酒井抱一

「酒井抱一生誕250年 琳派芸術――光悦 宗達から江戸琳派」第2部転生する美の世界 出光美術館  
冬季展「生誕250年 酒井抱一 ――琳派の華――」畠山記念館 で酒井抱一(1761-1828)の絵をみた。江戸絵画などはまともに見たことがほとんどなかったので、おもしろくすごすことができた。

 画家が姫路の白鷺城の酒井家の殿様の次男であることにおどろく。たしか円山応挙(1733-1795)は農民の出身であったから、江戸絵画の世界では身分制度というものが無く、殿様も農民も同じ土俵の上で勝負する実力がものをいう世界であったわけだ。もちろん資金力に大きな差があるから、平等にと言うわけではなかったろう。酒井抱一は当時の最高の教育を受けながら、将来藩主になる必要はない余計な人であった。若いころは江戸屋敷から吉原に入り浸り、好きな俳句や浮世絵を描いて遊んでいた。「尻焼猿人」などというペンネームで狂歌を詠んでいたこともあったようだ。他大名から養子の話があって、殿様になる道もあったのだが、彼はそれを断って好き勝手をしていた。姫路藩主の兄が早世して藩の体制が甥を中心とした若い世代に変わると、邪魔になった抱一は出家させられてしまう。とはいっても抱一にとってみれば藩からは食うに困らぬ経済援助をもらい、仏の道に精進するわけでもなく、さらに自由を公認されて都合がよかったろう。
 そうはいってもいつまでも遊んでいるわけにもいかず、松平定信の寛政の改革で世の中の浮かれた気分がなくなると、自己の進むべき道を新たに模索しだす。そこで出会ったのが100年前に生きた尾形光琳の作品である。もともと酒井家にも光琳の作品が伝えられていて素地はあったのだが、その作品世界にのめりこむようになる。尾形光琳の100回忌を催し、回顧展を企画してあちこちから光琳の絵を100枚借り集め、2日間にわたる尾形光琳展を開催した。当日には間に合わなかったものの、後日に展覧会のカタログを出している。当時としては前代未聞の試みで、カタログは後世の貴重な資料となった。
 彼は光琳の様式を借りて、独自の花鳥画の世界を作り上げた。そして傑作の数々を描いていった。晩年にはそれにも飽き足らず、さらにはもっと古い形式の大和絵に興味が移っていく。彼の絵画の世界は、今様の浮世絵から時代をさかのぼり光琳の世界の様式を発展させ、さらにはもっと古い大和絵へと移って行った。過去へ過去へととさかのぼって行く画業であった。
 以上自分なりにざっと酒井抱一の生涯をまとめてみた。
 彼は基本的に後から来た者である。何事にも一通りできてしまうほど器用だった。古いものを研究し、それを発展させた。復古させ、新たな美の分野を広げて行った。でも彼は継承者だ。誰も見たことがない全く新しいものが彼の作品にあるだろうか。絵画を育てはしたが、新しい種は植えただろうか。ヴァリエーションを描いていたのに過ぎないのではないだろうか。多分江戸時代という安定した時代構造のうえに身分や地位を保証され、実生活に困ることのなかった搾取階級の遊民であったことが、新しいものを作り出す必要性を感じなかった理由だろう。全く新しい絵画は、時代に押しつぶされそうな人の中や、さらには時代が明治のように動き出した中でなければ出現しない。

彼の絵は繊細で美しい。例えば
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デザイン化、パターン化することで完璧な美の世界を現出している。
西洋の花鳥画にはしばしば老いや死の概念が登場するが彼の(日本の)花鳥画にはそういったネガティブなものがない。病も死も争いもない空想的絵画。ここにある花々は、この世ではありえない花、あの世で咲く花 おとぎ話の竜宮城の庭に咲く花。
ちなみに描かれている桜は現在一般的に植えられているソメイヨシノではない。私はこの絵のような花と葉が見られる山桜や大島桜のような桜が好きだ。ソメイヨシノは明治以降新しく作られた品種だが、不健全で病的な感じがしていけない。

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花は花として、鳥は鳥として、その理想の姿で描かれる。彼の絵は写実ではない。現実の世の中の素材を借りてきて、絵の中に新しい人工的な美の世界を作り出す。桜なら桜、かきつばたならかきつばたの概念を描いた。繊細で美しいが頭で描いた作り物。

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たとえばこのひまわり、茎がこんなに細くては花を支えることはできない。しかし現実のひまわりのような太い茎を描いたら、絵は台無しである。

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四季花鳥図屏風
琳派の美の世界は室町のわび・さびの世界よりも、さらにその昔の万葉から平安貴族の感性の世界に近い

風かよふ寝覚めの袖の花の香にかをる枕の春の夜の夢 藤原俊成女 新古今和歌集

  吹く風で明け方に私は目覚める。
  袖は花の香にかおり、かおりにつつまれた枕で私は春の夜の夢をみていた。

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紅白梅図屏風

きみならで誰にか見せん梅の花色をも香をも知る人ぞ知る 紀友則 古今和歌集

  梅の花を誰に見せたらよいのでしょう あなたこそ花の色も香も知る人なのに 

梅の花にほいをうつす袖の上に軒もる月の影ぞあらそふ 藤原定家 新古今和歌集

  梅の花の香がする私の袖に 軒先から月の光が落ちる 光と香が袖の上でたわむれる

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夏秋草図屏風(実際に展示されたのは草稿)

かぜ渡る浅茅が末の露にだにやどりもはてぬ宵の稲妻 藤原有家 新古今和歌集

  宵の浅茅が原が稲妻で一瞬明るくなる
    風が渡り 浅茅が波打つ
  その草の葉の露にも稲妻がきらめき 一瞬ですべては闇につつまれる

跡もなき庭の浅茅に結ぼほれ露の底なる松虫の声 式子内親王 新古今和歌集

  人の訪れた跡もない庭の浅茅に露が降り その露の底でこおろぎが鳴く
     まるでこの心のように


 銀地の屏風をいくつか見たが、銀が黒くさびてしまい、ほとんどの銀屏風は台無しである。中には真っ黒になってしまって何が描いてあるかもうわからないのもある。修復はほとんど不可能なのではあるまいか。修復するよりも新しく絵を模写して展示したほうがよい。CGを駆使して、もとの絵の様子を復元する、そういった復元美術展があってもいいと思った。

 ところで私は出光美術館の「琳派芸術」の第一部を見ていない。残念だ。また見る機会もあろうと思う。

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