竜安寺の石庭

 先日家族で京都旅行をし、竜安寺の石庭を見た。

 雨が多く緑の豊かな日本だからこそ石と砂が意味合いを持ってくる。砂漠に住む人たちに石と砂で庭を作る発想はないだろう。輝ける生もいつかは滅びることを古来日本人は四季を通じて学んできた。美しいが常に変化する植物を使わないことで永遠の概念を庭に取り入れる、それは作庭家のねらいの一つであったに違いない。
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 はじめてこの庭を見たとき、その石の小ささに驚いた。どこにでもありそうなありふれた石が使われていることは、すでに多くの人が指摘している。立派な大石を使うのに飽きた作庭家がわざと小さな石を使ったのか、平凡な石を使ってでも優れた庭ができる己の実力を誇示しようとしたのか、それとも単に予算がなくて間に合わせの石を使っただけなのか。石が小さいためだろうか、その間に広がる白砂の余白はかなり広い印象になる。平凡な感性の作庭家ならばもっとたくさんの石を置きたがるだろうに。

 庭は築地塀で囲まれている。塀の高さがこれよりも低ければ鑑賞者の注意が周囲に拡散してしまい、石の力を感じることが難しくなる。塀が高すぎれば、2倍3倍の高さの塀を想像すれば分かる通り、石の力は閉塞空間の中にこもって死んでしまう。石が力を失わないためのちょうどよい塀の高さ。石の力は鑑賞者の目の位置より上へと及ぶことができない。それより上は天の力が支配しているからだ。石庭は天と力の交流を持っている。天から力を受けて、そして天に力を返していく。もし鑑賞者がこのような石に固有の力、もしくはそれに類したものがあることを信じられなければ、庭をいくら見ていても時間の無駄だと私は思う。むろん写真では駄目で、石庭と直接対面しないとわからない。
 作庭家が庭を作る条件として与えられたものは、庭の広さ 空、背景、鑑賞者の位置。広大な空間を象徴させるためには石を小さくし、築地塀を低めにすることが必要だったのだろう。
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 北の建物の縁側から南に位置する石庭を見る場合、左の東端にあるのが一番大きな主岩で、かなめの石である。やや赤みを帯びた岩肌はごつごつと荒々しく、天に向かって突き上げていく力が強い。ぎりぎりにおかれた2つの添石はあまりの力で主岩が裂けて生成したようにもみえる。白砂の中に隠れる2つの石は主岩の力をまともに浴びないように沈み、地底で主岩とつながっているイメージもあって主岩にゆるぎない安定感をもたらしている。
この主岩は庭の中で最も強い力を持つ石である。主岩は他の石を圧倒し、この庭の空間を圧倒する。主岩は庭の力のみなもとであり、庭に流れ込む力の扉、天地からの力の通り道である。荒ぶる岩から出た力は竜のように踊りあがり、のたうちまわりながら奔流となって西側の石の群れへと殺到している。
 庭作りはまず主岩を選定し、位置や向きや角度などを決めることから始まる。はじめ主岩は中央奥にすえられたのではないだろうか。すると主岩から流れる力が左右に分かれていくのだが、左右の広がりが大きすぎて散漫になってしまう。岩の位置は次第に左の東の方に移動していった。結局ギリギリ左の端で主岩は移動を終え、そこから主岩の力が西に向かって流れていく庭の構図ができた。
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 この主岩の力を受けて立つのが西側の右手前に見える岩である。赤みを帯びた岩肌の荒々しさは主石と同質のもので、小さな添石でこれを支えているのも主岩に似ている。しかし主石より背が低く、まるで破壊されてしまっているようにもみえる。主岩の力をこの石だけではとても受けきれていない。
次に作庭家は西右手奥の石組を据えた。この石組は2つの相反する性格の石で構成されていて、石同士が反発力を秘めるおもしろい組み合わせだ。作庭家の遊び心だったのだろうか。この2つの石が主岩から出てくる圧倒的な力を支えるもう一つの支点になった。
 この庭の西端の2つの石群が主岩の力を受ける最終ラインだが、これだけの構図ではいかにも弱く、庭に力が流れていることを十分に表現できていない。そこでもう一つ、動きをもたらす石組が必要だった。西端の2つの石組より東よりの、力の流れの中に、すっくりと立つ石組である。力の奔流の中を倒されまいと頑張って立つ石で、2つの添石がそれを支えている。流れが石に当たってしぶきが飛び散っているのが見えるではないか。最終的にはこの3群の石組で、主岩の力を西側で受けることになった。

 東の主岩から流れ出る力をどうこの西側の岩群で支えるか、ここまでのところは作庭家が一連の考えの中でできたことであったろう。岩を少し動かしては考え、又少し動かしては考え、作業を中断したまま考え込んでいる作者の背中が見える気がする。そしてようやく、主岩から発した力の流れを分流して西の岩で受ける形が出来上がった。しかし重大な問題が残っていた。中央に残る大きな空白の処理である。主岩の力の奔流があふれる場所だが、このままではいかにも散漫である。そうならないためにはどうしたらよいか。この最後の問題には発想の転換が必要で、作庭家は相当の知恵を絞ったのではないだろうか。
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 作庭家が最後に据えた石は庭の中央やや左の塀の際にある。石は寝ているし添石はかわいらしく、ほかの石とは明らかに性格が違う。力の流れの淵にあり、左右の石群をつないでいる。私は京都の周りの山を連想した。世界の果ての象徴、この世とあの世の彼岸の象徴。この石組は主岩の力の流れが南の向こう側に流れ出ていくのを防いでいる。さらに鑑賞者と相対面し、鑑賞者と庭とのバランスを保とうとしている石なのではあるまいか。
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 作庭家は鑑賞者を、庭を上から見下ろす神の位置に据えたかったろうか。たぶんそうではあるまい。鑑賞者は庭と同じ空間の中にいる。この庭の石の配置は全体の重心がずれているので、庭が南の方へと傾いてしまうバランスの悪いものだ。作庭家は実は庭を未完のままにしてある。庭を完成させるのは実は鑑賞者である。と言うのも、鑑賞者がじっと岩を見て、岩と対話し、岩と力のやり取りをするようになって自分自身がもう一つの岩であると感じる、その時になって初めてバランスが取れて庭が完成するのだと思う。庭の石は15個ではない。鑑賞者という16番目の石がないと、この庭の空間は崩れてしまう。
 どこから見ていても岩が一つ隠れて見えない工夫などは、作庭の過程の、ほんの余興にしか過ぎなかったろう。

 作庭家は、庭を見るものの夢想を邪魔しないように、自分自身の存在を歴史から消してしまった。自分の存在が消えることで、庭が普遍的な意味を持つようになるだろうと計算してのことに違いない。作庭家のねらい通り、鑑賞者達は古来この庭に自由な発想をしてきた。大海を見たり、大自然を見たり、宇宙、時代、時の流れ、虎、人間界の在り様をこの庭に見る人もいた。感じることさえできれば、発想は何でも許される。私のこの文章にしたところで庭を眺めていた時の空想にすぎず、何の根拠もないいいかげんなものだ。たぶん色々な発想を始めた時点で、作庭家の術中にはまってしまったということなのだろう。
 言葉という手段でどんなに詳細な解釈をしてみてもしきれないものが残るのは当たり前である。作庭家は庭でしか語れないもの、石と砂だけでしか語れないものを目指したわけなのだから、それを言葉に置き換えようとすること自体に無理がある。

 初めて庭を見た時、それぞれの石は小さく、孤独に見えた。でも見ていると、石と石との間につながりのあることが次第にわかってきた。石はそれぞれ組石を持っていて、力強い主岩すらおのれ一つだけでは生きることができない。そして組石と組石との間には濃密な交流があって、さらにそれが鑑賞者とつながっていくことができてはじめて石庭が生きてくる。庭が作られる前はただばらばらに転がっていただけの石であったのが、いまでは庭の中で永遠の命を保っている。じっと庭を見ていた私の脇で、私の子供たちはすっかり退屈してしまった。立ち上がって子供の手をとり帰る時、作庭家から、そのつながりを大事になさい、私たちは一人だけでは生きていけないのだから、と背後から話しかけられたような気がした。

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