつくられている。

 「コクリコ坂から」では、主人公海と上級生俊の出会いと恋が描かれる。それに高校クラブハウスである男の巣窟カルチエラタンと、下宿屋である女の園コクリコ荘の話がからんで物語は進行する。時代の雰囲気を出すためなのだろうけれども、ストーリー展開に必須と思われないエピソードが多すぎたように思う。研修医の話や画家の絵など、コクリコ荘の住人のエピソードを語る必然性はどこまであったのだろう。カルチエラタンの話も分量が多すぎないか。話が散漫になった印象を持った。逆にこの映画の主軸の話である海と俊の物語の展開が、あっさりしすぎて肩透かしを食らった。そもそもジブリの少年少女の物語は、グリムなどの昔話でもよくあるパターンの、困難を知恵と勇気で克服する成長物語だった。今回の映画で主役の2人の冒険はあっさりしている、というか冒険になっていない。いったい何が2人の間であったろうか。掃除しようと言いました、ガリ版擦りをしました、好きな人ができました、理事長に会いに行きました、何があってもあなたが好き。それから?映画を支える背骨にしてはちょっと弱すぎないか。唯一恋の障害になった自分のルーツについての謎は、やさしいお母さんに聞いて、あっけなく解決してしまった。それがまた最後の場面で父親たちの友人の船長の昔話で繰り返される。あれ、これで終わってしまうの?一つの映画を見終わった達成感がない。結局、問題は親の世代に全部解決してもらったんじゃないか。そんなに親に気を使わなくてもよいのに。
 風間俊が飛び降りる幻影はよかった。松崎海がお父さんのための旗を見上げていると、まるでお父さんの代わりに俊が飛び降りてきたように、幻影が見えたところはよかった。
 俊と水沼の男2人の組み合わせだが、バンカラの感じを出したかったのかもしれないが、お上品に垢抜けていた印象のほうが強い。3年間着つぶしたはずの制服のヨレヨレ感がなかったこともあるだろう。高校生男子2人のコンビと言えば映画「海が聞こえる」を思い起こしてしまうのだが、「海が聞こえる」のほうが登場人物に現実感があった。(海が聞こえるは 宮崎駿がジブリの若手に映画作りを完全に任せたものだが、出来上がった代物は肝心かなめのところが理解不能で観客の共感を得られなかった。興行的にも失敗し、宮崎駿はこれ以降若い人の力に懐疑的になったのではないか。主人公たちはジブリにはないキャラクターで面白いのだが、私にはなぜこの物語が実写ではなくアニメなのかという理由がわからなかった。)生徒の一糸乱れぬ団結も、映画を面白く見せようとしたのだろうが、現実感からは程遠い。服装がきれい過ぎるし、みんな何の悩みもない問題のない優等生にみえた。
カルチエラタンの描写は面白かった。汚くて、臭そうで、猥雑さがあったらもっとよかったが、ジブリに加わった新しいイメージと言える。せっかく大人の作った世界に対抗できるイメージを作っておきながら、結局はきれいに掃除して大人に迎合してしまうなんて、ちょっとがっかりした。博物館入りをしたジブリの象徴のようだ。逆にもっと混沌とした感じを突き詰めれたほうがよかったのではないか。


 文句ばかり言っていてごめんなさい。
 映画で一番大切なもの、アニメで一番大切なものは、ストーリー、物語であると私は思う。アニメは、アニメでしか表現できない世界を追及すべきだ。もし自分が監督だったら、どんな映画にするだろう。私の頭の中では、妄想が勝手に動き出す。そいつが暴走を始めるといつだって止まらなくなる。
たとえば、こんなふうに。

 主人公松崎海の母親良子は大学教授などではなくて、平凡な女。夫雄一郎は婿養子だったが、娘の海が生まれた後、乗っていた船が沈んで死んでしまった。良子はそのまま松崎の実家に住み、今は娘を日本において、ボーイフレンドについてアメリカに行ってしまった。娘は母親に見捨てられた感じを強く持ち、母とはうまくいっていない。だから死んだ父雄一郎を理想化し、心の中で父親と会話することで自分をなぐさめている。毎日海の見える庭に旗を上げ、命日にはお供えをし、線香を上げて一人長時間祈っている。心の中では父親が死んだことを認めることができない。同級生の男子などに基本的に興味はない。
 学校の昼休み、海は友人たちと一緒に昼食を食べるのだが、言葉づかいは丁寧で周りからすこし浮いた存在である。男子生徒達の掛け声とともに、カルチエラタンから建物存続を訴える垂れ幕が下りる。窓から2階屋根に風間俊が出てくる。俊の服は汚れてきたなく、眼は座っている。本気でやる気かー、と冷やかしていた同級生達も途中から、やめろ、危ないからやめろ、と俊を止めようとする。俊は飛び降り、悲鳴が上がるのだが、俊は奇跡的に木の枝から池に落ちてけがをしない。助けようと走り寄る人達のなかに海もいる。髪の薄いめがねの教頭先生が駆け寄ってきて、何やってんだ、この馬鹿は!とどなる。俊は、いいんだ、俺はどうなってもいい、あんたには関係ないだろ、と毒づく。助けようとする友人たちの手をはじめは振り払っていたが、海が手を差し伸べているのに気がつくと、はっとして急に態度が改まり、黙って海の手を握って素直に池から出た。
 海の住んでいる松崎家はコクリコ荘という下宿屋をしている。祖母の家で、昔はその1室を海の父母が借りて住んでいた。下宿の朝夕の食事当番として海は働いているのだが、いやいやながらやっており、祖母からはよく小言をもらっている。その日下宿人の食事に対する何気ない一言で海は突然激高し、準備を放り出して家を飛び出した。夜のネオンのぎらつく繁華街を当てもなく歩き、路地にたたずんでいると、よっぱらいの男たちが絡んでくる。そこに俊が通りかかり、とっさにがらの悪い男達をつきとばし、ひるんだところを俊は海の手を引っぱって走って逃げる。途中で海は手を振りほどく。俊は海を自宅に送り届けるが、海の態度は何かに怒っているようにそっけない。夕食は誰かが作ってくれていたらしく、もうかたづけがすんでいる。自分の分の夕食に見向きもせず、海は自分の部屋に入る。じっと自分の手を見て、ついで父親の写真を見ている。なんで私を置いて先に死んでしまったの、とぽつりと言う。
翌朝の食事は何事もなかったかのように海が作る。ほっとする下宿人たち。
 妹の空が生徒会長水沼の写真にサインがほしいと海に頼みこんで、2人でカルチエラタンにでかける。そこでの海と俊の再会。俊はカルチエラタンの中ではやたら元気がいい。取り壊し計画があることを知った海は、きれいにして大事にすれば存続するのではないかと提案。女子をふくめた大掃除が始まる。はじめは俊や海などの少人数ではじめ、日ごとにだんだん参加者が増えていく。やたらに海のことを気にして話しかける俊に対していらついて、一体あなたが私に何のかかわりがあるの、と言ってしまう海。それに対して俊は、これを見て、と古い一枚の白黒写真を見せる。大人の男が二人笑っていて、その前に泣いている赤ん坊を抱いてびっくりした顔をした女の子。その計4人が写っている。俊は写真の男の一人を指差して、海に言う。この人は僕の本当の父親、立花洋で、隣にいるのが父の友人、赤ん坊は僕さ。小さいときから家にある写真で、この写真を撮った後、父とこの友人は乗っていた船が沈んで一緒に死んでしまった。その知らせを聞いたショックで、出産後間もない僕の母親も病気になって死んだんだ。孤児となった僕は、風間の家に養子としてもらわれて育てられた。写真の中の女の子が誰なのかは、誰に聞いてもわからなかった。・・・この写真を見ていた海は驚いた。この女の子が海にそっくりなのである。自分としか思えない女の子が写っていることに加え、その俊の父の親友という人を見て海はさらに驚く。この人、多分私のお父さんだと思う。えっ、目を合わせる2人。いったい何なの、この写真。共通の秘密を持って、急に意識しあいだす2人。
 部屋を一緒に掃除していた海と俊は、部屋の模様替えをしようと、ある本棚を動かす。するとその背後に見たこともないドアが出現する。目を見合わせる海と俊。二人はドアを開けて、少しためらった後続きの部屋に入る。
 そこはがらんとした窓のない小部屋になっていて、くもの巣が張ってほこりだらけ。向こうの壁にもう一つの扉があり、部屋を横切ってその扉を開けると、カルチエラタンの別の部屋になっている。しかしそこはきれいに整頓されていていつものカルチエラタンとは様子が違う。2人はおそるおそるその空間に踏み出す。(背後の小部屋の最初の入り口の扉が閉まる)建物の中はきれいだが、誰もいない。建物の外に出てみる。町の様子はいつものと違っている。鉄筋だったはずの建物は低い木造建築。海岸通に出てみると、そこは軍服を着た帰還兵のいる終戦後の昔の町になっている。驚いた2人はあわててカルチエラタンに戻り、例の部屋から元の世界に戻る。
 カルチエラタンの掃除もだいぶ行き届いた。理事長を呼ぼうと俊が提案し水沼を説き伏せる。俊、水沼、海の3人で理事長のところに行く。理事長への俊の説明は不器用で、彼は目に涙を浮かべまでして存続を訴える。理事長ははじめは迷惑そうにしていたが、最後には仕方なく高校に行くことを約束する。その夜海が自宅に帰ってみると、海の母親がアメリカから帰っている。土産をどっさり積み上げ、得意気におしゃべりし、急に母親顔をしていろいろと指図をはじめた母親に海は反発して、今まで放っておいて何よ。お父さんが生きていれば、こんなことにはならなかった、と大喧嘩となった。海は家を飛び出した。お父さんに会いに行く、お父さんが死なないように、運命を変えてみせる、と母に向かって怒鳴る。急に心配顔になる母親。
 海はコクリコ坂を駆け下り、学校のカルチエラタンに走りこむ。例の部屋にある本棚を動かし、小部屋を通って過去の町に行く。夜、風が強い。海岸通を歩き、コクリコ坂を登り自宅のコクリコ荘に向かうと、ちょうど家からでてくる父親雄一郎に出会う。あの、と声をかけようとするが、一升瓶を持って鼻歌を歌う上機嫌の父親は、急いでいて海に気づかない。ついていくとある小さな家に入っていく。表札には立花洋とある。父は赤ん坊が生まれたことのお祝いに行ったのだった。海は庭に忍び込んで、開け放しの掃きだし窓から見える中の様子を伺っている。立花の妻は出産後でぐったり寝ているが、男2人は酒が入って陽気に騒いでいる。立花は、子供の名前は、俊、と名づけた、という。それを聞いて驚く海。お前のところは女の子だったなあ。どうだ、将来結婚させるか、と2人で大笑いしている。海は会いに行きたくて声をかけようにもどうしようもない。
 そのとき町中からけたたましく半鐘が鳴り響いた。火事だと町中が騒ぎになり、あわてて男たちは出て行ってしまう。海も後を追うが、町の通りのごった返す人の波ですぐに見失う。急に風向きが変わり、火の粉が盛んにこちらに飛んできて、たちまちあちこちに飛び火する。悲鳴、どなり声、けたたましい半鐘。立花の家にも火がつき、海は家の中に駆け込んで、赤ん坊を抱き、よろよろする立花の妻を支えながら燃えさかる町をにげる。走る消防団の人、家財道具を持って逃げる人、野次馬等でごった返している。力を振り絞ってコクリコ坂をのぼる。俊の母親は青い顔で冷や汗をたらしている。ようやく自宅につくと若いころの母親良子がでてきて、あわてて俊の母親を介抱して部屋に寝かせる。良子にも生まれたての赤ん坊がいて、海、海、と呼びかけている。あなた、ちょっとこの子もいっしょに見ていてくださらないかしら。並んで寝ている赤ん坊の海と俊を、あやしたりおむつがえなど世話をする海。そこへ血相を変えて男たちがやってくる。ここにいたのかっ!あんたが連れてきてくれたんだね!ありがとうっ!みなは海の手を握って礼を言うのだが、父親雄一郎は海の顔を、あれっというような不思議な顔で見る。なんだかうちのかあちゃんににているよなあ。名前はなんていうんだい。海は、う、う、うめです、と答えた。そう、梅ちゃんか、ちょっと古風な名前だねえ、家は焼けたのかと聞かれ、こくりと頭を下げる。ご家族は?ちょうど旅行していて不在でした。そうか、今晩はここに泊まっていきな。その間にも家を焼かれた知り合いが続々たずねてくる。その人たちをとめるため、その夜は父母と生まれたばかりの自分と一緒の部屋で海は寝る。夜中泣き声をあげる赤ん坊の海を母親があやし、乳を与えている。布団の中で涙を流す海。
 次の日の朝は母良子と一緒に朝ごはんを作る。母親にやさしくされ、父親にいろいろと話しかけられて、幸福感でいっぱいになる海。実の父母と一緒に食べる朝食。朝食後父親雄一郎と親友立花洋はほんの思いつきで、助けてくれた恩人と記念写真を撮ろうと、写真館へと強引に海をひっぱりだす。立花が抱いていた赤ん坊の俊を海は強引に抱かせられて、4人で記念撮影をした。その日の午後は雄一郎と立花の乗る船の出航の日。日付を聞いて海は驚く。もうすぐ父の命日、ということはこれが最後の出航になる。行かないで、と父親に泣いて懇願する海。急に取り乱した海に皆は困惑する。これは前から決まっていた約束なのだから、と父親はさとす。そして雄一郎、立花洋は出発の支度をし、赤ん坊を連れた2人の母親たちと一緒に、海は港に見送りに行くことになった。港ではタグボートが迎えに来る。そこに高校生の俊が息を切らして登場。探したよ、こんなところにいたのか。男たちは、おや、ボーイフレンドが迎えに来たよ、と海を冷やかす。君の名前は、風間俊です。おや、偶然だ、俺の子と同じ名前だ、という立花洋。俊はその男の顔を見て驚き、海の顔を見ると海はうなづく。急に真剣になり、お父さん、行かないで、と思わず言う俊。男たちは一瞬びっくりした後、大笑いしながらタグボートに乗ってしまう。大丈夫だよ、俺達は死にはしない、約束するよ、満面の笑顔で手を振り男たちは行ってしまった。岸壁で呆然と見送る海と俊。
 コクリコ荘に帰る道すがら、俊の母親は息遣いが激しい。俊は母親から赤ん坊の俊を受け取る。海も母親から赤ん坊の海を手渡される。母良子は息を切らしている俊の母親を支えて歩く。それぞれ赤ん坊の自分を抱いてコクリコ坂を登る二人。夕日を浴びて坂が輝いている。ひなげしが風に揺れて、花びらがはらりはらりと散っている。しばらくして海は言う。お父さんは死んだのね、この子に、お父さんはいないのね。なんてかわいそうな子。 大切にしないと、この子は壊れてしまうわ。いつかきっと壊れてしまうわ。運命を変えることなんて、できないのね。俊は言う。でもね、僕たちのこれからの運命は、きっと僕たちが変えることができよ。僕たちは2人でなら、この赤ちゃん達を幸せにすることができるよ。僕は、小さいころからあの写真を見ていたんだ、この人に会いたいってずっと思っていたんだ。そして会えた。本当に会えた。もう2度と離れたくないんだ。・・・涙を流しながらうなづく海。
 2人がコクリコ荘の入り口につくと、蒼白で息が苦しそうな俊の母と彼女を支える海の母親が、後からゆっくり坂を上ってくる。赤ん坊が泣きだして、それを聞きつけたコクリコ荘の人達がどやどややってきた。俊の母の布団が用意され寝かされる。俊は赤ん坊の俊を母親に渡す。海は赤ん坊の海を母良子に渡す。それぞれの母はわが子を抱いて、あやしながら乳を含ませている。俊と海はしばらくそれを見ていた後、母親達に別れを告げる。また遊びにきてよね。ええ、またきます。2人は笑顔でコクリコ坂を手をつないで駆け下り、高校のカルチエラタンに入っていく。
 ちょうど理事長がカルチエラタンの視察に来ている。みなが整列してしんとしている所に本棚をがたがたがたと倒して転がり出てきた2人。生徒たちははやし立て、2人の周りに集まって大騒ぎになった。いったい2人でどこに行っていたのだと教頭はかんかんに怒り出す。理事長は手を上げてそれを制し、どこにいたのか案内しなさい、という。二人は本棚の後ろの扉を通って小部屋に入り、過去につながる扉を見せる。理事長が扉をあけると、そこにはただ壁があるだけでその先の空間はない。何もないじゃないか、と再び怒る教頭。そうだ、そうだったなと理事長は一人うなづいている。ここは必要としているものにのみ扉を開けてくれる秘密の場所だ。昔君たちと同じようなことがあった。・・・この部屋に入れないように本棚を置いたのは、この私なのだよ。教頭、この二人を許してあげなさい。やましいことは何もなかったと、私が保証する。みなに言おう、この建物はすばらしい建物だ。大切に保存して、われわれの後の世代に引き継いで行こうじゃないか。そして大歓声、そこに海の母良子が駆け込んでくる。泣きながら海に抱きつく。心配したよ、ごめんね海、お母さんがいけなかったのよ、ごめんね。海も、うん、もういいの、もういいのお母さん、と答える。俊が隣で微笑んでいる。
大団円めでたしめでたし。

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