フェルメール地理学者とオランダ・フランドル絵画展

 この展覧会には行くつもりが無かったのだが、レンブラントの絵が来ているにに気がついて、会期も終わり近くになって行ってみる気になった。
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 フェルメールのブームはまだ続いているのだろうか。絵の数が少ないので希少価値があるそうだが、すべてがすべてよい絵だという訳ではないだろう。私も好きな絵がいくつかあって、デルフトの風景などは死ぬまでに一度見ておきたいと思っているほどだが、残念なことに地理学者の絵にはあまり共感を覚えない。室内は変に明るすぎて学者の書斎ではないし、人物は若造過ぎてその人となりを連想させる手がかりが何もない。
 フェルメールの絵は展覧会一番の人気の絵であるから人だかりがしている。実際に見たフェルメールの絵は想像していたものよりずっと美しかった。空間をよく捉えていたし、色彩も印刷物よりもみずみずしかった。やっぱり絵は本物を見ないとわからない。
 前列で見るためには並ばなければならないのでそれははじめからあきらめて、後ろから絵を人の隙間から見て、ちょうど椅子が空いたので座った。きれいな絵だなー、と眺めていたが、なにせこの人だかりがうっとうしい。おばさん軍団が、信じられないくらいきれい、とか、なんてすばらしい表現、とか、あの色の調和がどうたらこうたら、などと大声でかしましい。一方せっかく時間をかけて並んだのに解説の文章ばかり一生懸命読んでいて、絵の方は一瞥するだけでそそくさと次の絵の解説を見に行くおじさんもいる。しかしどちらかと言えば若い人が多いようだ。絵を一人で見に来る女性はたいてい知性的で落ち着いた感じ、それも美人さんが多いのでうれしい。なかには場にそぐわないカップルもいて、ピアスだらけの男は服の金物をジャラジャラさせていて、女の子の方はひらひらの超ミニスカートだったりする。男の子といちゃいちゃしながらフェルメールの順番を待って、絵の前まで来ると、女の子は絵をよく見ようと手すりからぐーんと前かがみになっていく。おっ、おっ、おっ・・・・と見えない。っていったい何を見に行ったんだか。絵画展の愉しみ方は人それぞれだ。
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 レンブラントの絵はダビデの命を狙うサウル王の絵であった。紀元前1000年と少し前、サウルは古代イスラエル王国を建国した初代の王である。王はダビデという才能豊かな若者をはじめのうちは寵愛していた。ダビデは詩を作り(旧約聖書の詩編に彼の詩がある)音楽の才能豊かで竪琴を得意とし、さらには甲胄無しでペリシテ人の大男ゴリアテと戦って勝利した(有名なミケランジェロの像がある)。彼の人気が高まると、サウル王はそれを嫉妬してダビデを殺そうとする。ダビデはペリシテの地に逃れそこで傭兵隊長をしていた。サウルは宿敵ペリシテ人との戦いに傷つき自害して果てたが、ダビデは偶然その戦いには参加しておらず、混乱するイスラエル王国を再統一して王国の栄華の基礎を築いたのである。
 偉かったけれどちょっと難ありのサウル王の、嫉妬の中から殺意が芽生える一瞬の表情をとらえたのがレンブラントの絵だ。憎しみがわきあがってくる時間までをも描きこんだようなその緊迫感といい、人間の醜い心理を描いたその手腕といい、絵画展で前後に並ぶ絵とは一線を画すものだった。これを鋭いと感じるか、えげつないと感じるか。サウル王の傲慢さと、どんなもんだと自信たっぷりふんぞり返るレンブラントの傲慢さが重なって見えるようで、いささか疲れてしまった。
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 絵画展の後半はだんだん人も少なくなりゆったり見られるようになる。ふとある風景画の前で釘付けになってしまった。作者はロイスダール、昔聞いたことのある名前、ロイスダール、もしくはライスダールじゃないか。単なる風景の描写ではなくて、何かがそこに潜んでいそうな意味深な絵をかく。暗い森の中で灯りのついた小屋、だんだんに流れ落ちる滝、動き出しそうなあやしい雲行き、物いいたげな木々のこずえ。見ている者が絵の中に誘われて、それぞれが持つ物語が呼び覚まされてしまうような絵をかいた。この 街灯のあるハールレムの冬 という絵では特にそうだ。遠い町に向かって歩いているのは老夫婦か、その向こうには家族連れが見える。手前の街灯にはもうすぐ火が入ろうかという冬の日の夕刻。この遠い道に人生を重ね合わせて解釈する人は多いに違いない。街灯の解釈もいろいろできそうだ。まるでフリードリヒの絵のような象徴的な意味に満ちているがフリードリヒより150年も昔の人だ。ロイスダールと言う人は精神的にはだいたいバランスが取れている人だったのではなかろうか。でもその中になにか調和をみだすもの、欠けているもの、満たされないものがあって、それがために一生独自の風景表現を追い求めたのであろう。彼はなにか内面的なものに突き動かされていた。そんなことが見てとれる。
 この絵を見ながらふと思った。私にもこの絵の老夫婦のように、自分の心のそばによりそう心が一つほしかった。私のまわりにはかけがえのない人がいるにはいるが、残念ながら自分の魂のそばに魂が寄り添ったという実感を得ることは無かった。もともと私は一人でいることが好きな人間なのだから、自分の方から避けていたというのが本当のところなのであろうが。
 ロイスダールは自分の人生に満足していたのであろうか。

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