レンブラント 光の探求/闇の誘惑  国立西洋美術館

 レンブラントは1606年オランダのレイデンに生まれた。15歳頃から本格的に絵の修行をはじめ、またたく間に上達して19歳には共同ではあるがアトリエを構えるほどになる。才能と野心に満ちたこの男は次々と傑作をものにし、富と名声を手に入れていく。25歳(1631)でアムステルダムに移住、28歳(1634)で裕福なサスキア・アイレンビュルフと結婚。豪邸を購入し精力的な仕事をする一方で美術コレクターの浪費家でもあった。有名な「夜警」を完成したあたり(36歳、1642)が彼の得意の絶頂だった。この年サスキアが産後の肥立ちが悪く息子ティトゥスを残したまま死去している。その後次第にレンブラントの経済状態が悪化し、彼の人生に影が差し始める。彼は女なら誰でもよかったのだろうか、家政婦に次々と手を出している。最初の家政婦はヘルーチェ、人の財産に手をつけるような女で訴訟も起こされてレンブラントは苦労したようだ。次に手を出したのがヘンドリッキェ、彼女はつつましく控えめな女性で、彼は破産の後彼女と結婚した。彼の破産(50歳1656、邸宅が競売になるのが1658)は彼の浪費癖と、流行や注文主の意向を無視するため絵の注文が少なくなったこと、海運業投資の失敗にもよるようだ。1663(57歳)でヘンドリッキェが死去、1668(62歳)で最愛の息子ティトゥス死去。レンブラントは孤独のうちに1669年(63歳)に死んだ。
 彼の人生の前半は明るく、後半になるにつれて特に1656年の破産以降はかげりを見せるが、晩年にいたるまで忘れがたい傑作の数々を残している。今回は来ていないが、私などは晩年の自画像の前に立つとただただ圧倒されてしまう。
 今回の展覧会ではこれら重要な年代を注意しながら絵画を見ていった。

画像
   東洋風の衣装をまとう自画像(1631-33)
豪奢な服を身にまとい、デンと構える不敵な面構えではあるのだが、間の抜けた印象を持った。短足にみえる。犬が邪魔である。自分の足の位置が気にくわなかったレンブラントはそれをなんとかするために後から犬を加筆したという。この顔には、おのぼりさん、小生意気、俗物、成り上がり者、自信過剰がみえるように思う。この男はまだ何も知らない。人生の苦杯を1つ1つ飲み干す前の顔だ。

画像
   3本の木(1643)
単純に写真を撮るようにレンブラントが風景を描いたわけがない。この版画はサスキアの死の翌年に描かれている。
 3本の木は何の象徴か。 純潔、美、愛の三美神か。それとも父と子と聖霊の三位一体か。そうではあるまい。ギリシア・ローマ神話の運命の三女神モイライ、つまり生命の糸をつむぎ、長さを測り、切断する醜い老女神であろう。あるいはシェークスピアのマクベスの冒頭の妖婆たちのことか。

妖婆1 いつまたいっしょに落ち合おう、
    かみなり、いなずま、大あめに?
妖婆2 ばかな騒ぎがおわったら、
    いくさの勝負がきまったら。
妖婆3 日の入り前にはかたづくさ。
妖婆1 落ち合う場所は?
妖婆2         いつもの荒れ地。
妖婆3 あそこでマクベスを待ち伏せよう。
          (シェークスピア マクベス 第一幕第一場 三神勲訳)

 空は荒れて、雨が降りだしている。妖婆たちはレンブラントにむかって手招きし、レンブラントにサスキアの幻を見せた。そして彼の耳に永遠の名声をささやいた。絵の左下でくつろぐ恋人たち、これはサスキアとレンブラントの幻であろう。すでに妖婆は、レンブラントが愛する者達の命の糸を短く切っている。そして自信満々のレンブラントには、その眼ですべてを見とどけるようにと一番長い糸を与えた。

画像
   窓辺で描く自画像(1648)
最初の自画像とはまるで違う。虚飾を捨てた普段着の彼の顔である。じっと見つめる、さびしげな男の顔。どうしようもない人生を、そのまま引き受けてありのままを見つめようとしているのだろう。なにごともよく見えてしまうその眼にこちらが見られているようだ。

画像
   ヘンドリッキェ・ストッフェルス(1652)
 レンブラントの正式な妻サスキアはしばしば女神や歴史上の人物に擬せられている。モデルになるのに何の違和感も無かったように見えるサスキアには、どこと無く冷たさやよそよそしさがつきまとう。それに対し家政婦として働いていたヘンドリッケはやさしげで視線にきつさがない。正式の結婚をしていなかった彼女とレンブラントの仲は社会からたいへん非難されていて、妊娠した彼女は1654年に「画家レンブラントに対して淫売した」と訴えられている。この絵はその2年前のものだが、レンブラントは彼女を娼婦として描いた、と解説にある。本当なのだろうか。他人から淫売婦呼ばわりされる愛人を、開き直って娼婦になぞらえるなど、まともな神経の人にできることではない。このサスキアの待遇の差はなんだ? どうりでヘンドリッキェは困って戸惑った表情にもみえる。

画像
   病人たちを癒すキリスト(1648)
 どんな宗教にも、そこには奇跡の物語が必ずといっていいほど存在する。それを信じるものに救いの道が開かれ、信じられなければ地獄に落ちる。と、脅されているようでおもしろくない。新約聖書にも病人を癒すイエスの奇跡の話がたくさん出てくる。病人を癒された、病人は立って歩いた、あげくのはてに生き返ったとあり、私などは拒否反応が出る。やはり聖書は荒唐無稽のお話にしか過ぎない、と思う。
 しかしイエスが病人に向かって、あなたの罪は赦された、というくだりはわかる気がする。昔は、病気になるのは日頃の行いが悪いからで病気になったあなたが悪い、病気になると日々のお勤めができなくなりそれは重罪だ、と考えられていた。病人は病気の苦しみに加えて罪の苦しみを背負っていた。それをイエスは、病気のあなたは悪くない、すでにあなたの罪は赦されているのですよ、と言った。たとえ病気自体がよくならなくてもどんなに救われる人が多かったことか。その言葉で苦しみが減る人が多かったろうし、ストレスで身体症状が出ていた人は治ったかもしれない。治癒はできなくともケアはした、というところか。
 一歩ゆずってイエスが数々の奇跡を起こしていて人々を驚かせていたとしよう。聖書の話で納得がいかないのは、イエスの説教をあれほど喜んで聞いていた群集が、イエスの受難の場面では手のひらを返したようにイエスに憎しみの言葉を吐き辱める、このところだ。イエスを支持した人々は社会的な弱者で、反感を持っていたのは権力に近い人々ではあろう。それにしても、イエスに病気を治してもらいイエスの言葉に感動したたくさんの人達はいったいどこに行ってしまったのだ?命を助けてもらった多くの人達が傍観しているのはおかしくはないか。
レンブラントの版画では右側をイエスを信奉する人々、左側にはイエスに反感を持つ人がいる。右側は丁寧に、左をラフに描いて群衆が一様でなかったことを表現しようとしているそうだ。

画像
   3本の十字架(1653)
 信者のくせに遠藤周作は聖書の奇跡のところで引っかかっていたらしい。彼によれば、イエスは外面的な奇跡など何ひとつ起こさなかった、見て驚くような奇跡は何ひとつ起こらないまま、イエスは死んだ、しかし周りの人の心の中に内面的な奇跡を起こしたのだという。以下は彼の文章をなぞって書いてみた。
 
 ローマ帝国に支配されていた当時のユダヤにはローマに対する抵抗運動があった。当時のユダヤ人たちは支配者のローマと直接統治者の王との2重の税に苦しみ、不満や怒りを募らせていた。実際にローマに対する反乱が起きる第一次ユダヤ戦争は紀元66年であり、イエスの処刑は紀元30年頃とされている。ローマへの抵抗運動の先頭に立っていたのは洗礼者ヨハネであった。ヨハネは、神が怒り罰するという旧約聖書の神の姿を描いて過激な言動で民衆のリーダーになっていた。サロメの望みで彼がヘロデ王に処刑されてしまうと、独特の語りで人気が出ていたイエスが次の現世の救い主として祭り上げられていった。しかし、解放への大きな期待をよせた群集がイエスのいる山上に集まったところで聞いたのは、神の許しと愛という、彼らには予想できない言葉だった。
  
  心の貧しい人々は、幸である。
   天の国はその人たちのものである。
  悲しむ人々は、幸である。
   その人たちは慰められる。
     ・・・・・・・・・・・・
 群衆にとっては始めて聞く内容であったので、その言葉を理解することはできなかった。彼等はイエスに失望し、三々五々と山を降りて行った。使徒など一握りの人たちにはある程度の印象を残したのではあるが、彼らとて十分な理解はできず、ふがいないイエスに不満であった。その後も群集は現世での救いをイエスに期待したが、イエスは彼らの期待を裏切り続けた。群衆は次第にイエスに反感を持つようになり、イエスは身の危険を感じ覚悟を決める。ユダヤの祭である過越祭を前にしてエルサレムには不穏な空気が漂っていた。実際に騒ぎが起きて困るのは君臨するローマのピラト提督と実際の行政に携わる王である。抵抗運動のリーダーであったバラバをとらえてはみたが、彼には人気があり罰することができない。高まっている民衆の不満のはけ口のための何らかのいけにえが早急に必要で、それにイエスが選ばれたのである。そのためにはイエスが群集から見放されていることが条件だったので、当局はしばらくイエスを自由に泳がせて様子を見た。そして弟子である使徒達がイエスを裏切るに及んでから、取るに足らない理由でイエスを逮捕したのである。イエスを裏切ったのは実はユダだけではない、十二使徒全員がイエスを当局に売ったのである。まさか当局が何の犯罪も犯していないイエスを処刑するとは十二使徒は思っていなかったのであろう。しかし当局には民衆の関心をそらす熱狂的なイベントが必要だった。こうしてイエスは引き回しのうえゴルゴダの丘で磔の刑にされたのである。
 聖書の話の中で、この処刑に至る場面に外面的な奇跡は一切出てこない。しかし、この処刑の場面でこそ奇跡は起きたのだと遠藤周作は言う。裏切り者の使徒達は刑場の回りか近くにいたはずである。処刑されるイエスの言葉は彼らの最大の関心事であった。当然イエスは彼らにのろいの言葉を浴びせるだろうと思っていた。しかし驚くべきことにイエスは彼らを許した。そしてひたすら神に感謝した。十字架上の言葉「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」という言葉は実は旧約聖書の詩編の一節である。イエスはその続きを言おうとしていた。
(以下引用)
わたしの神よ、わたしの神よ
なぜわたしをお見捨てになるのか。
なぜわたしを遠く離れ、救おうとせず
嘆きも言葉も聞いてくださらないのか
  ・・・・・・
わたしを見る人は皆、わたしを嘲笑い
唇を突き出し、頭を振る
「主に頼んで救ってもらうがよい。
主が愛しておられるなら
  助けてくださるだろう」
  ・・・・・・
犬どもがわたしを取り囲み
さいなむ者が群がってわたしを囲み
  獅子のようにわたしの手足を砕く
骨が数えられる程になったわたしのからだを
  彼等はさらしものにして眺め
わたしの着物を分け
衣をとろうとしてくじを引く
  ・・・・・・
主は貧しい人の苦しみを
  決して侮られず、さげすまれません。
御顔を隠すことなく
助けを求める叫びを聞いて下さいます
それゆえ、わたしは大いなる集会で
  あなたに賛美をささげ
神を畏れる人々の前で満願の献げ物をささげます。
貧しい人は食べて満ち足り
主を尋ね求める人は主を賛美します。
いつまでも健やかな命が与えられますように。

地の果てまで
  すべての人が主を認め、御もとに立ち返り
国々の民が御前にひれ伏しますように。
  ・・・・・・
 (詩編22 聖書 新共同訳 日本聖書教会)

 使徒達にとっては衝撃であった。思いもよらぬ言葉であった。無実のイエスは彼らの罪を一身に背負い、彼らを許し、神に感謝しながら死んだのである。イエスの死後使徒達はイエスの思い出を語り合い、その言葉の一つ一つを記録していった。イエスの言葉を思う時、まるでイエスが彼らのそばにいて、彼らに語りかけているような気がしていた。
・・・イエスはすでに復活していたのである。彼らの心の中で。
 (参考文献:遠藤周作 私のイエス 祥伝社黄金文庫)

 レンブラントの版画の3本の十字架の場面では表面的には何の奇跡もおきていない。しかしここには新約聖書最大の奇跡がある。奇跡は必ず心の中でおきる。レンブラントの光は、心の中の光である。レンブラントの闇とは、心の闇のことである。

画像
   トビトとハンナ(1659)
 トビトの物語は聖書外典にあるのだそうだ。Annaと書いてハンナと読むらしい。
昔、アッシリアのニネヴェにトビトという敬虔なユダヤ人が、妻アンナと息子トビアスと一緒に暮らしていました。ある日トビトが昼寝をしていたとき、雀の糞が彼の目に落ち、彼の目は見えなくなってしまいました。死の近いことを感じたトビトは貸した金を取り立てるために、息子トビアスに旅立たせます。途中トビアスは天使ラファエロと出会い、天使とは知らずに2人連れになりました。トビアスがティグリス川で水浴びしていると、大きな魚が彼を食べようとしました。ラファエルの指示で魚を捕まえ、魔力のある心臓、肝臓、胆のうを取り出しました。目的地で金を集めたあと、天使のすすめる家に泊まりました。そこの娘はトビアスの花嫁になるはずでしたが、悪魔に取り付かれていたので彼女のそれまでの7人の婚約者達はすべて死んでいました。トビアスは魚の内臓を焼いて悪魔をはらい、2人はめでたくゴールインしました。ニネヴェに帰ったトビアスは胆のうで父の視力を取り戻しました。お礼を出された天使は自分の正体を明かし、父と子供はその前にひれ伏したのでありました。メデタシ、メデタシ。
(参考文献:ジェイムズ・ホール 西洋美術解読事典 河出書房新社1988)
 聖書というよりは民話に近い。このレンブラントの絵では闇が支配している。開いた窓から息子の姿が見えると解説には書いてあるが、私にはわからない。トビトは窓に背を向けて絶望しているし妻アンナは針仕事に夢中で夫のことなどどうでもよい。この絵に描かれているのは希望の物語なのだろうか。本当は息子は最後まで帰ってこなかったのではなかろうか。トビトの眼は再び開くことなくすべての希望を失った。レンブラントもまたすべてを失っていく。トビトとは違い彼の眼は最後まで見開いていた。レンブラントの眼、一度見たただけで忘れることのできない晩年の自画像の眼、何もかもが見えてしまうあの眼を見開いたまま、レンブラントは妻アンナならぬヘンドリッケが、息子トビアスならぬティトウスが死んでいくのを見とどけなければならなかった。

画像
   善きサマリア人(1633)
 ルカによる福音書にあるイエスのたとえ話の中の一つだ。ある人が追いはぎに身ぐるみはがれた後殴られて半殺しにされた。祭司などの通りがかりの人が皆見て見ぬふりをする中、事情を知らないサマリア人がこの男を助け、介抱して宿屋の主人にお金を渡して世話を頼む話だ。
 これは隣人愛の美しい物語なのか?もしかすると違うのかもしれない。殴られて半殺しにされた男は札付きのワルだったのかもしれない。だから誰も助けなかったのかもしれない。知らないふりをして親切面でこの男を介抱し、わずかばかりの金で宿屋の主人に押し付けるこのサマリア人は偽善者ではないのか。いい気になっているのではないか。ヒーローにでもなりたいのか。レンブラントはこの物語に不純なものを嗅ぎ取ったに違いない。画面の右下で犬が踏ん張って排泄している。

 私もまた偽善者だ。まもなく私はサマリア人として出発する。供にはこの犬を連れて行こう。私の行く先々で、私の顔を見ながら、この犬は糞をすることだろう。

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 1

ナイス

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック